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本当は田中角栄よりドゥテルテを求めている日本国民

 フィリピンのドゥテルテ大統領のお騒がせが、なかなか止まらない。アメリカのトランプはまだ大統領候補であって、実権は無い。だが、ドゥテルテは実際の大統領であり、過去の多くの独裁者同様、強力な権限を有している。すでに犯罪者もしくはその被疑者とされる人間を殺害した数は、1000人とも3000人とも言われる。それでも、国民の人気は揺らぐどころか、高い支持を保っているようである。理由は簡単で、それほどに麻薬やそれに絡む多くの犯罪が、フィリピン国中に満ちあふれていると言うことなのだろう。なにしろ、殺されるのを恐れて自首した犯罪者が、75万人にのぼるというのだからすさまじい。

 日本において被害者より加害者の人権を重視するのが人権派やリベラルな考え方だと勘違いしている人達が、未だに多くいるようであるが、犯罪の闇に怖れおののく多くの国民より、殺される犯人の人権を声高に叫ぶ傾向は、欧米の人権原理主義者に共通のモノなのかも知れない。むろん、だから人殺しが良いと言っているのでは無い。だが、自分たちはテロリストに軍事行動まで起こして平気で殺害したり、巻き添えで一般市民を殺している。だがそれを非難する人権派の声は、あまり聞こえてこない。この身勝手さに、我々非白人の民族が、欧米(白人)の人種差別意識を感じてしまうのも、仕方が無い部分があるだろう。だが、日本でこの事を指摘すると、たちまち右よりとか保守派のレッテルを貼られてしまう。だがいまは、この問題を取り上げたいのではない!


 犯罪や不正がはびこる社会を正すには何が必要なのか、という現実的な問題を追及していくと、このドゥテルテ騒動の本質の重要性と難しさが見えてくる。NYの犯罪防止を進めるために、まずはNYの地下鉄で落書きを消すところから始まった。あらゆる悪や不正の芽を小さいうちに摘み取ることの重要性は、心理学の研究だけでは無く、すでに多くの実践で多大の成果を上げている。だが、この方法が採れるのは、まだ、全体が悪や不正に完全に支配されていないという前提が必要になる。

 日本では戦後、悪いことを悪いと躾けたり教えることを放棄してしまった。とりわけ小さな悪事は、子供の頃にはみんなやったなどと言うあり得ないことをテレビが垂れ流すまでになってしまった。バブル時代、テレビ番組をたまたま見ていて衝撃を覚えた事が忘れられない。ワイドショー的な番組だったか良く覚えていないのだが、出演者の一人の女性がこう言い放ったのだ。「万引きくらい、子供の時にはみんなやっているよね」と。ふざけるなと叫びたかったが、少なくともそれを他の出演者や局アナなどが発言をたしなめるだろうと思っていた。ところが、他の主演者達も口々に、彼女の意見に賛同する発言をしたのである。それを聞いて私は、この国はもうだめだなと思ってしまった。

 このような誤った考え方や意識が、現在の眼には見えづらいが腐りきった日本社会と日本人を育ててしまったのである。こうして育った日本人が老人となって、万引きを繰り返している。特殊詐欺は異常な金額と数が続きおさまらないし、どれだけ多くの若者が参加していることか。サイバー攻撃で情報はダダ漏れなのに、無関心。東京都の豊洲市場、オリンピック施設が当初の2~3倍に跳ね上がっている。災害時の仮設住宅も1.5倍、災害復旧工事もとんでもなく値上がりしている。災害復旧をはじめとする公共事業の談合は後を絶たない。富山市議会だけでなく、全国で地方議員の不正使用が当たり前に横行している。学校のいじめ隠蔽は是正されず、未成年による集団暴行殺人も続いている。企業の不正や不祥事も後を絶たない。内部留保を貯め、役員報酬は増額しながら社員給与を上げず、新しい事への投資もしない。そんな経営者の自己中心的な身勝手さも、一向に解消されない。弁護士が悪事を働くのがもはや珍しくなくなってしまい、あらゆる職業で犯罪や不正を行う人間が輩出している。企業倫理も道徳も無い社会。
 ここまで腐った社会が、フィリピン社会とどう違うというのだろうか?殺人などの眼に見える凶暴性が無ければ、悪の社会でも日本はまだましなのだと考えること自体が、先ほどの万引きが当たり前という考え方と同じ発想なのである。


 さらに正義のためには、悪や不正に立ち向かう「力」が現実にある事が不可欠となる。欧米では、立てこもりや通り魔のような殺人者に対して、必ずと言って良いほど犯人を射殺してしまう。日本のように何時間でも気長に説得するとか、投降を待つような事はない。日本では、こんな犯人相手でも銃の使用を制限する。これでは、日本が犯罪者にとっては天国だと言われても仕方が無いだろう。なにせ、何をしても殺される心配が無いのだから。これで本当に悪に立ち向かう「力」を保持し、かつ相手に知らしめている事になるのだろうか?これが、国の安全保障にまで悪影響を及ぼしている。現実から眼をそらして、自己満足にしたり、自分に害が及ばなければ知らん顔という態度が、やがて大きな災難を引き寄せることにつながってしまう。


 こうして見てくると、閉塞感漂う日本社会が実行力のある田中角栄のような人材を求めているので、角栄ブームが来たのだと言われることにも、疑問がわいてくる。どのような実行力なのか。既得権者の反対すら抑えられず、系緩和も逆の規制も出来ない今の政治家達は、実力が無いのでは無く、多くが同じアナのムジナなのだろう。口先では改革をとなえながら、自分の保身が第一なのだ。このような状況では、心ある日本人、腐った社会を正したいと考える国民は、無意識のうちで、強硬な、しかし成果が目に見えるドゥテルテのような指導者を求めてしまうのである。日本ではアジアの多くの国々のように独裁的な権限を指導者が持てないが故に、改革もまた遅々としてすすまない。そのいらだちが、いずれ何かのきっかけで爆発することになる。無意識の欲求が表に出たとき、その力はすさまじいものとなるだろう。ねがわくは、それがより良く正しい方向を向いてくれることを、願うばかりである。

平成28年9月24日(土)
秋山鷹志