文化

文化と文明 補章・外伝

オン草紙
【補章】文化(文明)が民族を生む

ある人々の集まりが特有の文化を持つようになると、それが文化集団としての部族や民族となる。だが、文化が発展するに従い、文明との関係も絡んで、逆の形も生まれてきた。つまり、文化集団(民族)が文化を生み出すのでは無く、文化が民族を生むことが起きてきたのである。

 ひとつの例を見てみよう。台湾では、自分が「台湾人」だと思う人が6割をこえた。(*)昔は「中国人」だという人が25%もいたのだが。現在の台湾人は、中国人というアイデンティティ(自己同一性、自我)よりも、台湾人という民族自我の方がより強くなっている事を意味している。いわば氏より育ちだ。

 細かいレベルでの民族としての差こそあれ、中華民族としての共通した意識は、中国人にも香港や台湾にも共通していた。しかし同じ民族でありながらも、文化が異なる方向に進むようになると、その集団における新たな民族意識というか民族のアイデンティティが新しく生まれてくる。

 ここまで明確に台湾人としての民族自我が強くなったのは、自由や民主主義など中国との大きな価値観の違いと、その違いが中国によって破壊されるという不安や恐れによる他ないだろう。共産党という政治体制と言うよりも、そのような一党独裁政治を認める集団の価値観に賛同できないのだ。表層文化たる文明の部分がいかに同じような物であろうと、あるいは異なろうと、それよりもはるかに大きな影響を各集団に与えるのは、好き嫌いなどの感性や価値観等、精神性に近い心の奥底の部分である。

 台湾人と一口にっても、その人種、民族の種別は、現在の日本人のように簡単では無い。それでもその枠を超えて、共通の価値観や意識が「台湾人」を生み出している。それもいわばここ最近と言えるほどの短い歴史の中の話である。
 したがって、日本の沖ノ鳥島を日本領と認めず巡視船まで派遣したのは、たんに中国寄り政権の最後の悪あがきとだけとらえていると、本質を見誤りかねない。すでに台湾と日本は、あちこちで漁業を巡る諍いが起きているし、尖閣諸島を台湾領だと主張し続けている。そこには、台湾人としての民族自我が底にあることを見誤っては成らない。そのうえで、民衆レベルでのお互いを親しく感じる関係性を強化していくべきである。甘えることなく、さりとて迎合しないでお互いを尊重する事がより重要になる。
 香港やシンガポールにおいても中国人では無いという意識が強くなっているが、それが親日を意味するものでは無いことは、充分に理解しておかなければならない。

 文化集団が獲得した文化の基底に近い部分、すなわち精神性や価値観などが、周囲の文化集団と異なることを意識したとき、そこに新たなる文化集団としての民族が誕生するのだと言うことがよくわかる。民族自我の確立が、必ずしも基となる人種的な違いによってばかりでは無く、文化や文明の違いによっても生じると言うことなのだろう。


 翻って、日本は文明が大きく替わることを何度も経験してきたが、北から南までかなりの地理的距離を持つにもかかわらず、日本人という民族自我が維持され続けたのは、文化の基底部分の共通性が揺るがなかったからである。
 たとえば、アメリカ合衆国では、アメリカスタイルというものはあっても独自のアメリカ文化としてすべてのアメリカ国民に共通の文化はそれほど強く見受けられない。にもかかわらず、アメリカという強固なくくりを維持しているのは、アメリカ文明というくくりがアメリカ民族を生み出しているからに他ならないのだろう。アメリカ人という民族が確実に生まれる前に、出身文化による個々の民族に分断されてしまうのか、アメリカはいま岐路にある。

 もう一つ例を挙げてみよう。それはニュージーランドの国旗変更騒動である。
 イギリス連邦加盟国で英連邦王国のひとつであるニュージーランドが、英国に属するアイデンティティ(民族自我)を捨ててニュージーランドとしての独立したアイデンティティを確立しようとしているかに見える。それが1970年頃から始まったユニオンジャックを含むいまの国旗を変えようとする動きである。4つ(後5つ)ほどの新しい国旗の候補が挙げられたが、そのいずれにもユニオンジャックは含まれていない。逆に、ニュージランドの先住民族であるマオリを象徴する色や原産の植物などが含まれている。
 2015年12月の国民投票で暫定1位の国旗案が決定した。この後2016年3月に、現在の国旗と暫定一位の新国旗のどちらが良いかを選択する事になり、結果は6:4で現状の国旗を維持する事になった。

 イギリスの植民地であったと考える人達と、イギリス連邦の一部だという誇りを持つ白人の年配者との間では、やはり溝が大きいのだろう。さらに民族構成は複雑で、結局は国家としてのアイデンティティで国民全体をくくらないと、統一が保てない事があるのかもしれない。
 民族や種族、部族などが異なる人々でも、時間の経過によって全体の国家としての文化が形成されてくると、その文化集団という新たなくくりが生まれてくる。むろん、その文化集団が民族のような強固な文化集団になり得るかどうかは、別の難しい問題であるが。


 文化の違いをこのようにとらえてみると、キリスト教対イスラム教も、まさに文化間の摩擦なのだろう。そうでなければイスラム世界における宗派間の熾烈な衝突が、うまく説明できない。文明の衝突であるならば、対キリスト教と同じような激しい衝突を、同じイスラム世界の中で引き起こす理由を説明できないだろうから。ましてや、そこに元々の人種的な民族の違いがあれば、その文化集団における摩擦は、よりいっそう激しいものになるのもうなずけよう。

 文化と文化集団である民族との関係性は、国家という枠組みも絡んで複雑なものになっている。日本人は、この事実を往々にして無視しがちである。


参考資料
(*)台湾・政治大学選挙研究センターは2014年末、台湾でアイデンティティーに関する調査を実施した。アイデンティティーは「台湾人」との回答は60.6%。「台湾人であり、かつ中国人」との回答は32.5%。「中国人」との回答は3.5%。台湾人との回答から中国人との回答を引いた「台湾人アイデンティティー指数」は57.1と過去最高を記録した。台湾人アイデンティティー指数は1992年のマイナス7.9から年々増加しているが、馬英九政権になってからの7年間で伸びは加速している。
 また「早く統一するべき、どちらかといえば統一すべき」との回答から「早く独立すべき、どちらかといえば独立すべき」との回答を引いた「中台統一独立指数」はマイナス14.7と過去最低を記録した。中台接近政策をとる馬英九政権のもとで、むしろ独立を志向する人々が増えていることを示している。
【2015年2月21日、米ラジオ局ボイス・オブ・アメリカ中国語版サイトより】

若年層に見る「台湾人」アイデンティティの最新状況-現地調査報告

2016.05.24