文化
第4章 現代世界の文明

西欧文明と西欧近代科学文明


 西欧文明と西欧近代科学文明


近代以降の人類の歴史に多大の影響を与えた文明と云えば、西欧(西洋)文明である。歴史的には、モンゴル(元)帝国など、幾多の巨大な領国を持つ帝国が存在したが、地球的な規模でその影響が及んだ文明は、人類史でも西欧文明が初めてなのかも知れない。

 西欧文明と西欧近代科学文明の違いは、歴史的な物かもしれない。西欧文明の中核であるヨーロッパ文明が、ローマやギリシャ文明から続くものとヨーロッパ人は考えたがる。実際そう公言するのだが、歴史や民族的な文化を比較すれば、ギリシャの派生文明ではあっても同じ文明で無いことは明らかである。それでも西欧文明は古く、14世紀には成立したと考えられている。しかし問題にしたい現代社会に影響を与える文明としては、17世紀の科学革命と呼ばれる近代的な科学思想の勃興と、それが具体化した18世紀半ばから19世紀の産業革命、それら以降の西欧近代科学文明の部分が大きい。さらに、18世紀のフランス革命によって、国民主権や自由・平等・博愛など西欧文明の主要概念も生み出された。それでも両者は同じ文明と言えるので、ここでは西欧文明と近代科学文明とをそれほど厳密に分けないことにする。

 西欧文明であれ、近代科学文明であれ、これらに関する論文や書籍が、世の中には溢れている。従って、それをわざわざ取り上げる必要も無いであろうし、何より作者の手に余る。それでも、後の話に関わるであろういくつかの事柄だけ触れておきたい。

 主知主義的傾向と特徴


 感情や意志よりも知性・理性の働きに優位を認める立場、理知的なものを根本とする思想的立場などを主知主義と云うが、西欧文明の特徴のひとつにこの傾向が色濃く出ていることは間違い有るまい。しかしこの土壌が、17世紀科学革命と呼ばれるほどの科学の発展を生み出したことも事実である。それが、近代科学文明へとつながっていく。

 この気質的な特徴とは別に、西欧文明の特徴としてあげられるものがいくつかある。たとえば、国民主権(国民国家)、資本主義経済、民主主義それに科学技術である。これらは文明の主要要素を現しているのだが、これらの大元には、内在性の尊重とも呼ばれる自分の事は自分で決めるという考え方が存在する。これが個人主義のもとになってもいる。言い換えれば超越性の拒絶であり、そのことがそれまでの「宗教」と科学技術の「科学」との間で、衝突が生まれる素地ともなった。

 宗教文明と科学文明の相克


 現代では、宗教と科学はとかく対立するものとしてとらえられることが多い。それは、キリスト教文化・文明を元にして発展してきた欧米各国が、宗教を否定的にとらえるのが科学的であると言う方向に進んできたことからも明らかであろう。世界的な宗教を文明としてとらえることは、現代人には難しいのかも知れない。だが、いわゆる教義や教えが、社会や政治(統治)体制におよんでいるのであるから、生まれた当時としてはそれぞれの文明(宗教文明)でもあったのだろう。ただ科学や科学技術の進歩によって宗教的な考え方が退けられるようになり、いつしか文明的な要素は薄れていった。かくして西欧文明では、宗教が文明から本来の文化に変わったのである。
 それでもなお宗教の持つ文化的な側面、すなわち人間の心の領域に関わる部分が、科学文明に侵食されたわけでは無い。ただ、世界の多くの宗教は、未だに科学との対立的な思考性が消えないために、無用な摩擦を生じさせている。その唯一とも言える例外が日本である。日本は無宗教なのでは無く、宗教の文明的要素は否定しながら、その文化的要素は認めてむしろ積極的に維持してきた。日本において宗教と科学が対立しないのは、そのためである。

 自由・平等・博愛


 フランス革命の旗印のこれらの概念は、西洋文明における価値観を表す言葉でもある。それまでの絶対王政や封建制から脱却して、多くの人々が自由を獲得したり、博愛に基づく人道主義が強化されたことは、この文明の評価すべき点である。しかし、裏と表はついて回るもの。せっかくの長所も、行きすぎると誤った方向に進みかねない。


 グローバル化とアメリカ文明


 グローバル化なる言葉が、当たり前のように使われてからすでに久しい。本稿の文脈から言えば、グローバル化とは「アメリカ文明化」に他ならない。アメリカ文明の受容こそ、グローバル化の本質である。だからこそ、グローバル化への反発も起きるのだろう。では、そのアメリカ文明とは何か。

 アメリカ文明


 1920年代からアメリカ合衆国の急速な発展がおき、世界の大国へと進んでいった。それは、西欧文明から派生文化としてのアメリカ文明が生まれた時でもある。アメリカ文明の中核とは、まさにこの経済的繁栄をもたらすための自由な市場、資本主義経済の進展に他ならない。
 この自由な市場に基づく資本主義は、科学技術とともに人類を飛躍的に発展させることになった。その結果、それらの経済体制を導入した国の国力が増大したことを見て、政治体制や社会体制が異なる国々も、進んで資本主義や市場主義的な経済体制を導入した。むろん、そこに政治体制や社会体制からのさまざまな歯止めがもうけられているために、それもまた文明受容の混乱となってしまった。

 もう一つの大きな特徴が、科学技術であろう。先端の科学技術を持つ人々を世界中から呼び集め、最先端の科学技術を保持してきたのがアメリカである。それがアメリカ文明の特徴としてとらえるとき、矛盾が生じる。文明の他文化への侵略的拡大傾向で行けば、アメリカ文明は世界に拡散させなくては成らない。実際、敬愛分野ではそうなった。だが科学技術においては、最先端の技術力を維持する事と他国が最先端の技術を持つことは、相容れない話である。このことも、アメリカ文明が引き起こす新たな問題になっている。
 それでも、アメリカ文明発祥の科学技術が、世界に広がり歴史を動かす原動力とも成ったことは、素直に認めて良いであろう。

 他にもいくつかの特徴を見ることが出来る。西欧文明で生まれながら、ヨーロッパ諸国においては必ずしも満足のいく形にまで発展しなかったイデオロギー、理念が「個人主義」「合理主義」「平等主義」などで有ろう。それを極端とも言えるほどに推し進めたのがアメリカである。ただ進め方が問題であるが。

 近代科学文明の派生でもあるアメリカ文明が、西欧文明と異なる文明ととらえることが出来るとするならば、その経済体制がより発展した事と、社会体制の一部の方向性が異なることが上げられよう。それが「力は正義」という考え方なのかも知れない。自らの価値観を押し通せないのは、力が不足しているためであると言う考えは、国力のよりいっそうの発展にもつながると同時に、いたずらに他国を蔑視し、自らの価値観を押しつけようとする力の外交をうみ、さまざまな国際紛争の火種や、世界的に広がっている反米感情を生み出す元にもなっている。

 アメリカ文明の基礎となる文化とは


 多民族国家というよりも、移民国家と呼ぶのが合っているのかも知れないアメリカ合衆国である。そこでは基になる民族や文化は存在しないのだが、ヨーロッパからの白人移民がその基である事は間違いが無く、その意味では西欧文明の文化とりわけキリスト教文化が基になる。しかしその後の非白人の移民の増加は、西欧文化だけでは言い表せない混沌とした文化を形成している。いいかえるならば、アメリカ文明によって保たれている国家というくくりこそ、アメリカ文化と言えよう。もしアメリカ合衆国というくくりがなくなるか、希薄になれば、アメリカ文化はいくつかの民族文化に分裂してしまうかも知れない。その兆候はすでに現れている。