文化

文化と文明 補章・外伝

オン草紙
【補章】「民主主義」幻想

 戦後日本人が、金科玉条のごとく奉るもののひとつに「民主主義」がある。だが、これがいかに脆弱かつ理想からほど遠い物であるか、その認識が日本と世界とでは違いすぎるのも事実である。

 そもそも民主主義とは何か。歴史から紐解いて概念の意味や解説をすれば、またぞろ言葉や概念の泥沼に陥ることになる。ここで問題とした民主主義とは、統治機構としての主権在民そして基本原理としての多数決による採決である。多数決はひとつの方法に過ぎないとか、真の民主主義は全員一致であるというような話には、立ち入らないようにしたい。

 さて、日本が真の民主主義を導入したのは、明治維新あるいは戦後のことであると言われるのだが、それはあまりにも日本史を軽視したものであろう。民主主義の基本である自由や平等あるいは理想などの概念は、元々日本人の文化に根ざしていたからこそ、簡単に受け入れることが出来たのである。民主主義的な考え方が、日本にはまるで無かったかのような言説は明らかに間違いであろう。

 民主主義は、決して最良の方法では無く、むしろ次善の策(more better)だという事実をきちんと認識しておく必要がある。民主主義を生み出したとされるギリシャにおいては、その誕生当時から、民主主義が理想的なものでも最良のものでも無いことを充分に認識していた。それでも、民主主義での国民による統治が、王や貴族などの独裁的統治よりはまだましであると選択したに過ぎない。  他にも多くの弱点や課題がある事は、正しく知っておかねば成らない。

弱点


 以下、それらのいくつか見ていこう。

 力によって民主主義は生まれる
  そもそも、民主主義の成立はそのほとんどの国や地域で、民主主義とは遠い力によって獲得されている。この現実を日本人は意外に簡単に忘れてしまう。王制や貴族の政治から民主主義を勝ち取るためには、あまた多くの血が流されている。

 民主主義は、民主的で無い「力」によって守られる
  成立同様に、成立後も民主主義を守っているのは民主主義以外の力なのである。内においては、それを破壊しようとするものを抑え、外からの破壊には軍事や武力を持って守る。それが、現実の姿である。

  不思議なことに民主主義を礼賛する一部の人間は、民主主義を獲得する際の力の行使や、民主主義を守るための力の行使を、非民主的だと非難することがあまりないのである。これは、いかにもおかしな話であろう。

 民主主義の主権者は賢者なのか?
  民主主義の主権在民は、国民が賢者である前提で成立する。仮に、すべての国民が犯罪者だけの国があって、犯罪を是認するとしたら、その国は民主的な国家なので有ろうか?

 民主主義は、大衆迎合主義と表裏一体を成す
  自分たちに都合の良い政策が多数決で決められると、民主的であり、多数決は尊重されねばならないと声高に叫ぶ。一方で、気に入らない政策などが多数決で決定すると、数の横暴だとか、多数決主義で民主主義では無いとか言い出す。このようなばかげた行為の国民もまた、民主主義によって主権者として守られるのだ。
  結局、民主主義と大衆迎合主義は表裏一体をなすもので、これを分けることは非常に困難である。賢明なる主権者を育てる不断の努力が民主主義には求められる。

 危機においては民主主義はむしろ危機を増大させかねない
  非常事態宣言を法文化して持つ国々は多い。非常事態宣言とは、簡単に言えば、一定期間民主的な方法による決定や、法の支配を緩めることに他ならない。なぜ民主国家で、これを許す、いや積極的に取り入れているのか、良く考えるべきである。その理由は至極簡単で、危機において民主的な手続きは、ほとんど効力を持たないばかりか、むしろ邪魔をしてしまう、という民主主義の特徴を良く理解しているからに他ならない。民主主義の手続きを遵守して、生存そのものが保てないなどと言うばかげた事があっては成らないから、非常事態宣言で指導者の超法規的な行為を許すのである。
  日本においては、非常事態宣言を憲法に持たなくても、通常の法律で充分に対応できるという信じがたい事を平気でいう人々がいるが、民主主義の根本を理解出来ていないのであろう。

 独裁政治などへの移行は民主的な手続きに依ることもまれではない
  民主的な手続きで選ばれた政権や政治指導者が、その後民主的とは言えないものに変質してしまう例を現代史は良く示している。アラブの春の混乱のひとつはまさにこれである。力の行使で民主的な国家を樹立し、その後多数決で政権が誕生する。だが、その政権がいつの間にか宗教国家の色彩を強くし、軍部がクーデターでこれを打倒する。タイなどでは、軍政と民政とがまるで交代で政権を担っている。

 民主主義は、それを否定する思想や主義主張を制限できない、しない
  民主主義は個人の自由を尊重し、言論や思想、宗教の自由を保障する。結果、共産主義革命やイスラム革命など、民主主義を否定するものもまた認めざるを得ない。だが、それが大きくなれば、民主主義が破壊されることになる。そのジレンマの中で民主的な国家が成立していることを、忘れては成らないだろう。

 社会や経済に関わる政策では、実に多種多様で普遍的でも一様でもない
  社会民主主義、自由民主主義などのさまざまな言葉が存在するように、民主的な国家といえど、その文明の有り様は多種多様である。とりわけ経済においては資本主義的なものを取り入れていても、社会的なものはその文化に強く影響を受けている。
  いわゆる大きな国家、小さな国家の違いや福祉国家、自由国家など、実に様々な形態がある。ここから、どのようにして、人類の新しい文明は生み出されていくのであろうか?

 民主主義の限界を正しく理解した上で、思考したり行動をすれば、自ずと現実主義の視点が芽生えて、原理主義的な言動は収まって行くであろう。結局、無知である事は、身を滅ぶす元なのである。


参考資料
文化と文明 第7章 人類の普遍文明と日本文化―力は正義の現実

平成28年6月12日(日)