文化
第3章 日本文化

日本人の気質


 日本人の気質


 日本文化と言うからには、当然その主役たる日本人についても触れないわけにはいかないだろうう。日本人の気質についてはすでにホームページで公開しているが、本文が230ページ以上、図表も60以上とかなりの分量である。それをすべて読むのは大変なので、ここで必要な項目だけかいつまんで説明しておきたい。

 日本人の気質の全体像


 日本人を眺めていると、大きく二つの気質を持つ人々から成り立っているように見える。同じ日本文化の構成員であるから、その本質的な感性部分は同じなのだろうが、行動様式に大きな違いがある。本来の気質に新たな環境などが加わることで一部が変質して、表層部分においては全く異なる気質の持ち主にみえるのだろう。
 本来の気質を孤高武士型(孤高自律型)気質、変質したものを集団農耕型(集団依存型)気質と呼ぶことにする。

気質構造


 日本人全体で見ると、集団農耕型気質を持つ日本人の方が圧倒的に多い。そのために集団農耕型気質のさまざまな特徴が、そのまま日本社会や日本文化に色濃く反映されている。

全体の気質構造


 二つの気質をとりわけ明確に区分しているのが、その行動様式の違いであろうか。いわゆる集団行動を好む(嫌わない)人と一匹狼的な人である。日本社会においては、行動などの表層部分に集団農耕型気質が色濃く出ている日本人が大半(図のC)である。一方、少数派ではあるが深層部から表層部まで一貫した孤高武士型気質の人(図のA)もいる。むろん、逆に集団農耕型に染まった人(図のZ)もいるが、このような人はたいていの場合、感性も日本人と異なるものになっていることが多そうである。それぞれの気質型の人間が、時々の社会を動かして、日本という歴史を織りなしてきた。


 孤高武士型気質と集団農耕型気質


 孤高武士型とか集団農耕型というのは、イメージからつけた名称であり、決して武士階級の人々や農業従事者を意味するもので無いことは言うまでも無い。

 ただ日本人はいまでも何かあると理想像として『武士(サムライ)』という言葉を持ち出してくる。そこには、日本人の理想化された人物像が投影されている。歴史家や文化人は、よく、実際の武士はそんなものでは無いと言う話をしたがる。ここではそのような議論は何の意味も持たない。武士階級が生まれる前から日本人は存在しており、武士以外に多くの日本人も存在していたし、いまもしている。
 日本人の気質として、理想像であるサムライに近い気質を「孤高武士型」と呼び、江戸時代の田畑を持って耕していた農民の姿とイメージが重なりやすい気質を「集団農耕型」と呼んだに過ぎない。

 それぞれ一長一短なのではあるが、心情的に孤高武士型をより良いものとしてみてしまうのは、事実であろう。日本の歴史を孤高武士型気質の人物の存在無くしては語れないからでもある。


性格構造


 上図においていくつかの違いが挙げられているが、詳しくは「日本人の気質 第3章日本人の気質構造」を参照されたい。


 孤高武士型(孤高自律型)の気質・性格傾向、思考形態、行動様式


 さて、日本人の精神構造の基底に出来た独特の感性の上に、孤高武士型(孤高自律型)と呼ぶ気質、性格傾向、嫌悪感情、美意識や価値観などが形成されていった。孤高武士型とは、その名の通り、まさに孤独な個人主義的な思考回路をさす。自己完結型の高い理想と、集団に流されない確立された個を持つ。なかで、中心的な特徴が、自律心である。経済的な自立、すなわち人に依存しない性格も含めて、自らを厳しく律することのできる気質である。
 いうなれば日本人が理想として考える、あるいは、その感性が「快」として感じるものを象徴的に述べているのがこの気質である。日本人の精神構造の奥深くに形成された思考、価値観、美意識、基本的感情などをさしている。縄文時代の風土と社会環境とが、日本列島に住むようになった人々に、長い時間をかけてはぐくんだ共同意識、共通の美意識、価値観である。

 この時代の気質すべてが、好ましいものであるとは到底言わないが、それでも、その後に形成される集団農耕型よりは良いものではないかと考えている。もし、そうでなければ、この孤高武士型がいわば理想的象徴として、日本人の精神構造の基底に居座り続けることは出来なかったはずである。言い換えれば、その後の日本人の表層文化の象徴ともなった集団農耕に基づく精神文化も、深層にある武士型気質を駆逐できなかったと言えるだろう。

