文化
第4章 現代世界の文明

第4章 現代世界の文明


 改めて本稿の主題はなにかと問うならば、二つ上げられる。ひとつは、文化と文明という概念の切り口を持って現在の世界を眺めるとき、これまでとは違った景色が見えてくる事。もう一つは、世界の現状が認識出来れば、日本の置かれた状況がより鮮明に把握できるだろう事。そしてそれは、今後日本が進むべき方向性を示唆する事につながると信じている。

 自虐的とまで言われるほどに、戦後の日本は、自国の文化や文明をないがしろにしてきた。そのツケが、バブル崩壊後20年以上にわたる社会の停滞や日本人の質の劣化にもつながっている。それでも、日本人の変革を求めて歩みを止めない日本人の遺伝子が、経済的不況や東日本大震災を契機として、徐々にではあるが確実に目覚め始めている。この芽をつぶさないためにも、いまもなお日本の陥っている外来文明の過剰受容からの脱却が急がれる。そしてそれはまた、決して国際社会での孤立化や偏狭な民族主義などでは無いと言うことも、理解しなくては成らないだろう。

 現代社会に影響を及ぼしている文明とは



 現在世界には、いくつの文化があるのだろうか?国家の枠組みが民族のくくりと一致する日本のような国は、世界のなかで珍しいのだが、とりあえずそれぞれの国が独自の文化を持つとするならば、国連加盟国などから200あまりと数えられる。だが、文化のくくりをどの範囲と考えるかによって、この数字は大きく変わってくる。日本の中での地方文化の規模は、人口で見ても世界ではひとつの国となり得る大きさである。つまり、日本全体をひとつの文化と考えるか、地方文化をひとつと数えるかで、大きく変わってしまう。なお同じ言語を使用しているから、日本はひとつだという論は必ずしも正確ではない。なぜなら、言語学的には、日本はひとつの言語と言うよりも、数多くの言語から成る日本語圏と見なされている。方言が個々の独立した言語とも言えるからである。
 ようするに、文化を数えるという作業自体が、さして意味を持たないのだ。だからこそ「くくり」という概念を提案してきたのである。その前提を了解してもらったうえで、話を進めていこう。

 文化の数が不明ならば、表層文化である文明の数も当然不明である。しかし、文明というくくりで考える時、いまの世界に大きな影響を与えた、いまも与え続けている文明とは何かと考える事は、決して無駄ではあるまい。
 かなり昔の学校では、世界史のなかで世界の四大文明という言葉が普通に使われていた。いまこのくくりは、あまり使われていないだろう。時代時代における各地の文明はそれなりにその地に根ざして存在していたことが、理解されてきたからである。

 すでに第一章の「文化と文明」(図.自文化と他文明との関係)において述べているが、表層文化たる文明が自文化によってのみ構成されているのであれば、文化と文明は一致する。だが、隣り合う文化がお互いに影響し合うように、力を持った文明はその拡大指向と相まって、他文化に影響を与える。このように、他文化に多大な影響を与える文明こそが、一般に「文明」と呼ばれるものの正体なのである。ここで述べる文明も、この部分を取り上げて論じることになる。

 文明論における現代の文明



 本稿における文明の定義とは、文化という枠のなかで表層文化とも呼べる部分にあり、政治や経済あるいは社会の制度や仕組み、さらには科学技術などの部分を呼ぶことにした。これは梅棹忠夫のいう『装置群と制度群を含んだ生活のシステム全体のことを文明と呼ぶ』定義とも重なる部分がある。

 文化と文明の全体を「文化」と呼ぶか「文明」と呼ぶかはさておき、文明として認識されるのは、精神性・価値観・感情・感性など人間の心の奥底に近いものでは無く、表層の制度やシステム、技術を指すことには、特に異論は無いように思われる。では、欧米の文明論における「文明」と本稿の「文明」定義で大きく異なるものは何なのであろうか。それは前者において、文明を持つ集団には中心となる集団(国家など)があると強調されること、もう一つは未開と文明の対立的概念の存在である。
 西欧において「文明」と言う言葉は、西欧よりも遅れた「未開」の国(民族)との対比のなかから生まれたので、文明を持つ国や民族は他よりも進んだ集団であるとの認識が、その根底には横たわっている。明治の「文明開化」と言う言葉がそれをよく表している。そこから、同じ文明を持つ国の中でも中心となる国(集団)が存在することを認めることになる。むろん、現実の国際社会や権力構造を理解するうえで、これらの考え方は重要である。だがその考え方が世界の混迷を助長し、混乱を加速させていることも有るのでは無いかとも思うのだが。
 「銃・病原菌・鉄」のジャレド・ダイアモンドは、文明の発展の違いは、集団の置かれた環境などによるものであり、集団自体の優劣は関係が無いと強調している。また、文化相対主義なども、文化間に優劣は無いとの立場に立つ。それでも現在の人類の文明における主流となっている西欧文明では、この文明の発展段階という概念が、文明や文化間の衝突を生む遠因となっているのは否定できないだろう。

