文化

文化と文明 補章・外伝

オン草紙
【補章】差別のくくり

 文化と文明を語る上で避けて通れない事柄がある。それは様々な差別を生み出している階級制度などのさまざまなくくりである。本稿では便宜上国家のくくりを文化集団のくくりとしてとらえてきたが、厳密な意味でそれが適用可能なのは日本くらいであろう。日本文明は世界で仲間をもたない孤立した文明であるとの論は、日本文明=日本文化=日本民族というくくりで、大半がくくられることを意味してもいる。日本において差別が一切無いなどと言うつもりはないが、他の多くの国から見れば、差別を生むようなくくりが比較的少ないと言うのも事実であろう。

 少し回りくどく述べているのも、この問題の微妙さゆえである。文明の衝突、イスラム教とキリスト教の戦い、とくくってしまえば話は簡単になる。だが、事はそう簡単では無い。さまざまなくくりが幾重にも複雑にからみあっている。だからこそ、国家というくくりがある種の意味を持つとも言える。国家のくくりによって、他のさまざまな差別的なくくりを越えて、ひとつに統合することが出来る場合もあるのだから。

 差別を生み出すかも知れないくくりについて、具体例を見ていこう。

 特定の国名を出すことは、別の意味で差別にもなりかねないので慎重で無くてはならないが、アジアにおける大国で民主主義国家とされる、長い歴史をもつインドを取り上げることは、人類の持つ普遍的な性質を語るものとして了解してもらえるであろう。

 世界の大国としての可能性を指摘され、核兵器を保有する軍事大国でも有るインド。だが、なかなか世界の檜舞台に躍り出るほどの急速な経済発展や社会発展がみられてこない。その大きな理由のひとつが、この国に存在するさまざまな差別を生み出すくくりの存在である。同時にそれは、インド人の中心とも言えるアーリア人の気質の問題もあるだろう。それがまた差別的なカースト制度を生み出し、維持し続けることにもつながっている面がある。

 民族、部族
 肌の色分け(ヴァルナ)
 ジャーティ(「出自」・「生まれ」の意)
 カースト制度(ヴァルナ・ジャーティ制)
   −階層、身分
   −職業(親の職業を継ぐ家業制度)
 ダリット(不可触民)
 言語
 性別(特に女性への差別)
 宗教
 地方自治
 統治への考え方


 部族・民族のくくり



 インドは、アメリカなどと同様の多民族国家である。インドの民族として、ゴンド族、インド・アーリア人、ベネ・イスラエル、コーチン・ユダヤ人、ブネイ・メナシェ、タルー、ナガ族、ドラヴィダ人、タミル、アナル族、アホム族、マガール、トダ族、ムンダ族、ローバ族...いやはやきりがない。民族のくくりが差別のくくりとなるのは、世界中で見られる事柄である。
 問題は、自分たちと異なる集団、民族とみなす要素は何かと云うことである。肌の色や目の色などの外形的特徴の他に、使用される言語、宗教、習慣などが上げられる。つまりは文化的な差異であるが、文化が独自化や細分化の方向性を持つが故に、文化が先か民族が先かという論理の迷路に陥ることになる。文化が生まれるとそれが部族や民族のような文化集団を生み、他の文化集団と区別して認識される。この差異の認識こそが差別の要因とも成る。差異の認識自体は、偏見を内包していないはずであるが、それがいつの間にか差別としての感情を伴うものに変化していく。差別をなくす為に研究されなければ成らないのは、この変化の過程であろう。

 人種というのは差別用語だと云うことで、欧米の専門家では使われないそうであるが、その事こそが、差別の生まれる原因の根深さを物語っている。人種とは、いくつかの民族が集まったくくりであり、それ自体に差別はないはずなのに、この言葉が生まれた時から差別感を伴って生まれたことが不幸であった。人種が肌の色などの外形的特徴によって分けられることが多いために、差別とされるのであろう。しかし、すでに見てきたように、あらゆるくくりはそれ自体、差別の対象となる危険性をはらんでいる。いくら言葉を新しくしたところで、くくりの本質を正しく理解しない限り、きりのない話になる。

 はじめに民族や部族のような文化集団を持ち出してしまうと、それだけですべてが含まれてしまうが、もう少し個々のくくりを見ていくことにしよう。

 身分制度



 他にも、実に様々なくくりが存在している。その中でどうしても触れなければならないのが、カースト制度と呼ばれるものである。一般に、このカースト制とは差別を生み出す身分制度であるとされている。それに対して、インドの歴史などを研究する専門家などからは、異なる意見というか、批判的な説が提示されている。

