文化

文化と文明 補章・外伝

オン草紙
【外伝】情報伝播のグローバル化がもたらすもの:
タイ紀行に寄せて

 久しぶりにタイを訪れて来た。タイが初めての方々といっしょに、バンコク市内とアユタヤのお決まりのコースをまわっただけの旅である。それもわずか3泊でめぐる非常にあわただしいものであった。 タイの変貌は他のアジアの国々と同じ発展過程を忠実に再現しており、空港からバンコク市内まで高速道路を走りながら目にする景色は、アジアのどこの国々も同じように見える。街中を歩くと、日本では渋谷でもあまり見かけなくなった厚底を履いた女の子が闊歩し、スリットの入ったスカートが目立ったとしても、その様子はとりたてて珍しいものではないように思われた。従って、その手の議論は別の機会に譲るとして、ひとつ別のことを考えた。


 それは、情報とりわけ風俗に関わるような情報の広域かつ急進的な伝播をもたらすグローバル化についてである。グローバル化という意味がアメリカナイズすることであるかないかとか言う議論はひとまず脇におき、ここではテレビやインターネットに代表される種々のメディアを介して各種の情報が、より早く、より多くの人に同レベルで伝わることをグローバル化と呼んでおきたい。グローバル化以前の状態では、有る情報が、世界中の人々に行き渡るにはそれなりの時間がかかり、かつ、その情報の密度というものは、放送で同じものを見るような形での情報レベルの均一化されたものではなかった。しかし、いまやTVカメラが冷戦解体に大きな役割を果たしたように、グローバル化の進展が情報の伝播においても大きな変化を生み出している。この情報の広域、急速かつ均一的な伝播は、今後思わぬ結果をもたらすことが多くなるかもしれない。そしてそれは、良い効果ばかりとは限らない。大げさに言えば、バーチャル世界のリアル世界への侵略とも呼ぶ内容も含まれてくる。有る情報が、その信憑性に関わらず伝播の広域かつ急速な拡大によって、その情報の真実性(みかけの真実性ではあるが)を深化させる役割を担うことがある。このことは、個人の生活においても、企業活動においても多くの影響を及ぼすことになろう。


 タイはこれまで訪れた外国の中でも、好感を持った国に入るので、少々引き合いに出すのをためらわれるところもあるが、たまたま実感したことは具体的な例示としてわかりやすいもので有ろうと思い、取り上げてみたい。くれぐれも、タイの国への悪意有る中傷などとは間違っても受け取らないで欲しい。


 夜の盛り場としてタイで有名な繁華街といえば、パッポンである。王宮付近から東南の方向にラマ4世通りが長く伸びている。高速道路と平行に走るニューロード通りとこのラマ4世通りを結ぶのが、昼間ビジネスマンが多く行き来するシーロム通りである。この一本北側にスラウォン通りがある。この2本の通りを南北につなぐ小さな路地裏のような通りの何本かが集まった地域がパッポンである。西からパッポン1通り、パッポン2通りそして少し東に離れた、タニヤ通りがある。夜ともなれば狭い通りに多くの露天が軒を連ね、人であふれ返り歩く場所さえなくなってしまう。路地通りにはディスコやゴーゴーバーがならび、若い女性たちの嬌声と呼び込みの声やらなにやらで、騒々しいほどにぎやかである。 タニヤ通りは、日本人向けのカラオケやクラブ(こちらではほとんど同じであるが)を中心とした日本人街としてつとに有名である。通りを歩けば、日本語で声がかかり、無視すると「けち」という罵声までかかる。長引く日本の不況はタイの女性に、これまでとは違う日本語を覚えさせるほどの影響を与えているようである。ここがバンコク一番の繁華街だと言って誰も疑う人はいないであろう。それはあながちうそではない。 しかし、日本で売られている今年2002年発行の最新の旅行ガイドによれば、それはもはや過去のことであるという。

 王宮の東にある高速道路あたりから東は、はるかカンボジアにまで届く国道に連なるのが、スクンヴィット通りである。タイでは通りから南北に走る路地をソイと呼び、順に番号がふられていく。スクンヴィット通りのソイ4あたりに新しい第三の歓楽街ナナ・エンターテイメント・プラザがある。ソイ12から21にはショッピングセンターやホテルが並ぶ。このあたりがソイ・カウボーイと呼ばれる第二の歓楽街であるが、パッポンほどの賑わいはない。さて、そのまた先、さらに東に進むと新しい日本人街である。 日本人街として隆盛を極めたタニヤ通りが寂れたのは、日本の不況のせいだけではなく日本人の居住地が移ったことによるという。土着的に根を張る華僑を別とすれば、日本人はやはりまだタイでは金持ちの部類であろう。そんな日本人がかっての中心から東に離れた地域に集まって新しい日本人街を形成しつつあるという。 バンコクという都市の巨大化による盛り場の分散と言ってしまえばそれまでだが、地元の若い人たちはパッポンのディスコよりも、ナナやカウボーイの方に流れているという。ディスコは日本と同じで、ナンパされる目的の若い女の子が集まってくる。お目当てのバンドを見に来る子も多い。したがって、パッポンに集まる外人より地元や中華系の金持ちを目当てにする女性は別の地域のディスコに集まることになる。とりわけ日本人相手はそうだという。

