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時代の潮流が見えない既得権者達

 西暦2015年(平成27年)は、世界中で様々な問題が人類全体への課題として突きつけられた一年でもあった。IS(イスラム過激派)によるテロは、イスラム対西欧という文明の衝突を思わせるような事態にまで進展してしまった。アメリカの価値観の押しつけによる他国への軍事行動を遠因とするアフガニスタン、イラク、シリアの軍事紛争は収まる気配も無く、ISの参加により予測不可能なほど混乱したものとなり、多くの難民を生み出した。大量難民の欧州への移動は、民族の大移動にも匹敵する規模にまでふくれあがり、ヨーロッパ各国の結束にも暗い影を投げかけると共に、EUの今後をも不透明なものにしてしまった。いっぽうでロシアは領土を拡大し、中国もその覇権的な野望をあからさまにしてきた。核を手にした北朝鮮は、核兵器のさらなる開発に余念が無い。
 地域的な紛争以外にも、地球温暖化と異常気象、貧困、一向に縮まらない格差と新たに生み出されている格差など、全人類の課題も大きくなる一方である。本当に人間は進化していると言えるのだろうか?

 このような世界情勢の中で、日本は比較的武力紛争などから遠い存在でいられたために、平和ぼけと呼ばれるほどの危機意識や切迫感のない状態が続いていたように見える。だが日本もまた確実に大きな変化の潮流のただ中にこぎ出している。

 決して明るい方向ばかりとは言えない現実がそこにはあるのだが、日本における新しい時代の潮流とは何か。経済力の低下と日本人の質の劣化による社会の変化が上げられるだろう。この負の側面がおおきいのだが、同時にもっと深いところでは明るい流れも見えてきている。それは過去の価値観から決別して、日本人が本来持つ価値観や生き様に回帰してきたことである。


 高度経済成長が終わり、その後の円高対策によってバブルが生まれた。その時すでにおかしいと気づくべきであったのだが、過去の成長に酔いしれていたこの国が理性を発揮することは無かった。結局バブルが崩壊し、失われた20年と呼ばれるデフレ不況にはいりながらも、権力者をはじめ大方の既得権者たちは、借金を重ねることで改革を怠ったばかりか、何ら有効な対策も取らなかった。このとき、すでに貧困と格差という黒い濁流は密かに流れを強めていたのだ。
 単に経済的な成長の鈍化だけではなく、社会に大きなひずみを生み出し人々の心まで変えてしまっていた。家族は崩壊し個人は孤立し、社会には金権主義の残滓が残り、社会不安と犯罪だけが増大していった。
 そんな濁流に翻弄されながらも、一部の人々には新たな心構えや生き様も生まれてきた。特に東日本大震災は、その変化を決定的な物にした。日本人が本来持っていた精神基盤の中核を成す「無常観」がもう一度現実のこととして認識され、心の豊かさを考えて生きようとする人々も確実に増えてきた。

 この大きな時代の変化は、それまでの価値観を一部否定し、失われていた自分たちの価値観や文化を見直す事につながった。だが、社会の中枢に居座る多くの既得権者達は、その流れを無視し続けてきた。いまもなお続くその最も端的な例をいくつか見てみよう。


 ネットは右よりで保守的な傾向が強いとの批判が、かなり前から既存のメディアなどで声高に叫ばれていた。戦後の左傾化した思想偏向から考えれば、それは振り子の揺れ戻しにすぎないのだが。そして、それ以上に既得権者達が見誤ったのが、この潮流である。単に愛国主義的な傾向が強まったのではなく、日本文化の持つ価値観にもう一度思いを寄せるようになった多くの日本人の存在がそこにはあるのだ。
 大手新聞やテレビに代表される既存のメディアに関わる多くの人間。それは言い換えれば、間違いなく現在までの仕組みの中で利益を享受してきた既得権者達である。ネットへの批判とは、自分たちの権益を守るための方策であったのだが、彼らはそのこと自体を理解していなかった。


 経済において、その劣化は国力の低下すなわち国民生活の劣化でもある。失われた20年において、多くの日本の経営者は国や社会全体のことより、自社や自分たちの事だけを考えてきた。表面上は成長期の経済構造の維持を要求し、資本主義の原則である「市場からの撤退」を拒み、一方で海外移転を進めて国内雇用を喪失させ、さらにコスト削減の名の下に国民の所得を低下させ続けた。それが、国内市場の縮小と消費の大幅な落ち込みを招いてきたのだが、社会全体を考える経営者はむしろ少数派であった。これも、経営者や大手企業に勤める正規社員という既得権者達の成した物である。


 もう一つより大きな既得権者の問題がある。それは言うまでも無い、政治そのものである。痛みを伴う変革を行わなかったのはいうまでもなく、よりひどい政策を採り続けてきた。つぶれなくては成らない企業・組織や事業を国民の借金で存続させ、為替の管理を怠り、産業構造の変革を促さず、あげくのはてには、非正規社員という膨大な貧民層を生み出すことを許してしまったのである。この愚かで、自分たちの利益すなわち議員にとどまることしか考えない政治家と官僚によって、貧困と格差は止めどなく広がり、犯罪など社会の暗闇が大きく拡大する事を許したのである。蛇足だが、犯罪発生数(実際には認知件数)が増加してないから犯罪は増加などしていないと言う説明をしたがる既得権者がいる。振り込め詐欺だけでも、とんでもない数であり、統計上の認知件数や起訴件数など、社会の不安定さや犯罪が多いと感じる国民の意識とは、およそ関係がないものである。

 第二次安倍政権の発足により、行き過ぎた為替は調整されたが、肝心の産業の構造改革や市場改革はまるで行われていない。残念ながら、相変わらず既得権者達が、過去と同じ政策を実行させることで、自分たちの既得権を維持する事に血道を上げているのだ。それに多くの政治家も追随しているだけの現状である。少子高齢化だけのせいにしているが、このゆがみは20年も前から始まっているし、なにより、わかっていながら何も対策しないのは無責任以外の何者でもあるまい。



 こうして日本は多くの既得権者達によってむしばまれ続けている。昔であれば、高い理想と志を持った人々が立ち上がって、既存の社会の仕組みや体制を力で壊したのだが、いまではそれも出来ない。民主主義とは、既得権者にとって最も有利な仕組みなのである。それを打破する唯一の方法は、より多くの人々が賢く目覚めていくことであろう。


 せっかく生まれている新しい流れが、いびつな社会を少しでも正してくれる政策が実行される社会にまで流れを大きくすることができるかどうか、それがこれからの日本の将来を決定することにもつながるだろう。

平成28年1月2日(土)
秋山鷹志