文化
第3章 日本文化

第3章 日本文化


 日本文化については、すでに「日本人の気質」でかなり詳細な説明を加えている。ここで、それを再び繰り返す必要は無いだろうから、いくつかの大きな特徴と補足を記すだけにとどめておきたい。

 日本文化の誕生



 考古学、人類学などの研究からして、縄文と弥生は明らかに異なる文化であるという。その縄文人もDNA分析によればいくつかの集団に分かれるという。集団をさかのぼっていけば、人類は遺伝的に1組の男女にたどり着くとするならば、文化の発生は、別の視点で見なくてはならないことになる。結局それは他の文化との差異の明瞭化でしか表されないのではないだろうか。ある文化がそこにあるというのは、その文化とそれ以外とをわける差異が見受けられるということに他ならない。それは単なる表層文化の違いだけではなく、深層文化の奥深く人間の感性にまでたどり着く。
 ギリシャ危機では、ギリシャ人の国民性が常に話題にのぼった。ギリシャがヨーロッパ文化の源であると言いながら、ギリシャの国民性が他国と異なるという。これこそ、文化とは何かを暗示しているのだろう。

 日本文化とは、現在の我々日本人が持つ感性が生み出した文化である。とするならば、その大元はどこまで遡るのかが問題になる。結論から言えば、縄文時代こそ日本文化の源であると言えよう。この日本列島にやってきたいくつかの異なる遺伝子を持つ集団が、列島上でひとつの文化集団となり、生み出されたのが縄文文化である。縄文文化は北海道から沖縄まで確認されていることに留意すべきである。

日本人の成立

日本人の気質 第2章 日本文化の成立」参照

 日本文化の成立時期


 縄文時代は1万年以上に及ぶ長い期間であるが、縄文文化の特徴的なものが全国に広がった時をもって、日本文化の成立時期と見なすことは、それほど大きな誤りではあるまい。

成立時期

「日本人の気質 第2章 日本文化の成立 −日本文化成立の時期」参照

 独自性と強固さ


 こうして生まれた日本文化であるが、他の多くの文化とは異なる特徴をもつ。それは日本文化を生み出した環境・条件の多くが1万年以上もの間、大きく変化すること無く保たれていたことによる。大陸にあっては、文化が生まれた土地を離れてついには別の文化集団になったり、周辺からの他文化集団の混入により文化が変容したりすることが多く見られたのだが、ここ日本列島においてはそのような動きはほとんど見られなかった。そしてこの恵まれた環境が、世界でも強固と言われる独自性を日本文化に持たせた理由であろう。

 核となるものが変わらないがゆえになおさら、表層的なものは次々と新しいものを受け入れるような気質を生み出したのかもしれない。そこを見誤ると、日本文化すなわち日本人の本質を見誤ることにもなる。

 すでに第1章で述べた文化と国家との関係においても、「日本という国家の構成集団」と「日本人という文化集団」とをそれほど意識して区分する必要がないのは、世界的に見ても少数派である。

 だが、気をつけなくてはいけないのは、文化の成立範囲と特定勢力による統治範囲の混同である。未だに一部の歴史学者などは、日本の成立は7世紀云々とか、日本という言葉が使われて初めてひとつの国としてまとまりが意識されたという説明が成されている。たかだか統治権力の影響範囲を持って文化の範囲と比定するなど、ばかげた事と理解した上での発言と思いたいのだが。文化というものの本質を見極めれば、別の次元の話だとすぐ理解されよう。

 またここでもくくりをどうとらえるかという問題が絡んでくる。江戸時代300諸般と呼ばれるほど多くの藩があり、別々の統治機構によって領国経営が成されていた。そのなかから、会津気質とか薩摩人気質とか、いまにつながる多くの地域独特の気質が生まれている。これを持って江戸時代、日本には日本文化が無く、あるのは小さな地方文化の集まりと論じる人はほとんどいないだろう。それがなぜか中世以前になると、とたんに見方が変わるというのも奇異な事である。