 たまたま、我々の滞在したホテルがまさにその近くに有ったので、あたりかまわず歩いてみた。なるほど、ちょっとしゃれた一軒家や、豪華なアパートが点在し、そこかしこで新しい建築が行われていた。所々点在するレストランもいかにも日本人好みのしゃれた感じで、しかも必ず入り口や脇に駐車場が完備されていた。昼間だとはいえあたりを歩いている人をあまり見かけなかった。みな自動車での移動があたりまえなのであろう。各国の高級車がそちらこちらに隠れるように停められていた。その住宅街に続く通りには、日本語で書かれた看板のお店が目立つようになったが、その数はタニヤ通りに比べるとはるかに少なかった。雰囲気的にも、夜になっても女性が黄色い日本語で呼び込むような雰囲気には程遠い店構えが多かった。



 少々前段が長くなったようである。バンコク紀行を書こうというのではない。情報の伝播のはなしである。 一言でいえば、前述のガイドブックは正しかったということである。正しすぎるほどに情報が早かったということである。実際に新旧いくつかの繁華街をみてまわった感想から言えば、書かれていたことは間違いではないが、少し情勢の先取り部分があるように感じた。昔のように書いたものがかなりしてから目にとまる時代であったならば、それは非常に先見の目の有るすばらしいことであったのは間違いがない。しかし、現在のように、各国の都市の風俗情報がインターネットを初めとして多くの媒体で瞬時に伝播されるとき、少し先のことを考えて述べる必要性は薄れている。書かれた内容の正確さにはむしろ感心したのであるが、ナナなどは別として、タニヤに変わる日本人向け繁華街というにはまだ早いような感じであった。しかし、同行した4人の日本人は書かれていた内容で記憶に刻み、次の人に伝えるであろう。そして、我々と同様に、タニヤを歩いてみて、呼び込みの女性の数のほうが歩いている日本人より多いと思うことで、その観をいっそう強くするのであろう。かくして、タニヤから日本人が消え、車でひそかに乗り付ける店が並ぶ新たな日本人街がガイドに登場してくることになる。 つまり、情報の内容が現実にまだ一致していないにもかかわらず、情報の加速度的な伝播により現実がより進む、ということになる。


 繁華街だけではない。タイ式マッサージに多くの日本人が詰め掛けている。それも、女性が男性のいかがわしいマッサージを行うほうではなく、こちらではトラディショナルと呼ばれる伝統的な足マッサージやハーブオイルの全身マッサージのことである。ここでも、トラディショナルと書いとけば良いということか、日本語の呼び込みをする店の前にもあちこちでトラディショナルと書かれた店がめだつ。いっぽうで、ホテルなどのSPAと呼ばれるマッサージはどこも予約で満員、ちょっと時間が空いたからマッサージでもというわけには行かない。多くの日本人女性が予約帳を埋めている。情報の伝播は、フィードバックもかねて、現実の世界を変えてしまっている。

 いま、観光地でツアーと言えば、中国か韓国の人たちで有る。幡の下にカメラをもってぞろぞろという光景は日本人には無縁となってしまったようである。2−3人の少人数でドライバーつきの車を借り切って好きなコースで行きたいところを自由に廻る。私など10年もかかってようやくこの技を習得したというのに、誰が教えたのであろうか。夕方ホテルの入り口には、帰ってきた車から次々と降りてくる日本人観光客であふれている。 観光地の動向などリアルな現実世界の反映であるはずの情報から、バーチャルな情報がリアルの現実世界を変えていく力をもっている。われわれはこれからこのような世界に生きていかなくてはならない。
 マスコミ、権力、企業による情報操作は、その意図や操作の明白性によらず数多く行われているのが実情であろうが、これまでの情報操作とここで言う情報伝播のグローバル化の影響によるものとは大きく異なる点がある。それは、伝播の強さが情報の内容を逆に規定しかねないということである。情報操作が意図せざる方向に行くことは有ったであろうが、その強さにおいて両者は比較にならないであろう。
 いまだ現実とはなっていないような情報で有っても、それが強力な伝播力によって流布されるとき、それ自身の持つ真実性が確実に増大することになる。近代以降、科学の発達は級数的に進んでいるというが、情報の伝播においても同じことが言えるのではないだろうか?いわば仮想世界の出来事が、情報の広域かつ急速な浸透により、リアルそのものが、その仮想世界の方向性に合致してしまうことになる。 タイの夜を楽しみに訪れる多くの日本人が、タニヤにはいかず、スクンヴィット通りを徘徊するとき、そこに新しい日本人街がそのことによって誕生してしまう。そして、試みにタニヤを訪れた人々に浴びせられる汚い罵声がさらに日本人を遠ざけ、もはやここは日本人の来るところではなくなったと多くの人が実感してしまう。



二つのことが言える。

 個人レベルにあっては、今後われわれが手にする情報は本来誤りではないが、情報伝播によってより情報の真実性が深化しうることを認識すべきである。ふたつめには、日本人はこれまで情報の管理が非常に下手であるとされてきたが、こと観光に関していえばそうでもなさそうである。ということは今後企業の活動においても同様な意識を持って情報に対応すれば必ずしも、他国に劣るものではない言う自信を持ってもよさそうである。そのうえで、単に情報の管理そのものだけでなく、情報の伝播が元の情報に影響を及ぼすということをしっかりと頭にとめておく必要があろう。情報の操作は今に始まったことではなく、流行もまた、その多くが特定の企業によって仕掛けられたものであることは言を待たない。しかし、今その意味合いが決定的に異なるのは、情報伝播のもたらした意図せざる結果である。意図せざる結果が大げさすぎるならば、情報のもつ真実性の強化と置き換えても良い。

 微笑みの国を歩きながらこんなことを考えるのは私ぐらいであろうか。


参考資料
  昭文社 個人旅行11 タイ  発行2002年

平成14年(2002)2月14日