 ただ、ここで、ひとつ残念なことをあえて言うならば、精神構造の奥深く眠っているものを持っているのが、日本人であったとしても、それは感性レベルでの共鳴であり、その思考に基づく行動をその個人が取るか、実行できるかは、まったく別のものだということである。
 古くは日本武尊、源義経、赤穂浪士、会津の白虎隊、西郷隆盛など、武士の理想、悲劇の主人公としての彼らの行動に、多くの日本人は心打たれ、その悲劇性に涙する。しかし、だからといって彼らと同じ行動をとることのできる日本人はほとんどいないであろう。それは時代性の問題ではない。感性の共鳴はあっても、その実行レベルでの行動様式は、どこまでも集団農耕型になってしまう。それが現在のほとんどの日本人なのである。巷間いわれる、建前と本音なる日本人の特徴のひとつは、まさにこの乖離性に他ならないのかもしれない。


 集団農耕型(集団依存型)の気質・性格傾向、思考形態、行動様式


 農耕民族として、その集団農耕生活の中で日本人の精神性が育まれたとする説は多い。それはそれで間違いではないだろうが、それですべてを説明することには無理がある。むしろ、今の日本人のあまり好ましくない特徴が、集団農耕型で育まれてしまったようにおもえる。集団農耕型気質は、集団主義的な傾向を言うが、これはたとえば、江戸時代の村八分で象徴されるような、集団的統制の影響下で形成されるものである。保守的、没個性、集団依存、事なかれ主義、長いものには巻かれろ、権威主義など負の特徴として目立つことが多い。この現在の日本人の表層文化として現れている文化の特徴は、弥生以降にそれまでの日本人の特徴の上に覆いかぶさる形で、形成されていったものである。

 また、集団農耕といえば、すぐに水田稲作の農業が思い浮かぶかもしれないが、日本人=農民主流、農業=水田稲作というのは、ごくごく最近になって形成されたイメージに過ぎない。ここでは、そのイメージを利用させてもらったのであって、日本人の持つこのような集団農耕型気質は、当然、農業従事者以外の多くの人々に備わっていたはずである。官僚主義の走りともいえる平安貴族や役人の事なかれ、ご都合主義に、典型的にそれを見て取ることができる。


 気質の差異を生み出すもの


 元が同じ感性と気質を持ちながら、大きく二つの気質型に分かれてしまうと言う説明は、なかなか納得がいかないであろう。例え感性が同じでも、思考や行動などと性格の表層部に向かうに従い、両者の差がでてくる。単純な知能を重視して知性を軽視することで学歴志向が生まれ、日常生活における意思はあっても、命をかけるような時にも強い意志を持ち続けられる人は少なく、たいていは大勢に流されてゆく。こうして、全く異なる気質に見える人々が誕生していく。
 図だけ示しておくので、詳しくは「日本人の気質 第3章日本人の気質構造 −両気質の違い」を参照されたい。

差異


 縄文時代の一万年以上の長い期間をかけて、今の日本人の基となるような性格傾向、思考形態、価値観、美意識などが生まれてきた。元は異なるDNAを持つ集団で会った縄文の集団群(人種)が、もとになる集団の特徴を離れて、「日本人」の特徴を備えるようになったのは、長い時間をかけて融合し、同じ風土のなかで精神構造の基盤となるものがはぐくまれていったからであろう。なかでも、感性が豊かに幅広く発達したことが、その後のすべての基になったと思われる。そうして確立した「日本人」が、他の集団によって侵略されることも無く、比較的穏やかな外来人の流入で済んできたのであろう。
 ようやく、世界的にも見直されつつある縄文時代。縄文時代が、1万年以上にわたってその文化を維持してきた歴史的な事実は、人類史においても特筆すべきことである。日本人はもっと自らの出自を理解すべきである。



 縄文時代人から弥生時代人への変遷は、いまだ日本史の中でも謎の多い時代で、確立された論があるわけではない。しかし、それでも弥生人の大陸等からの流入が、既存の縄文文化を侵略的に破壊して、取って代わったという証拠はほとんど見あたらないことでは、認識が一致している。縄文時代においては、穏やかな異文化結合や、新しい日本文化の創造が長い時間をかけて育まれた。そこへ弥生という新しい文化の流入は、それまでの縄文文化に影響を与えたように、気質においても少なからぬ影響を及ぼした。縄文の気質のある種のものが、弥生の気質へと変化していったことが、孤高武士型気質のうえに集団農耕型気質が覆い被さるような気質構造を形作ることになる。

 それでも、長い時間をかけた穏やかな他文化の受容、気質の変化であったために、深層部の気質は変わること無く温存された。実際、そのような気質を生み出した風土、自然環境はその後も変わらなかったのだから。


参考資料
日本人の気質