批評家はプレーヤーには成れない 政治家は?


 優秀な選手が優秀な監督とは限らないということはよく言われる。
同様に、優れた批評家が、その分野での優れたプレーヤーになれるとは限らない。  会社の評価は下せても有能な経営者には成れないし、優れた批評を書こうとも優れた創作文学を書けるとは限らない。

 この当たり前の事が、もしも、政治の世界で起きてしまったならどうなるのか。今の混迷する民主党政権を見ていると、様々な問題は当然あるのだが、その大きな問題のひとつが、この点にあるのではないだろうか。政治家の資質があるとは思えない政治家ばかりが眼につく。
 これまで、野党で批評家であったものが、いきなり、政権政治家、プレーヤーになってしまったのである。批評家即政治家には成れない。あまりに長く、政権交代がなかったので、この簡単な事が忘れられていたのではないだろうか。

 これから、もっと本来の機能を発揮できるような人材を、政治が登用しなくてはならないとしたなら、この問題をいかに克服するかが重要な鍵のひとつになる。

 弁護士や医者が国家資格を必要とするように、いや、保母さんのように誰でも子供への愛情があればできそうに思えるものですら、資格がいる。なぜ、政治家にはそのような資質が問われないのであろうか?

 政治家養成の塾はある。有名なのが、松下幸之助の松下政経塾である。この塾出身の政治家はかなり多い。だが、政治の技術的な事は学んでも、人格や政治家としての資質がない。いやそもそも、幸之助の意に反して、政治家としての資質が簡単な教育で身につけさせられるとは思えないのだ。かくして、小手先の手練手管で政界を遊泳するだけの、愚かな政治家が増えている。

 政治家としての資質を持つかどうか、国民はどうやってみきわめていけばよいのであろうか。大きな課題である。


 ちなみに、ブラジルでは憲法で非識字者は当選できないとされている。ま、日本でも日本語の間違いを多く指摘される宰相もいたようだが。また、アメリカのある州では当選した議員が,英語を充分に理解できないとして、議員資格なしとされた。難しい問題ではある。


2010.11
秋山鷹志