 日本文化の本質



 こうして成立したであろう日本文化には、さまざまな特徴がある。日本文化論は、日本人の数だけあるのではと思うほどたくさんある。本稿も、またその一つであるが。しかし他国や他民族と比べて特徴ある日本文化の独自性をいくら持ち出してきても、その大部分は表層文化に属するものであり、本質にはなかなか到達できない。

 ある文化集団が他の文化集団と異なるものとして、とらえられる本質とは何であろうか。いうまでもない。文化の深層部を成立させているもの、つきつめれば集団の共通感性に他ならない。

 感性の文化


 文化集団を区別しているのが感性であれば、日本文化だけを感性の文化ととらえるのは、おかしな事なのかもしれない。それでもなお、日本文化の本質は、「感性の文化」であると宣言するのには理由がある。「日本人の気質 第2章日本文化の成立」参照。
感性の違い

 宗教とか思想とか人間の知性が生み出したものは、理性によってあるいは理解が可能かもしれない。だが、知性以前の無意識下の感性の働きをそのまま感じ取ることは無理がある。ミラーニューロンが、他人の感情が理解できるのも自分の中にその同じ感情が存在していればでこそである。想像はできても、存在しない感情を同じように感じることはできない。その部分が他の文化集団よりも強いのが日本民族という集団なのかもしれない。図にある「種々の感性の反応」のうちで『感動としてそのまま意識にあげられるもの」が、他の文化集団と比べて日本においてはかなり多いという特徴が感性の文化である。

西行

 「何事の〜」は、西行が伊勢神宮を訪れたときに詠んだとされる有名な句である。本来言葉には出来ない感動を言語で表現したときに、かろうじて「かたじけなさに」という言葉を紡ぎ出すことが出来る。その言葉を手がかりとして、受け手は自らの感動体験の中に同じものがあることを無意識に発見する。それゆえに、共感することが可能となる。

 我々日本人は、この句を詠んだ時に、理屈では無く心で理解する。いやそれ以外には理解不能なのかもしれない。つまり、この句で詠まれた『感動』を我々は共有し、共鳴できる。それこそが、同じ文化集団に属する構成員である証なのだろう。同時に、知性による理解と感性による共鳴とが、必ずしも一致するものでは無いことも忘れては成らないだろう。

 感性の表出


   日本文化は、『感性の文化』である。これは、私が始めて唱えるわけではなく、これまでにも多くの人々によって語られている。「太陽の塔」を制作した芸術家、岡本太郎は、民俗学者でもあり「沖縄文化論―忘れられた日本」のなかで、沖縄には日本文化が色濃く残っており、それは「東洋でも西洋でもない日本文化」であるとのべている。

 ユングの言う「集団の共同意識」に近いものが、他の文化圏の人々に比べて、文化の表層にまで、つまり、完全に無意識下に抑圧されるのではなく、むしろ日常の中にまで顔を出している。このような共同体意識の表出の形こそが、日本文化でありかつ、われわれ日本人の特徴なのかもしれない。科学文明で代表されるような、西洋近代文明の下にある文化は、知性、あるいは理性の文化である。現代の日本文化も、明治以降の西洋近代文明の影響によって、そのような部分を有していることはまぎれもない事実である。しかし、それは表層文化のレベルにとどまり、より深い精神構造の基底においては、感性の文化が脈打ち、その感受性、感性が、表層文化にまで露出して直接に影響をおよぼしている。このような特徴を持つ文化を、『感性の文化』と呼びたいのだ。

 日本人の感性が今まで変わらなかった理由


 日本人の感性がこれまで1万年以上の長きにわたりほとんど変わることが無かったのは、紛れもなく我々の住む日本列島と無縁では無い。海によって閉ざされた地域は、民族の大移動とも無縁であり他の文化集団との接触も自ずから限定的なものとなる。さらに恵まれた日本の自然環境は、感性を豊かにする事はあっても、逆に進むことはない。日本の風土が、変わらぬ日本人の感性を守り続けたとも言えるだろう。だからこそ、我々はこの環境を大切にしなくては成らないし、我々の祖先たちはそれを実行してきたのである。例え無意識にでも。