 世界における文明の数



 これまで、人類はどれだけの文明を生み出し、滅ぼしてきた(滅んできた)のであろうか?人類史における文明は歴史家などに任せるとして、ここでは現在の世界の文明について見ていきたい。

 「文明の衝突」を書いたサミュエル・ハンチントンは、世界をグループ分けし最も重要な世界文明は、七つあるいは八つであると言う。七つとは、中国、日本、インド、イスラム、西欧、東方正教会、ラテンアメリカであり、それにアフリカ文明を加えて八つとなる。
 この本は話題になり「文明の衝突」という言葉は、特に9.11テロ以降人口に膾炙するようになった。しかし一部の専門家からは批判も多い。その理由のひとつが「文明」の定義にあるのだろう。
 彼は文明の中に文化があり、両者は不可分のものと考えるのだが、部族、人種グループ、宗教的な共同社会、国家などさまざまなグループ定義で、最も広いレベルが文明だという。ようするにさまざまなくくりがあり、その最も大きなくくりが「文明」だと言うことになる。それにしてもこの八つのグループは、宗教と地域の区分などが混在しており、くくりの内容が必ずしも一致していないように思える。彼の興味は、現在世界において国際政治の上で影響力を持つ国々の分析が主なので、やむを得ない部分もあるうえ、ここでの論議も現代の世界における文化や文明の関係にあるのだから、必ずしも誤りとは言えないのだろう。参考までに取り上げたゆえんである。

 文明というくくりは、国際政治を見る上で最も広いくくりである、とするとらえ方に異論は無い。だが、「衝突」の根本的な原因や将来のあり方を考える時、くくりとして文化と文明を区別したり、両者が異なる方向性を持つと理解する事は、より深い意味があるだろう。またそれが様々な問題発生の原因となっている事や、さらには文明は必ず滅びる事も、自ずから了解されるだろう。複雑な歴史的産物として現在の世界があるのならば、これから人類社会が進むべき方向性を示す事はかなり困難な作業だが、何らかのヒントぐらいは示せるのではないだろうか。

 現在の世界の文明のくくり



 文明が制度や技術だとして、なかでも具体的に世界に影響を及ぼす主因子となるのは、その国の統治(政治)体制、経済体制、社会体制そして科学技術である。さらにいえば、残念な事にこれらの要素から生み出される軍事力が、多大な影響を及ぼしていることは否定しがたい。国力とはまさにこれらの総体、総合力に他ならない。
 政治体制には、民主主義、社会主義、共産主義、独裁制などと呼ばれるものがある。経済体制はこれに被さる部分が大きいのだが、資本主義、社会・共産主義、その他の経済主義などがある。社会体制については、自由主義、一党独裁、宗教重視、など複雑でなかなか一言では言えないものがある。
 これら三つの制度がひとつの国家の中で複雑に存在しているのが、現在の世界である。したがって、それぞれの分野の体制(制度)でくくれば、ある種の文明ができあがるし、少し詳細に入れば、異なる文明と呼べるような文化の違いがあらわになる。

文明の要素


 一方で産業革命以降、文明の中で大きな比重を占め、影響力が大きくなったのが、技術・科学技術である。「科学技術」と、より大きなくくりの「技術」とは厳密に言えば区別できるのかも知れないが、ここではひとつの枠内でとらえて論じていくことにしたい。
 科学技術のくくりで文明を捉えるとき、青銅器文明とか情報文明とか、制度や体制とは異なるくくりを見いだすことが出来る。そして、20世紀、21世紀とその影響が他のくくりを越えて大きな影響を人類全体に及ぼし、その影響の度合いはますます強まっている。そのことが、文明とその枠に含められる国家とが完全には一致しない現状を生み出して、文明論や文化論あるいは世界を語るときの困難さを増している。

 また歴史を少し先取りして語るならば、体制や科学技術のくくりの他に、新たな概念要素もまた、文明の新しいくくりとして考えられるようになるかも知れない。たとえば、宇宙や海洋というくくりによるあらたな文明が生まれるかも知れないのである。
 これらを踏まえたうえで、現在の世界に影響を与えている文明をいくつか取り上げて、その概要を見てみよう。ただし取り上げる文明は、世界的に俯瞰したものというよりは、日本に影響が大きいと感じる文明をいくつか取り上げただけであることは、あらかじめ断っておきたい。