烈風

原子力で考えるべき事とは


今回の福島第一原発の事故により、原子力=原発(=電気)という図式が固定化してしまっている。だが、原子力を考える上では、それだけではすまない。最低でも5つの分野を、考えなくてはならないだろう。冷静で、科学的、政策的な分析と決定が不可欠となる。

  すべての話題がここに集中しているのだが、逆に、エネルギー政策は原発だけでは語れない。より、広範で長期にわたる政策が密接に絡んでくる。結論だけ言えば、原発に頼るエネルギー政策は、もはやコスト的にも成立しないであろう。今すぐ廃炉にすべきものと、10年くらいは安全そうなものとにわけるべきだ。
 なお、ここまで国の借金(1000兆円)が積み上がってしまった今、雇用や地方自治体の運営は、もはや原発だけの問題ではないので、それだけを論じるのは誤りである。
 ここではこれ以上立ち入らないが、日本人と原子力ということで、最後に補足をしておいた。
  産業分野としての原子力といえば、原発以外にも、医療などの分野がある。他国では、軍艦だけではなく、原子力船の建造も考えられているようである。これもまた、産業分野となる。
  日本は、いったい原子力産業をどうとらえ、どこまでやるのか、原発だけにとどまらない総合的な評価と判断が必要になる。さらに、原発がらみで言えば、使用済み燃料の処理、原発廃炉、除染などの産業としての側面も考えなくてはならない。

 このうち、使用済み核燃料処理については、日本一国の問題にとどまらず、また産業レベルで解決できるようなものではないと思っている。人類にとっての負の遺産にならないよう、この分野での科学技術の発展を、人類全体で図らねばならないだろう。


  原発には、輸出産業としての顔もある。国内ですべての原発を廃止して、輸出だけは行うという選択肢は理論上はありえる。だが、原発によらずインフラでは、国内で使用しないものを輸出することは、相手国から敬遠されるばかりか、技術力確保の面からも、実現性に疑問符がついてしまう。むろん、どこか他の国に、原発企業を丸ごと移す手もないではないが。

  いずれにせよ、日本の産業構造の欠陥である特定の分野に参入する企業が多すぎるのは、原発においても同じである。原発のような特殊な分野では、1国に1社でなくては無理であろう。既存の原発メーカーは、原発部門を切り出して別会社にまとめることを行うべきである。さもないと、万一にも輸出先で問題が起きれば、本体全体が倒産しかねない。もはや、原発リスクを甘く考えるべきではない。
日本の安全保障上、核兵器の保有議論は避けては通れないものであろう。しかし、核の均衡抑止力という考え方は、以前ほどの力を持たなくなってきている。実際、自国にも核が打ち込まれる前提で、核を使用する国はまずあるまい。となると、核兵器は、核を持たない国に対する恫喝の道具としての意味合いしか残らなくなる。
  このような前提にたてば、核保有か絶対反対という2者択一だけの迷路から抜け出してやるべきことが見えてくる。ただし、安全保障上は核をいつでも持てるという選択肢があることは意味がある。

  軍事的には、核に相当する威力のある通常兵器(CSMなど)の開発への参加が考えられる。また、核兵器の廃絶をすすめることで、軍事力のアンバランスをなくす努力も必要になる。

  もうひとつ、技術の進歩によって、核がテロに使用される可能性は大いに考えられる。これをいかに食い止めるかは、イスラムvsキリスト教だけの問題ではない。より広範、複雑な対立が、アジアやアフリカでも起きることも予想されるので、この分野でのインテリジェンス(政策決定のための情報収集・分析等)が課題となる。
  また、ブロークン・アローと呼ばれる核爆弾の事故問題も、考えなくてはならない。
  外交、というよりも他国からの影響といいなおすべきかも知れない。産業としての原子力とも絡むのだが、原子力に対する有形無形の圧力がある。
  福島第一原発事故後、多くの外国人が日本から逃げ出す中、すぐにフランスの大統領が来日した。その目的を当時の総理がどれだけ理解していたのか、心もとなく感じたのは、フランスのサルコジ大統領が終始硬い表情だったのに対して、菅総理は歯を見せてにやけた顔で握手の手を出していた。世界から白い目でみられる最中、駆けつけてきてくれたと本気で喜んでいるように見えた。そのおぞましいほどの無能さに、これでは原発事故も起きるなと考えさせられてしまった。日本が、外交無策・無能と言われる所以でもある。

  原発推進国フランスにとって、いったいどれほど自国や原子力産業への影響があるのか、またあわよくば、ライバル日本を蹴落とすチャンスとして、自らの目で確かめにきたことは当然ともいえる。もうひとつの国はいうまでもないアメリカである。スリーマイル島の事故以来、原発の新設をとめていたアメリカが、オバマ大統領のもとで再開をはじめた矢先だった。米仏とも、原発産業市場への悪影響を懸念したのである。
 また、産業としての原発、日本の核武装(アメリカは無論強行にこれを阻止しようとしている)というアメリカの国益に直結する問題を、日本が国内問題として独自に決定することを、快く思っていないのである。つまり、アメリカのコントロール下に、日本の原子力をとどめておきたいのである。

 原発再稼動には、外国からの有形無形の圧力があるという。余談だが、ヒステリックに反対を唱えるだけの日本のマスコミは、もっとこういう真相を報道する努力をすべきであろうに。
  原子力は、原発だけではなく、医療などの分野でも使われていることを忘れてなならない。したがって原子力にかかわる技術をすべて封印するべきでないのは当然なのだが、個人的には、もっと別の観点から考えることがある。

  長期的にみて、人類が原子力を「火」と同程度にまで制御可能になり、放射能の影響をなくすことができれば、人類にとっては大きな福音となる。100年以上の単位でみないと困難な課題かもしれないが、それでも基礎研究は人類全体として継続して行くべきであると思っている。
 人類のエネルギー問題だけを考えているのではない。たとえば、地球に衝突の恐れのある小惑星の、軌道変更時にも使用できるかもしれないのだ。


[補足]

 福島第一原発事故のあと、ブログで原発について何度か書いた。
 ひとつは、各国の原発数をもとに、人口や国土面積などから、日本における原発の最大数をはじき出してみた。結果は、日本では10基以下というものだった。これに、日本人と核との相性を考えると、持てるのは最大5基程度までであろうか。それも、常に最新型に更新しなくてはならない。
 これはもはや、発電コストの安さとは関係のない世界である。上記の様々な分野と将来を考えての決定になる。結果として、発電の強力なバックアップも兼ねる(柔軟な社会)ことは当然であるが。

2012.05 改
秋山鷹志