烈風

  創設「公共や国民への背信の罪」


 次々と明るみに出る、東日本大震災時の情報隠蔽やうそ。しかも姑息なことに、分かっていて隠蔽していながら、後になってほとぼりが冷めた頃に出してきて責任を逃れるという恥知らずな事を、政治家はむろん。国も自治体もマスコミも、みんながやっている。なんと言う恥知らずな。

 放射能拡散予測のSPEEDI の情報だけでなく、在日米軍が実際に空から測量した放射能汚染図まで、官僚などが隠蔽していた。地方自治体も、国からの情報を隠蔽して住民に出さなかったり、多大の犠牲者が出て問題となった小学校の避難では、津波発生時には避難行動を取っていなかったのにもかかわらず、教育委員会などが隠蔽、さらには生き残った教師に嘘の証言をさせるなど、およそ、この国は腐ってしまっているとしか言いようが無い。


 これも、ひとつには、官僚などの公務員や政治家などが嘘をついても、情報を隠蔽しても、当事者達が直接何の罪にも問われない事が、原因としてあげられる。そもそも、情報の隠蔽や嘘をとりしまる法が存在しないのだ。職務によって損害を与えた明確な証拠と因果関係が無い限り、およそ罰せられることはない。
 福島原発事故でも、東電をはじめ関係者がだれ一人として責任を感じているように見えないのも、その為である。東電の経営陣などは、国などの言うとおりにしていて、間が悪く大津波がきたら事故になったのだから、自分たちは被害者である、とすら思っているように見受けられる。

 少し前までなら、大きな事故などの時、関係者が自殺することがままあった。今回、これだけの国家存亡の危機を招きながら、誰ひとりとして自殺したものはいない。年3万人を越える自殺者が問題となっているなか、不謹慎なたとえかもしれないが、およそ責任感を喪失した日本人の姿を示しているようにすら思えてくる。


 解決策にはならないかもしれないが、今後のために、新しい刑罰を導入するべきであろう。それも相当に危険でかつ、まったく新しい概念に基づく刑罰を。それが、「公共や国民への背信の罪」である。

 日本に『背信罪』という罪は存在しない。似たようなものとして、背任罪、特別背任罪ならばある。だが、これらは、任務に背いて公務員や会社員が、他に財産上の損害を与えた場合に適用される罪である。ここで論じる背信罪とはまったく異なるもので有る。

 罪としての背信に関わるものが、ひとつある。戦時国際法(国際人道法)で、違法とされるものに『背信行為』がある。これは、休戦旗や赤十字旗を不当に使用するなどの行為である。

 『背信』とは、信頼や約束を裏切ること、信義にそむくことである。まさに、そのような行為を違法とする法が必要である。これによって始めて問題となっている、政治家や公務員、会社経営者、学者などの背信行為、国民や公共に対する裏切り、信義にもとる行為を取り締まる事が出来るのでは無いだろうか。


 「背信罪」でもっとも問題となるのが、その適用範囲と対象であろう。また、新しい事実が後から判明したときの遡る形での適用をどうするのか、法として成立させるための課題は多い。だが、それでも、たとえどんな制限をがんじがらめに加えてでも、人間としての責任や信義を失ってしまった今の日本人に、それなりの意識改革を望むには、絶対に必要な法律であると思う。


 その都度、国会や裁判所が、適用範囲や対象を指定(時限立法という意味ではない)しても構わないと思う。いまであれば、「東日本大震災における地震と津波災害での情報、活動、行為」あるいは、「福島第一原発の事故に関わる情報、活動、行為」のようにである。このばあい、重要な点のひとつが、たとえば、福島原発への過去の対応が正しかったかどうかも対象範囲に入ると言うことである。指摘されるように、以前に大津波の被害が指摘されながらそれを無視した学者や国、東電の責任を問うには、このような法律が無い限りけっして真実を明らかにし、責任の所在を明らかにする事などできない。
 そして、この法律の目的は個人の責任追及ではなく、かかる仕組みやシステムの問題点の抽出と、二度と起こさないための対策を得ることである。
 したがって、逮捕しなくても、関係者に真実を語らせるだけでも、この法律が存在する意味は充分にある。機能しない事故究明ではもはや拉致が開かないのだ。


 過去がどうの、慣例がどうのというのではなく、常に新しい考え方による法律のあり方を考える事も、新しい社会を作る上で大切な事ではないだろうか。

2012.06
秋山鷹志