 どういうことかと云えば、カーストはインドを植民地化した欧米の作った概念であり、その基になっているヴァルナ・ジャーティ制は別物であるという。3500年前、インドにいた先住民を駆逐してインドを占領したアーリア人が、肌の色で人種を分けたのがヴァルナで、ジャーティとは出自や生まれを意味する言葉で、そこに親の職業を子供が受け継ぐ世襲制が加わって出来ているという。

 歴史的な事実をふまえたうえで、それでもなお、個人的には、これらの制度が差別のくくりを生み出すことにつながっていることを否定できないと考える。そもそも人間を分類し、それを固定化しようとする考え方は、差別をうむ考え方と紙一重である。

 職業による身分制や差別は、日本の歴史においても見受けられる。江戸時代の士農工商という呼び名は、実は身分制度では無かったというのが、最新の研究だそうである。それはよいことだと思うが、だからといって、その下にエタ・非人と呼ばれる階層があり、一般に嫌われる職業を持っていた事実は否定できないだろう。職業であれ学歴であれ、人間を何らかに分類してレベルを張るという行為は、少なからず差別を生む温床となる可能性をもっている事は、忘れてはならない。

 さらにダリット(不可触民)とよばれる人々がいる。カースト制の外にあり、最も差別される人々である。日本の士農工商がカースト制だとすれば、ダリットは、エタ・非人と云うことになる。彼らの非人間的な扱いは現在も問題となっており、我々の想像を超えることが、最近のインドでのレイプ事件などのニュースから伺うことが出来る。ただダリットの職業の一部にジャーティの職業が含まれるなどしていることで、外部の人間にはなお実体が理解しづらくなっている。

 民主主義国家と云われるインドであるから、憲法などでは、これらの身分制度やダリットなどの差別は、当然禁止されている。だが、人権を高らかに謳う欧州の人種差別は、アメリカよりも陰湿で激しいとされる。インドも同様で、法的な禁止と社会における実相とがあまりにも大きくかけ離れている。これが、インドが大国とよばれながらも、なかなか先進国並みの経済成長を果たせないでいるひとつの遠因であると考えられる。

 言語のくくり



 実に数多くの民族、部族が存在していることは、使用される言語もまた多種多様である事は論を待たない。しかも、それが相互に意思疎通が出来ないほどに異なる限度であれば、お互いに相手を別のくくりとしてとらえるのも当然である。広大な土地と多くの人口により、この国には、国家のくくり内で共通する統一的な共通言語が存在しない。多種多様な言語が使用されているインド全体の公用語は、ヒンディー語と英語である。インド憲法では、連邦政府の公的共通語として、この二言語を指定している。ただ、英語は1965年で正式な公用語の地位からは降りているとのこと。30もの異なる言語が使用されているインドでは、公用語の指定は非常に重要な意味を持つ。地域毎に異なる公用語を持つ事からも、言語統一の困難さがうかがわれる。

 しかしながら、インドで英語による教育を受けた世代などでは、英語を日常語とする人々も増えているようである。この事は、言語が他との差別の要因にもなるが、一方で、実は差別の主要因では無いことをうかがわせてくれる。言語がそれを生み出した文化同様、文化と文明的な要素を兼ね備えてる事の認識は重要であろう。

 性別のくくり



 性差別。インド内でのレイプ事件などが大きく報道されるようになったのは、観光客など外国人女性の被害が続出したからであろう。邦人女性の、1ヶ月にわたり監禁レイプされていた事件も明るみに出ている。うまく逃げ出せたからよいが、レイプを拒んで殺される話は、後を絶たない。こうしてみるとき、ダリットなどにはなにをしても良いという暗黙の社会的慣習が長く続いたことが、女性軽視の風潮を助長し、さらには外国人でも女性なら構わないという心理につながっているのであろうか?性差による差別は、男女の肉体的体力差が厳然として存在するために、なかなか解決することが難しい差別問題のひとつである。

 宗教のくくり



 宗教の違いによる差別。いま世界で問題になっているのが、イスラム過激派ISなどのテロである。ISなどのテロが起きるたびに、イスラム教とキリスト教の対立ではないし、イスラム教はテロを認めてなどいないとの話が、何度も繰り返される。ある意味では、身分制度以上に難しいのが宗教であろう。なぜなら、宗教は個人の内面、精神性にまで深く入り込んでおり、それゆえ、価値観や考え方そのものに強い影響を持つからである。現在では、宗教の違いが直接差別を生んだり、衝突をする事は無いのかもしれない。しかし、人類の歴史においては、間違いなくそれらの差別が存在していた。そして、今なお世界の多くの人々が何らかのの宗教に属していることを考える時、直接の差別のくくりにはならなくても、その価値観や思想の違いによる差別を強力に後押しすることに、疑いの余地はないだろう。

