死刑判決が4倍 それが何か?


 最高裁やら刑法学者やら、これが日本のトップ知性の現状であろうか。何とも情けないと思うのだが。

 ほとんど目立たないニュースである。その割に、ネットでは、私と同じようなことを言ってる人もいるが。

 最高裁の司法研修所が、まとめた調査報告である。

 『殺人事件の起訴に対する1審での死刑判決の割合は、この20年で4倍近くに上昇。戦後の混乱期並みとなり、厳罰化の傾向を顕著に示した。』というもの。(0.25%から0.99%へ)

 で、『死刑については、裁判官が積み重ねてきた量刑判断を尊重する必要性が高い』とし、『評議を裁判員らに促す狙いがある。』という。つまり、裁判員は、過去のプロ裁判官の判決をまねろ、と言ってるのである。


 司法が閉じられた世界になって、一般市民の常識からかけ離れてきたからこそ、裁判員制度が導入されたのである。その結果について、死刑以外の厳罰化は尊重するとか言っておきながら、死刑判決は過去に従えというのでは、筋が通らない。死刑反対を暗に言いたいだけなのか、自分たちプロに従えと言いたいのか、いずれにしても、何とも情けない話である。

 本当に議論されねばならないことは、4倍という数字ではない。どうして、戦後の大混乱期と同じ死刑判決が出るような社会に、成ってしまったのかという事で有る。市民が厳罰主義に走るのは、それだけ社会が病んでいる、あるいは多くの市民が病んでいると考えているからである。犯罪発生件数や、それに対する死刑の割合が問題なのではなく、本質は、市民が今の社会は犯罪が多く、凶悪な社会だと感じている所にある。この視点なく、議論などしても始まらない。


 バブル崩壊後の日本の崩壊は、絶望の20年史とでも呼びたくなる、日本社会の劣化である。その劣化を犯罪という事でも身近に感じているからこそ、多くの市民が厳罰を望んでしまうのだ。ゆとり有る落ち着いた社会になれば、おのずから判決も寛大なものとなろう。問題は、社会そのものにある。

2012.07.25
秋山鷹志