文化
第6章 新しい文明と人類の普遍文明

人類普遍の文明とは


 人類普遍の文明とは


 技術を包含できる哲学的な文明思想


 文明が文化と異なり、技術や仕組みを中心とした物である限り必ず滅びる事になる。そうで無ければ、人類の進歩はそこで止まることを意味するのだから。進化論に依ろうと依るまいと、進歩の停止とは、滅亡への序曲に過ぎない。文明が次々と新しく生まれては滅亡していく、その繰り返しの中で人類の永遠性は保たれていく。むろん、地球という惑星や太陽の寿命など、いくら人間の科学が発達しても、それを押しとどめることが出来ない自然の力は、恒に存在する。科学技術の発達が、人類の地球脱出にまで到達できるのかどうか、いまの我々には想像すら出来ない事である。従ってここで論じる文明の姿とは、それまでのつかの間の話なのかも知れない。

 すでに科学技術から見た新しい文明については想像の翼を広げてみた。だが、ここでひとつ本質的な問題がある。それは、文明には普遍的な姿は存在しないのかという疑問である。文明を具体的に見るとき、政治や統治制度、経済制度、社会制度にわけて考える事ができる。これらすべての裏側には、科学技術と人間の精神性の二つがついていることは脇に置いておいて、これらの制度や仕組みには、人類にとっての普遍的なものは存在しないのだろうか、という問いである。
 これらの諸制度や仕組みが文明の一部として必ず滅びるのであれば、一体その最終的な姿とは何であろうか?われわれは、その一部にでも到達できないものなのだろうか?たとえば、自由や人権を尊重すると云う人類の普遍的な価値観だと現在謳われているものも、文明の進歩は全く新しい価値や有り様を、未来の人類に提示してくれるのであろうか?

 このような疑問の中、それでも尚、現在をそして近い将来を生きる我々は、現時点における最良と思える姿形を希求していく事しか出来ないであろう。それが文明の進歩なのだろうから。


 新しい文明



 生きずまりを見せる現在文明に代わる新しい文明とは、いかなるものなのであろうか?
 科学技術の進歩は止めること無く、それが人類の幸福に寄与する方向へと向かわせるべく、他の文明要素、政治・統治、経済、社会の仕組みを変えていくことが理想ではあるが、果たしてそううまくいくのであろうか。そのとき、今以上に激しい文明と文化の衝突、文明間の衝突、文化間の衝突が起きてくるであろう。しまいには、世界統一の独裁者が求められるようになるかも知れない。
 乗り越えるべき課題の具体例は次の章でみていこう。

 もう一つ考えるべきことは、仮に人類に普遍的な文明が生まれたとして、その文明と個々の文化との関係はどうなっているのであろうか?文化もまた、文明同様にひとつの形に収斂されるとするならば、文化が持つ根本的な指向性である独自化や細分化は一体どうなってしまうのであろうか。

 たとえば、国民皆保険制度は日本独特の制度であるが、それがアメリカ企業の進出を妨げているとして、アメリカは強くこの制度をやめさせようと圧力をかけてきた。だが、それでも、今なおこの制度は維持すべきものとして日本国民に支持されている。ここには、日本人の文化とアメリカ人の文化、もっと云えば考え方や感じ方が異なるのである。このような感性にまで関わる事柄において、人間はひとつになり得るのであろうか?仮にそうなったとき、それは人類がその多様性を失い自滅する第一歩なのでは無いのか。答えの無い問いに答えながら築き上げるもの、それが新しい文明である。