烈風

教育改革:食の教育(食育)

 「食べる」ということは人間の生存にとって最重要課題のひとつである。戦後の日本は豊かさを手に入れるに従い、しだいに飢餓を忘れてきた。しかし、いまだ世界中に飢餓は蔓延しているし、何より豊かであはずの日本で、貧困による餓死者がでてきている。また、いわゆるジャンクフードなどの氾濫による栄養の偏りや、健康上の問題が引き起こされたり、過食症、摂食障害など食に関する問題が、数多く噴出してきている。

 社会の根幹を揺るがしかねない「食」の問題を、もっと真剣に考えていかなくてはならない。それは、教育との関係においても同じである。いや、教育でこそ「食」を正しい、より良い方向へと導いていかなくてはならないだろう。

 そして健康と並んで「食」で考えなくてはならないのが、『食文化』である。その国の食文化とは、突き詰めればその国民の味覚、感性につながっていく。素材本来が持つ味を堪能する和食が、だんだん廃れてきた一因に、現在の日本人が、微妙な味を感じ取れなくなってきたことがあるのだろう。ジャンクフードにならされた舌では、素材の微妙な味わいを感じることは難しい。最近では、味覚障害も多く見られるようになり、一部では社会問題にまでなっている。ひたすら「おいしい=やわらかい」と絶叫する多くのテレビ番組は、はしなくも日本人の味覚の劣化を雄弁にものがったっている。柔らかいこととおいしいこととは、当然別の話である。

 教育そのものが、躾から生涯教育まで幅広いのと同様に、食の教育もまた、広範に及ぶ。そのすべてを学校や教育の場で対応することは出来まい。だからこそ、なおさら、幼児や初等教育において、本来の味がわかる味覚を殺さないような努力をしなくてはならない。問題になっている給食の異様な組み合わせなど、根本から改善しなくてはならない課題は多い。


 そんな食の教育が扱う分野には、次のような物があるだろう。(順番は思いつくまま)

☆ 食文化と味覚
     ・文化の基底としての食文化の継承
     ・食べ物の好みと地域文化の関係
     ・食文化の世界的発信と日本の食文化の特徴
     ・微妙な味を認識出来る繊細な味覚の維持
     ・西洋の食文化の価値観の押しつけ
     ・日本の特殊な安全性(水道水が飲める、生卵が食べられる等)
     ・食事作法

☆ 生きることと個人の食事
     ・安全な食品とは
     ・栄養学
     ・食にまつわる病気、食物アレルギー
     ・ダイエットなど健康への関わり
     ・個人の選択と嗜好の尊重、横並びからの脱却
     ・異常な平等主義からの脱却
     ・日本の食の概念を海外に適用する怖さ
     ・正しい食べ方(ゆっくり、良く噛む等)
     ・調理法、料理の楽しさ

☆ 社会と食
     ・ジャンクフードと成人病
     ・作られる「おいしさ」の問題など経済社会との関わり
     ・フードロス
     ・日本の食糧自給率、食糧危機への対応
     ・基礎食料の自給体制
     ・栄養や味より姿形を重視する現在の日本社会
     ・鳥インフルエンザ、狂牛病など、食べ物が脅かす社会の安全
     ・食物アレルギーや好き嫌いと差別、いじめ

☆ 食料と人類
     ・食料の安全保障、食糧危機
     ・食べるものが出来る過程と実際の体験
     ・食料と世界の現実(食料の先進国偏在)
     ・食の研究
     ・食糧増産の研究
     ・遺伝子組み換え等最新技術と研究
        
☆ 生命と食事
     ・人間の『生』は、『他の生』を食することで保たれている事実
     ・肉食獣を忌み嫌うことの愚かさ(誤った人道主義)
     ・目に見えない動物解体の現実を認識する
     ・食べ物への感謝の念を育てる

☆ 産業としての食
     ・第一次産業としての農業、漁業を考える
     ・新しい食の産業を起こす
     ・食物生産工場の研究と課題を理解する
     ・養殖の研究の必要性を理解する
     ・料理人への道を提示
     ・食に関わる様々な職業
            (生産、加工、流通、販売など幅広い分野にわたる事の理解)
     ・食料の検査体制の必要性を学ぶ


これらを実際に実践する場としての地域社会と学校での実践
     ・義務教育の給食の無料化
     ・全て米食を基本とする給食
       −地域の米を中心に、他県の米も時々出して説明する
       −白米ばかりではなく、時に麦、五穀、胚芽米なども出す
       −カレーやピラフなど料理によって米が異なることを理解させる
     ・地産地消と国産の原則
     ・様々な材料を使用
     ・廉価ばかりを求めない
     ・栄養重視から味覚重視へ
       −異常な食べ物の組み合わせをしない
       −米を食べながら牛乳を飲むような事は避ける
     ・柔軟な給食
       −弁当との併用、持ち込みなどの柔軟性
       −一品は選択出来るメニューにする等
       −近所の食工場からの寄付をおやつに出すなど
       −時に本格的な和食、洋食なども経験させる
     ・全員同じでなくてはと言う考え方を止める
       −寄付されたおやつは早い者勝ちというような実社会と同じ仕組みも導入
     ・効率より文化重視
       −ひとり用の紙パックの飲み物ではなく生徒が自分でコップに注ぐやり方
     ・教師が生徒と一緒に給食を取る
       −献立内容などを説明して理解させる
     ・繊細な味覚を育てる
     ・いやがる物を強制して食べさせない
     ・食料生産の実習(農業、漁業)
     ・調理実習
     ・いただきます,ごちそうさまの励行


