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教育が貧困や差別をなくすという思い込み

【この一文は、書きかけの文化と文明に入れられる物であるが、テーマが大きすぎてなかなか書けないため、時節柄とりあえずこれだけでも残しておきたいと思う】

 先進国の多くにおいては、そこそこの福祉が社会の体制として当たり前のものになってきている。一方で多くの紛争の遠因として、教育格差そしてそれによる貧困(収入の格差)が長い間問題視されてきた。だが、イスラム過激派のIS(いわゆるイスラム国)によるテロが欧州にまで飛び火してきたとき、これまでの常識が必ずしも完全に正しいものでは無いことが明らかとなった。移民の2世や3世によるテロへの参加、欧米の若者のISへの参加・同調によって、そのことが明らかになったのだ。

 彼らは、決して教育を満足に受けていない層ではない。むしろ大学まで高等教育を受けているのが普通である。また就職先が無いなどの貧困があるとは言え、ゴミの山を探して日々の糧を得るほどの貧困でもなさそうである。欧州の先進国では、その程度の福祉は充実させてきたのだから、当然とも言えよう。ではなぜこのような現状が出現してしまったのであろうか。一言でいえば、差別感は、高等教育を受けさせれば無くなるものでは無いと言う、重たい現実がそこにはある。


 教育を受けることで教育を受けられなかった人々が、教育を受けた人と同じ土俵に立てると言う考え方は、ある程度正しい。だが法的に平等が保証されていることが、社会的に差別の無い社会が保証されていることではあるまい。むしろせっかく大学まで出ていながら、さまざまな差別により、より孤立感を深めた若者が、連帯感をISの宣伝する宗教的言質に求めたとしても、無理からぬ部分があるだろう。

 移民の子孫でも無い欧州の若者、それも高等教育を受けた人物が、なぜISに参加するのであろうか?発達心理学的に見れば、人間は青春時代には自我の確立に苦しみ、周囲や社会との一体感・同一性を維持することに苦悩する。それでも多くの若者は、その時代を乗り越えて次の人生の段階に歩を進める。それが出来ない若者が増えているのであろうか?
 せっかく大学を出ても就職先一つ無いという挫折感は、青春時代の苦悩をそのまま引きずることにも成る。社会からの疎外感とは、差別されているという感情に他ならないのだろう。移民2世3世とその意味では変わらない。


 二択選別的な考え方を持つべきで無い事は、言うまでもあるまい。教育を受けさせることが悪いとか、やめるべきと言うのではむろん無い。だが一方で、教育が完全無欠な解決策であるなどと言う幻想は、持つべきでは無いのである。教育が与える知能(情報や知識)と同時に知性(思考力、内省力、理解力)の重要性は言われて久しいのだが、知性を持たせることを実践することの難しさとともに、やはりそれだけではない要素を考える時が来ているのだろう。「人間は感情の動物である」と言う言葉は、未だにある種の真実を含んでおり、それを無視することは人類が抱える問題に眼をつぶることと同義となる。




 これは近代科学主義に基づく欧米の価値観の絶対視が招いた、当然の帰結とも言えるのでは無いだろうか。人間をばらばらに分解して、その項目毎の対処法を施したところで、人間全体を決定することなど、決して出来ない事である。教育においても、人間全体を丸ごと抱えていく、そんな教育方法論が求められているのだろう。少なくとも教育が、それなりに国民全体に行き渡った先進諸国においては。

平成28年1月3日(日)
秋山鷹志