 文化が細分化する方向性を持つことはすでにみてきた。宗教もその例外ではあるまい。だが、日本においても数多くの宗教・宗派は存在する。それが差別を生み出すほどに頑迷固陋なくくりを持って差別感を醸成してしまうか否か、そこが問題なのである。

 地方自治のくくり



 パンチャーヤト制度とよばれる地方自治・行政機構が整備されている。県、中間(郡、ブロック)、村の3層の地方議会からなり、地域の農村開発事業の計画策定・実施に責任を負う。いわば地方の隅々まで議会による民主主義を広める物であり、これがインドの民主主義を支えるものになっている。

 問題は、現在の選ばれた議員によるパンチャーヤトではなく、名前の由来となったような昔の仕組みが今なお影響力を持っているところにある。パンチャーヤトという語は、かつてインドの農村社会で少人数の長老の合議による自治が行われていたことに由来する。5(パーンチ)人程で構成されていたことからであろうか。

 他のコミュニティの男性と恋愛関係になった少数民族トライブの女性が、トライブの長によって招集された村裁判で集団レイプの刑を宣告され、複数の男性からレイプされるという凄惨な事件がおきた。このように、インドでは、特定のコミュニティやカースト内での慣習や規律に関する問題を扱う長老会議・裁判のようなものが存在し、社会で一定の権威を保持してきた。(カープ・パンチャーヤト、カースト・パンチャーヤト等)このような仕組みが、差別を助長してきたことは議論の余地がないだろう。

 地域に存在するさまざまな慣習のくくりが、差別を生む土壌になりやすいことは、人間社会の歴史が示すところでもある。それを地域の自治や自主性として認めながら、その中に潜む差別を排除していくことは、インドだけで無く世界中の多くの国々の課題である。

 イデオロギー(思想・信条)のくくり



 思想や信条を同じくする人々が集まり、異なる思想信条を持つ集団と対峙することは、人間世界ではごく普通に見られる。国家の統治機構に対する考え方もまたそこに含まれるのだろう。民主主義、共産主義、独裁制などのさまざまな統治機構と社会構造の在り方に対する考えは人それぞれである。普通ひとつの国は、ひとつの統治機構を持つ形で統一されるはずであるが、自由主義や民主主義の国においては、異なる思想や主義主張を掲げ、それが差別の原因となる事もある。一時期のアメリカでの共産主義差別(赤狩り)が、そのことをよく示している。

 動物愛護と良いながら特定の動物だけを擁護する姿勢、同じ事をしていても相手国によって非難したりしなかったりと、利己主義や差別感とイデオロギーは結びつきやすい性質を持つ。それが、お互いを敵視したりする感情を生み出すことで、さらなる差別を生み出していく。




 人間社会においては、実に様々なくくりが存在する。そのくくりは本来差別感を伴わない、差異の認識にすぎない。だが、何らかの理由によってそれに差別的な感情が付加されると、たちまち差別のくくりと化してしまう。だからといって、いくら言葉を換えてみたところで、本質は何も変わらないだろう。さまざまなくくりとどうつきあうのか、ひとつの解が「くくりの動的再編」であるが、これは日本人の気質で解説している。(*) 一言で言えば、くくりを柔軟にかえられる柔らかな意識や思考を身につけることである。

 もうひとつ差別的なくくりが生まれる理由は、西洋文明が生み出した近代科学文明の特徴のひとつである「分類すること」にある。要は対象を同じ特徴で細分化して、ラベルをつける作業とも言えよう。これはくくり以外の何物でも無い。つまり、近代科学文明は、それ自体が差別を生む要素を大量に生み出す事に荷担したのである。それは「人種」という言葉だけではない。欧米人が他文化や他民族に対して差別的意識が強いのも、この文明の影響と全く無縁ではあるまい。この事を知ることは、近代科学万能という新たな宗教がゆがんだ勢力を伸ばさないためにも必要なことである。

参考資料
(*)日本人の気質「第4章 くくりと撞着 ―くくりの動的再編・動的移行」
インドの地方自治  財団法人 自治体国際化教会

2016.05.23