文化
第2章 文化の発生と変容

第2章 文化の発生と変容


 文化の誕生



 文化とは


 文化とは何か?その定義については、すでに第1章で詳しく述べてきた。もう一度おさらいをするならば、
『社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー〔culture〕。(大辞林)』
とある。この定義で一般的に異論はないであろうが、それにくわえていくつかの重要な概念を提示してきた。
 ひとつは文化集団の持つ文化の範囲を決めるのに、「くくり」という言葉を用いた。これにより、つかみ所の無い文化というものをとらえる枠組みの考え方を獲得した。もう一つは、文化とは大きく深層文化と表層文化からなる階層構造的なものであると。むろんその境目はグラデーションのように判然としないものでもはあるが。そして、その表層文化の一部を「文明」と呼ぶことにした。最後に重要なのが、文化と文明が全く異なる方向性(指向性)をもつ事である。
 これらを踏まえて、この章では文化の発生と変容についてみてみたい。

 文化の誕生


 人類が文化を獲得したのは5万年前であるとの説もあるが、文化がいつ誕生したのかという問いは、そのまま人類の誕生の経緯をたずねることになる。そこでまずは、人類が火と道具を獲得したときから、文化が誕生したと考えておこう。したがってすでに文化が存在するところから話を始めるとして、それにしても世界にはなんと多くの文化があることだろうか?民族の定義もその数も確定的なものはないが、それでも俗に民族と呼ばれる単位の文化集団の数は、世界でゆうに数百〜数千を超えるであろう。
 いったい個々の文化はいつ生まれるのだろう?そして、いつ他の文化と異なる文化となるのであろうか?アメリカに文化はあるのだろうか?文明があるところその文化ありとするならば、当然アメリカ文化も存在することになる。アメリカの歴史は約400年であるから、文化はその程度の年月によって生み出されるのであろうか?また、アメリカは、多くの民族の移民からなる国であるが、その深層文化はどうなっているのであろうか?


 文化は民族と同様に細分化され分化すると同時に、混血し相互同化する過程を繰り返してきた。文化にかかわる大きな要素は、人そのもの、すなわち生物学的要素と、地理的自然環境的要素、さらに他文化や文明のような社会的要素の3つがある。ある自然環境のもとで、自然への適応と進化により特定の文化が生まれたとする。表層文化は自然環境の要素と自ら生み出した社会環境の要素から、文化の拡大、進化を再生産していく。昔のように地理的な環境が文化の伝播を妨げる時代であるならば、異なる文化があちらこちらに発生し、独自色の強い文化が生まれてくる。異なる文化からの刺激は、大きくなり、自らの文化の変容度も大きくなる。それらが重なることで、ある単位での文化の差異は指数関数的な拡大を見せることになる。この場合、その方向性は、文化のより深層部に向かうことを意味する。
 このようにして多種多様な文化は、複雑な色模様を描くことになる。とするならば、文化とは、日本文化、西洋文化などラベリングされた文化の各々の影響範囲をどう認識するのかという問題として捉えなおすことができる。ここにくくりという概念を当てはめる意味がある。

 文化を成立させる主要因子


 文化の誕生段階においては、文化=文化集団の成立ととらえても、それほど差し障りは無いだろう。家族そして生物学的な血族という最小の集団は、文化集団の明らかな核となる。それを中心にして、次のような環境条件により独特の文化が生まれ、文化集団が育っていく。

自然環境   : 地理・空間、気象、災害、季節感、生物多様性等の広範な自然環境
遺伝的環境  : 遺伝子(遺伝的特性)、共通感性の成立、同一集団(仲間)意識の成立
文化・社会環境: 発生時の集団の文化の状態(言語、慣習、風俗等)


関係
文化集団の成立


 これらの各種因子が相互作用のもとに、ある期間継続された状態が、文化集団を成立させる。その際に、精神構造の基盤となる『感性』の同質化が重要である。感性が同じであれば、しぜんと仲間意識(同族意識)は醸成されていく。自然を見て感じるものがまったく違う人間が、同じ文化集団に属することは難しい。いっぽう、孤立した日本列島内でも文化は成立するので、文化集団成立時には、必ずしも外部の異なる文化集団を意識する必要はないだろう。
 文化・社会環境によって、しだいに文化集団のくくりが、部族、民族、国家、宗教などにさらに分かれる事になる。

