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大阪人の差別意識が強いのは気質のせいなのか?

 私には、日本人の県別DNAの違い、とりわけ大阪人のDNAが、関東圏とどれほど違うのかのデータを持ち合わせていない。したがって、いわゆるそう言われている、思われているという一般論での話の域を出ない。それでも、今回の沖縄での土人発言や、大阪での部落問題などの記事を目にするたびに、やはり気質が違うのかなと思ってしまうのである。日本中差別はどこにでもあり、大阪だけが特殊なのでは無い、東京での差別感が薄まっているのは人間の流動性と社会構造が大きく関係しているからだとも、頭では理解しているつもりである。


 沖縄の20代に聞いたら、土人なる言葉すら知らない人が多くいるとの記事もある。東京では、部落なる言葉は死語化しているように見えるほど日常で使われることはなくなった。たしかに、私が就職をした何十年も前には、就職時に出身調査やら身辺調査が行われたのは事実である。大手商社の子会社に就職した私の初めての会社では、部落に関する本を、怪しげな人間が売りに来てもいた。だが、記憶では、そこに沖縄全体の県民差別があったようにも記憶していない。そもそも個人的にそういうモノが嫌いで、読みもしなかったのだが。

 話を戻そう。つまり、なぜ大阪ではかくも差別的な言動や意識が色濃く残っているのだろうかという、素朴な疑問である。反対派の横暴な言動を一切取り上げないマスコミの問題はここではひとまずおくことにして、大阪出身者が、売り言葉に買い言葉で発した、土人なる言葉に関わる話である。大阪人には、これらの言葉が当たり前に残っていると言うことなのだろうか?少なくとも個人的には、沖縄を差別する場があったとしても、とっさにこの単語は出てこないと言える。なにせ、使ったことが無い。


 そもそも、こういう疑問そのものが、差別意識のなせる業だとお叱りを受けるかも知れない。しかし、日本人の気質で繰り返し述べたように、今の日本人はあまりにも、各国や民族の気質を無視しすぎているのも事実であろう。同時に今なお、県民性・地域性の違いは、テレビの番組になり得るほど顕著でもある。ならば良いことだけでは無く、このような負の意識に関わる気質についても、冷静な検証が必要なのかも知れない。そして、それが気質ではなく、社会環境による物であるとするならば、それを変える努力をもっとすべきなのであろうから。

 いくら法律を作り、建前では人種差別は悪だと云いながらも、アメリカの白人の差別意識は一向に無くならない。自己の所属するくくりと異なるものを警戒するのは、ヒトに備わっている自己防衛機能に関係するのだろう。それだけに、なかなか表面的な言葉や罰則で無くなるものではあるまい。


 今回は、素朴な疑問の提示だけで、結論も意見も無い。

 ただ言えるのは、沖縄県民の県自虐観のような一部の勢力の言動には、心底腹が立つというか哀しくなる。むしろ、縄文のDNAを強く引き継ぐ沖縄こそ、日本人のルーツのひとつだと誇りを持って欲しいと願うばかりである。

平成28年10月24日(月)
秋山鷹志