文化
第3章 日本文化

日本文化の変容と発展


 日本文化の変容と発展



 文明の過剰受容


 日本人の精神構造の二重性が、表層文化(文明)の変容を容易に受け止めることが出来る文化を創っている。その変容が自文化内部からのものだけでは無く、外来文明であってさえも。ときにそれが受容過剰となって、さまざまな問題を引き起こすことになる。

 日本文化における他文明の過剰受容の嚆矢となったのは、弥生文化であろうか。このとき、縄文文化の深層部すなわち日本文化の深層部にまで影響を及ぼそうとする動きに対して激しい抵抗が起きたのだろう。長く東日本では弥生文化が受け入れられなかったのは、弥生系渡来人が東にまで進出するほど多くなかっただけでは無く、表層文化(文明)の変容が、深層文化の精神部にまで及ぶことを東の縄文人が嫌ったからであろう。

 以降、日本の歴史においては、この外来文明の過剰受容が大きな問題となるのだが、それを論じた研究はほとんど見当たらないようである。極端に走りやすい気質は、文明受容においても過剰受容を引き起こしてしまう。中国文明、西洋近代文明、アメリカ文明とその過剰受容の悪癖は未だに続いている。ときに、その反動が起きてそれが行き過ぎれば、今度は極端な国粋主義的色彩を帯びてしまうことになる。


 らせん状ふりこ型受容


 日本文化の歴史とは、外来文明優勢時代と自文化優勢時代の繰り返しの歴史でもある。外来文明の積極的な受容は、国難と呼ばれるような対外勢力(外国)を強く意識した社会的変化などを契機とすることも多い。しかし振り子は極限まで行けば、必ず揺り戻すものである。行き過ぎた他文明の過剰受容は、自文化優勢から自文化優越へと大きく揺り戻しを始める。繊細で豊かな日本文化は、やはりこの自文化優勢時代の時に花開くようである。極端に振り子が振れないようにすることこそ、日本の指導者に求められる資質である。むろん、すでに極端にいきすぎていれば、今度は少し強めに反対に動かすことも必要になるのだが。

 外来文明の受容以外でも、日本社会はさまざまな因子によって振り子のように揺れ動いてきた。それらもまた極端から極端に走りやすく、常にその調和を図りながら進化してきた歴史がある。

振り子型


 ただここでひとつだけ気をつけなくては成らないことがある。外来文明の積極的受容がどんなに極端であっても、その影響の多くは表層文化にとどまることが多いということである。影響が深層文化の領域にまではなかなか及ばない。振り子が異なる方向に振られて動き、その結果がようやく深層文化に少しずつ浸透していく。変わったようで日本文化の本質は何もかわらない、といわれるのはこのためである。もっとも本稿での文化の定義によれば、それが変わってしまえばもはや別の文化である。(これまでの)日本文化ではなくなる。

気質と時代


 振り子のように揺れる日本文化は、その時々の日本人全体の気質構造にも現れてくる。集団農耕型気質が優勢な時代は、成長期・安定期でもある。しかし、この体制が長く続くと必ず腐敗を生み出し、自己改革も出来ずに自滅する方向へと進む。それに対して、激動期・変革期は孤高武士型気質の人間が活躍する時代である。時代の閉塞的ないきずまりを打破するためには、自らも含めて現状を破壊しなくては成らない。この自らを壊すことが出来るのが、孤高武士型の特長である。

 現在の日本はまさに、この孤高武士型が活躍しなくては成らない時代に入っているのだが、この気質の人間を育てる教育が行われなかったために、なかなか多数の変革者が出てこないのである。それが、現在日本の危機の本質でもある。日本の危機とは、日本文化の危機にも他ならない。


 日本文化の変貌


 戦後の日本の変貌振りには目を見張るものがあるが、このところの変化は、これまでとは違い負の方向性を持ったものになっているように感じる。様々なところで、いろいろな人々が「この国は、日本人は、変わった」と述べているが、その原因はどこにあるのか考えてみるべきであろう。

 様々な発明、発見や技術革新によって人間社会が変化を遂げていくように、人間の形質学的な特徴も長い目で見れば変化していく。今の日本では、たかだか戦後70年という非常に短い時間でその変化がおきているようである。
 硬いものを噛まなくなってしまったので、えらの張ったあごからほっそりとした面長に顔つきが変化している。グルメや高級志向の名の元にやわらかいものばかりが作られ、それがいずれ後世に禍根を残すことになるかもしれないとは考えもしないで、目の前の快感を享受しているのが現実である。
 たとえば、戦前までの日本文化の特徴であった「腰」を使う文化がすたれ、浅い呼吸やきちんと立つこともできない若者が増えているという。さらに知的水準の低下は、大学教授の多くが嘆くところであるが、その大学の質の低下とは、教える側も含めてと思うのが、一般的な受け止め方であろう。このような、身体、知性の変化が更なる影響を及ぼしているのかどうかはわからないが、いわゆる倫理観の喪失、利己主義の蔓延、短絡的粗暴行為などはより深刻な状況にある。


 日本文化の特性として、時には無節操、極端とも言われる他文明の受容態度に現れている表層文化の柔軟な変容と、深層文化の堅牢性が上げられる。無論独自の深層文化が他の文化に同化するということはとりもなおさず、その文化が滅亡することに他ならないので、深層文化は容易に変容しないが、それでも日本文化はかなり堅牢なもののように思われる。日本の深層文化にある「無常観」のような感性は、表層文化の変容を容易にし、むしろ自ら更新していく特徴をもつ。このことが逆に、深層文化の変容を難しくしているのかもしれない。



 明治の文豪夏目漱石も、近代日本の歴史は、「文明を得て、文化を失った歴史だ」と述べている。ここにも、近代西洋文明と日本文化の相克が刻まれている。これこそが、本稿の主題なのだが、この点はもう少し先で詳しく述べていきたい。
 この章までの内容は「日本人の気質」の抜粋といっても過言では無い。そこまでして敢えて本稿「文化と文明」をおこしたのは、いま世界で起きている文化と文明の衝突などについて、もう一度まとめて見たかったからである。次の章からようやくその本質論に入れそうだ。