 文明の発生


 文明とは表層文化の一部であると定義したのであるから、文化無きところに文明は存在しないことになる。しかし、アメリカ合衆国のような他民族の移民国家においては、そう簡単に説明できない。アメリカといえど、土台になっているのはいわゆるアングロサクソンであり、その文化こそアメリカの基礎文化であるとも言える。それにくわえて欧州などからの白人移民が加わりアメリカ文化を創ったのかもしれない。果たしてそうなのであろうか?
 アメリカの強固なくくりは、民族というより国家という枠組みにあると思われる。文化集団たる民族の持つ文化よりも、国家という枠組みでくくられる集団がひとつの表層文化を共通のものとして受容していった。そのために、お互いの文化の相違を認める前に、アメリカ合衆国というくくりの下に集合しているというのが実態であろう。すぐに集まって、「USA,USA」と連呼するのはまさにその象徴ではないだろうか。

 四大文明と呼ぶような「文明」とは、
『文字をもち、交通網が発達し、都市化がすすみ、国家的政治体制のもとで経済状態・技術水準などが高度化した文化をさす。〔civilization〕』(大辞林)
として、文明と呼ぶのに必要な条件を挙げる学者も多い。
 条件のひとつに国家の枠組みの存在があげられていたが、アメリカを見ていると、まんざらあやまりでも無いと言うことになる。しかし、このような文化集団は、核となる文化を持たず、文明による利益がもたらされなくなったとき、文化集団として分裂する危険性がある事は容易に考えつく。
 「USA」の名のもとに冷戦後の多くの戦争にかり出されたアメリカ国民は、次第に厭世気分を募らせて、内向きになってしまったと言われる。これは、国家という枠つまり文明がその文化集団に対して十分な利益を与えられ無くなった状態とみることも出来よう。アメリカ文明に付いては詳しくは第5章で述べることにして、ここでは文明の発生についてである。

 文明が表層文化の中から分離して別に扱われるためには、その文化集団が持つ国力をはじめとする『力』が、大きな意味を持つ。文明が国家の枠組みと無縁では無いとするなら、その国家の統治領域の拡大、それは時に侵略や植民地獲得ともなるのだが、その侵略的方向性は文明の持つ拡大の方向性と一致する。どちらが大元なのかを断定することは出来ないが、この明らかな方向性を正しく認識しておくことは、今後の国際社会においても重要なものとなる。極端にいえば、ある文明を受け入れると言うことは、その国の支配下に入ることと同義なのだと。
 つまり文明は、文化が高度化して表層文化の一部が拡大の志向性を獲得したとき、文明として誕生するのかもしれない。

 文明という言葉を聞くと、梅棹 忠夫の「文明の生態史観」(1957)という本を思い出す。生物の生態学になぞらえた比較文明論の名著で、その後の日本文化論にも影響を与えた。比較文明論とでも言うべき「文明の衝突」は大きなテーマであるが、それは後の章でとりあげることにする。

 文化と文明の関係


 文明と文化の違いは何かといえば、文明は高度な文化のひとつであるという垂直的な区分もできるが、文化を表層と深層の横断的な捉え方で見たとき、文明とは国家体制や経済・科学技術(テクノロジー)にその力点がある文化のある断面と捉えることができる。
 こうとらえることで、新しい文明を速やかに取り込んでいきながら文明の衝突を避け、独自の文化をその深層部分に抱えたままという日本文化の特徴も考えることができる。文明を掲げた文化が、他の文化を教化していくからといって、固有の文化が喪失されるのは、文明を生んだ国家によって侵略されるか、固有の文化を持つ民族がその文明の受容に失敗した場合であり、文明と文化が常に敵対関係にあると考えるのは誤りであろう。無論歴史的には、文明を生んだ文化とその文明を受け入れることになった文化との間に、大きな文化的差異があることは珍しくないが。

 また近代西洋文明に限らず、その文明を生み出した地域は、他の地域よりもその後の社会的発展において明らかに優位性を持つ。このことが植民地政策などの政策を生み出すのであるが、文化と文明の方向性の違いが文明と文化との確執の要因にもなる。この分裂(文化)と統一(文明)が、人間社会の歴史的特徴なのかもしれない。そして、いままさに出現しはじめた情報文明、あるいはグローバリゼーションのもとでは、個々の文化はその拡散性を失いつつあるようにみえる。