烈風

すべての法の改革を


 日本はいわゆる法治国家、すなわち法によって治められている国のひとつである。だが、その根本である法律を見てみると、あまりにも酷い状態にあるといわざるを得ない。もとになる法がこれでは、社会の混乱も当然かとさえ思ってしまう。

 法律には、憲法があり、基本法があり、各個別法がある。刑法とか民法とか言うのは、個別法の対象別区分に過ぎない。

 憲法は、本来は、国民が政府(統治者)を規制するものなのである。そのためイギリスのように明示的な憲法を持たない国もある。こんなことも知らないで憲法を論じて平気な人間が多いのも困ったものなのだが、日本では、歴史的に非統治者(統治される側)が、血を流して統治者を打倒したという経験がないので、憲法はすべての法の一番上、単なる最高法規という意識しかない。今の時代、それで十分かもしれないが。


 戦後70年も経った憲法には多くの問題が顕在化し、もはや最高法規としての機能すら十分に果せていないのだが、無理な解釈に解釈を重ねて今日にいたってしまった。その意味で、憲法を時代に合う新しいものに変えようとしないということは、とりもなおさず、古い時代、既存の体制や仕組みをかたくなに守ろうとする、其れによって自己利益や保身を図っていることにほかならない。

 日本には、いま基本法が40ほどある。教育のような大きなテーマから、自殺対策やがん対策などのようにかなり個別のテーマまで様々である。逆に言えば、あまりにもレベルがばらばらで統一性がなく、基本法としてまとまっていないことになる。作られた年代もまちまちで、時代にそぐわないものも出てきている。すべてを一度見直す必要があろう。

 憲法や基本法がこの状態である。個別法はさらに酷い状態にあるともいえる。ひとつはあまりにも条文が多く複雑になりすぎていることがあげられる。また、戦前からの古い法律は時代に会わない部分も出てきている。

 また、このように複雑で多すぎる法律体系になってしまったのも、既存のものをまとめて整理することなく、屋上屋を重ねてきたのは、それで得する官僚や法曹関係者がいるからであろうか?
いづれにせよ、古いものを捨てる、不断に見直しをする、そのことを憲法にでも明記する必要があろう。


 国会議員は、立法府に属するするわけで、その主要な仕事は法律を作ることにある。だが、簡単に政治家に転向する多くの国会議員たちに、その自覚があるのだろうか?あわよくば大臣になってふんぞり返るのが仕事だとでも思っているのではないか、と言うのは言いすぎだろうか?

2012.05
秋山鷹志