文化
第7章 人類の普遍文明と日本文化

第7章 人類の普遍文明と日本文化


 現在世界に大きな影響を及ぼしている文明は、すでのその限界が露呈し、新たなる文明の必要性が認識され始めている。そのなかで、科学技術文明については、最終の進化形は別として、近い将来の予測を考える事が可能である。しかし、統治・政治の在り方や社会の在り方に多大な影響を及ぼしている西欧文明や、資本主義や貨幣経済に代表されるアメリカ文明については、その将来の姿がはっきりとは見えていない。むしろ、混沌と混乱が拡大するばかりに見える。
 このような現状において、新しい文明あるいは普遍的な文明を考える事は可能なのであろうか?なおかつ、意味があるのだろうか?そんな疑問を持ちながらも、現在の混乱がさらにひどくならないための方策を考えるきっかけぐらいにはなるだろうと思う。


 乗り越えるべき課題



 西欧文明やアメリカ文明そして科学技術文明の限界については、すでに述べてきた。ここでは、それらのくくりとは別のくくりで、人類世界がいま直面している困難な課題や問題点をいくつか取り上げてみたい。すでに内容は取り上げたものも多いが、世界を横断する形のくくりで見ることにより、別の姿が見えるかも知れない。


 力は正義の現実


 「力は正義」という言葉にはいくつかの意味が包含されており、誤解を招く事も多い。本質的には、アメリカ人が信奉する力こそが正義そのものであるという解釈になる。力なくして正義を達成する事は出来ないともいえ、正義感と力の行使は別のものと考える日本人にはわかりづらいものである。そのために、勝てば官軍といった風に受け取る事も多い。実際その要素は確実にあるが、逆に欧米人にはそれが主だとは理解しがたい。

 西欧文明やアメリカ文明の根本に流れるものは、力は正義という現実重視の考え方である。何でも、馬鹿正直に理想主義的な考え方をしてしまう日本人の性格には、最も合わない考え方とも言える。だが、世界はこの原理によって一定の秩序が保たれ、理想主義的な考えや行動を許すよりどころとも成っている。このような「力が正義」との考えが、現実の正しい認識を導き出してもいるが、反面、侵略的な覇権主義や傲慢な大国主義を生み出していることも忘れては成らないだろう。

 犯罪者を取り締まるのは、法律の条文が言霊の力を有するからでも、犯罪者も理性があって話し合えばわかるからでも無い。警察をはじめとするさまざまな実力行使の力が社会に存在するからである。国民の総意により委託された一部の実力行使権限を持った人間が、法律の許す範囲内で、暴力に対しても対抗できる力(武力)を有しているからに他ならない。

 理想主義的な考え方が悪いわけでは無い。だが、そのような子供じみた現実を無視した考え方や行動を保障してくれているものこそ「力は正義」の力なのである。
 ヨーロッパにおいては、それでも長い戦争の歴史や人権重視の必要性などから、「力は正義」という考えを認めながら、それが最小になるよう考えてもきた。しかし、アメリカは欧州が植民地支配を進めたのと同様に、自らの価値観を世界に広げることは、正しいことであり、そのためには力が必要であるとの強固な信念に近い物を持っている。さらに自国の覇権主義を隠蔽して正当化するのに、この考え方を利用している国々は他にも数多くある。それが世界のいまの現実である。
 欧州でも、自国の権益の最大化という考え方は、決して放棄されたわけでは無い。むしろ、形を変えて巧妙化することで実現を図っている。日本初の世界標準がなかなか生まれないどころか常に欧米等に邪魔されるのは、その典型例である。スポーツなどにおいても、ルールや開催に関わる事をすべて牛耳ることで利益を上げている。それが、アメリカの一国覇権主義と激しくぶつかるときもあれば、共通の敵には、協力してつぶしにかかる現実路線となる時もある。

 戦後日本人が、金科玉条のごとく奉るもののひとつに「民主主義」がある。だが、これがいかに脆弱かつ理想からほど遠い物であるか、その認識が日本と世界とでは違いすぎるのも、この力は正義という事実を正しく認識できていないからである。これについては、「【補章】「民主主義」幻想」で述べることにする。

 ようは、「力が正義」をどう制御して、新しい文明の枠の中に組み込んでいくのか、それが課題なのである。


 広がりすぎた集団間の格差


 格差の拡大という言葉を聞かない日はないほどに、実に様々な格差が世界中で出現している。そして、その格差の主体もまた千差万別である。国家間の格差、民族間の格差、世代による格差、職業・仕事による格差、正規・非正規の格差等々、さまざまなくくりの格差が存在している。
 そして、現代文明における問題は、その格差が大きすぎる、目立ちすぎるということである。昔から必ず格差は存在していたのだが、支配者と非支配者層というようにわかりやすく、またその差異が誰の目にも明らかであった。だが、いまや格差は、その大きさの割に実態はよくわからない事が多い。その事が、なおさら多くの人の不安や不満を生み出している。

 誰でも努力次第で、アメリカンドリームをつかめるはずで、それ故に格差はむしろ是認されていたはずのアメリカにおいてすら、いまさまざまなグループから格差に対する不満が噴出している。これは一体どうしたことなのであろうか?格差の質が、現在文明においては変質しているのであろうか?この複雑きわまりない格差を是正して行くには、人類の根本的な仕組み(文明)まで変えなくては成らないのかも知れない。


 第二次世界大戦後の政治体制の変革


 現在の世界は、国連の常任理事国によって現実には支配されている体制下にある。そしてそれは、第二次世界大戦後に確定された物であり、歴史的にはさまざまな問題を含んでいる。
 その一つが、現在の国境と実際の民族分布の問題がある。世界最大の国を持たざる民族クルド人問題などは、その典型的な例である。欧米及び戦勝国によって人工的に作られた現在の国境は、民族間の対立の火だねとも成っている。
 このようなゆがんだ戦後の体制には、国境以外にも、遅々として進まない国連改革などがある。世界の良識という仮面をかぶりながら、実態は、戦後体制を維持するための機構でもある現在の国連。愚かな日本人は、国連が、第二次世界大戦の連合国という名称そのものであり、決して敵国条項などを削除させない現実を知らなさすぎる。  このような戦争の結果として生まれたいまの世界の体制を変革して、本当に自由で平等な世界連邦をめざすには、一体どれだけの努力を要するのであろうか?そして、この実現無くしては、人類に普遍的な文明などあり得ないのである。

 その一方で、結局は力による現状変更は、戦後にも世界のあちこちで起きている。ロシアによるクリミア併合だけでは無く、東西ドイツの統合とて、基本は力による物であることに注意すべきだろう。
 力の無い多くの国々が、覇権的な少数の国にどう立ち向かっていけるのか、この答えなくしては、結局新しい文明もまた、新しい覇権主義国家や民族の手に依るものになるのだろう。