 食を取り上げると、食べ物の生産から栄養や健康、さらには味覚まで、非常に幅広い分野がからんでくる。まず、この食を教育として行う場と範囲を、大まかにでも決定しておかなければ話にならない。だが、中心はやはり実際に食事をする場、すなわち給食の場であろう。それを補完する場として、家庭科や保健、社会などの基本科目と料理や栄養などの特別教科の場があるのだろう。

 この給食の場、言い換えれば昼休みなのだろうが、この昼休みと同じという考え方から改めないといけない。言葉狩りをする気は毛頭無い。あくまでも、関係する人々や社会の意識の問題である。休み時間に何か食べているのではない、『食事の時間』という大切な時間なのだという認識から始める必要がある。学校における食事の時間は、そのまま食の教育の時間でもある。むろん、のどを通らなくなるような堅苦しい話をしろというのではない。寧ろ逆で、食事の楽しさ、大切さを身体でわからせながら、ほんのちょっとしたスパイスとして、食にかかわる知識を教えるところから始めるのだ。

 上記に掲げた項目の中から、いくつか具体的な話を見てみよう。

給食の目的

 戦後すぐの給食の目的はいうまでもなく、児童の栄養であった。それが飽食の時代になっても、いまだに最大の目的のままなのはおかしい。もちろん、栄養のバランスなどを無視してよいというのではないが、食事としての楽しさや、食文化の大切さを理解させることなども、教えなくてはならない。食事の実体験を通して、優れた味覚が育つようにしていく。そうすれば、おのずからジャンクフードへの依存も減るであろう。また、高学年になって来たならば、さらに進んで、地元の特産や食事のマナーなど、他の分野に話題を広げていくことも出来よう。

給食のあり方

 ・制度的には、給食は原則無料とし、義務教育では完全提供とする。だが中学になってきたら、食堂との併用など、学校や地域の実情に合わせていけばよいだろう。蛇足だが、子ども手当てとして給食費を親に支給するというやり方には、反対である。子どものためであるなら、子どもに直接渡るようにすべきである。つまり、給食費を集めるというようなやり方は廃止すべきである。給食費を納められる納められない、などという差別もなくなるし、何より事務も簡素化される。

 ・給食は、たとえ生徒が一人しかいない分校であっても提供されるべきであり、それには、給食センターなどのあり方ともかかわるので、一概には言えないが、その地域のレストランや弁当店などの協力も仰いででも、実現すべきである。学校関係者全員分になれば、生徒数の少なさもカバーできるであろう。

 ・昔は、食べ物の好き嫌いに厳しい学校も多かった。食べるまで居残らせるなど、発達心理上好ましくない対応も見受けられた。かく言う私も、子どものときは偏食であった。だが、大学に入って、飲酒しながら様々なつまみを食べるようになってから、好き嫌いがなくなってしまった。実際何が食べられなかったのか、覚えていないほどである。したがって、好き嫌いにはそれほど目くじらを立てることはないだろう。が、子どもでも食べやすいピーマンを作るとか、まったく違う形での対応は、大いにおこなわれるべきであろう。

 ・食物アレルギーや病気などとの関係は、よく考えて対応する必要がある。人間(教師)にたよるのではなく、教室の端末にその日の献立とアレルギーのある生徒名が自動で表示されるような機械化も導入されるべきである。今の日本では、教育全体のシステム化が、あまりにもお粗末だと思う。

 ・人間性を無視した画一的ないわば「えさ」扱いを止める必要がある。生徒が自主的に食事の用意をしたり、食べたいものを選択出来る機会を増やすべきである。給食の時間が、コミュニケーションの時間ともなるはずで、こういう所から日本人の国際性が育まれていく。豊かな食生活(給食)は、豊かな人間性を育てる基礎ともなる。

 ・地産地消や第一次産業の維持、食糧安保などの観点からも、学校給食がその全体のシステムの中に組み入れられていくべきである。行政の縦割りなどは、ここに存在してはならないし、単純な利益追求の民間化も、人間性無視の役所仕事の給食も、行われてはならないのだ。



 キリが無いのでこのくらいにしておこう。
 低学年から、高学年まで、連続して総合的に行われる食の教育は、社会のあり方にも良い影響を与えてくれるはずである。こういう所にこそ、消費税の有益な使い道がある。

                               2013.04.08
秋山鷹志 On草子へ戻る 烈風飛激へ戻る