烈風

自然死が当たり前の社会


 戦後あまりにも「命」の大切さを強調するあまり、「死」を忌み嫌いまるで邪悪なものでも あるかのように考える風潮が社会に生まれてしまった。さらに家族が分断され、身近な人を看取ることもなくなり、死はますます遠い存在に追いやられてしまった。

 しかし、世界でも類を見ないほどの高齢化社会とは、まさに死を身近に感じる社会でもある。 孤独死や孤立死などの社会的な問題も大きいが、身近な家族の生の終末をどのように迎えるかは限られた人の問題ではなく、日本人全体の課題でもある。


 私は両親の死に際して、まったく対極的な二人の最後を看取ったのだった。父は運ばれた近所の 病院のお世話になることがあった縁で、最後もそちらに入院した。もう長くはないと告げられたとき治療方針として、とにかく本人が苦しまないようにということをお願いした。すでに齢90近い高齢である。年齢に不足はなかったので、特に延命のための延命はしないようにとも依頼したのだった。しかし、その病院が、当時すでに胃ろうの上手な病院であったことが、結果として父親の長い入院生活を呼び込むことになってしまった。

 点滴には、ほとんど栄養がないのでやってもあまり意味がない、胃に管を通して直接栄養物を入れる胃ろうというのがあるが、どうするかと尋ねられた。医学知識もなく、深い考えもなかった私は、では、お願いします、と軽く答えていた。

 我が家では、両親の親たち(私の祖父母たち)も若くして死んでおり、親戚や友人の死は別として、ごく身近で人が死ぬ場に立ちあう経験がまったくなかった。心臓が丈夫だったのか、生命力が強かったのか、胃ろうのせいなのか、何回か危篤だと呼ばれて病院にかけつけたのだが、そのたびに持ち直していた。ついには、医者が遠まわしにもう呼ばなくてもいいですかと聞いてくるほどであった。

 24時間介護してくれるので、立ち会うこともないとはいいながら、毎週洗濯物の交換には必ずいかなくてはならなかった。そのたびに見舞っても、話しかけに答えるわけでもなく、そもそも意識もあるのかないのかよくわからなかった。痰の吸引ようにのどに穴をあけられ、血圧測定などの管が体中に巻きついていた。そして、ほとんどいつも両手がタオルでベッドに縛られていた。体を血が出るほどかきむしるので、そのためだという。
 こんな状態に、はじめは私のともに見舞っていた母も、体が思うように動かなくなるに従い、見舞いの回数も減ってしまった。この入院、なんと2年近く(1年10ヶ月)も続いたのであった。

 途中からは、こんな形で、単に生かしておくだけのことが本当に本人のためになるのだろうか。そう思うようになっていた。むしろ早く楽にしてあげたいとさえ思った。


 長い入院で精神的にも疲労がたまったのだが、経済的にも負担が重かった。個室ではなかったが、保険適用外の項目も多く、毎月の支払いはなんと17万円もかかっていた。以前の2度の手術などを加えると大変な医療費の負担であった。


 こんな父の入院姿を見ていた母は、自分は絶対に入院したくないと言っていた。脳に腫瘍、認知症など多くの病気を抱えていた母を、通院で車に乗せて病院に連れて行くのも、次第に困難になっていった。大学病院での長い待ち時間を車椅子で待つこと自体が、難しくなってしまったのだ。

 母の望み通りに、家で看取ってやりたいとは思ったが、素人が簡単にどうにかできるわけではない。幸いにも、大学病院の紹介で、割合近いところに訪問診療をしている医師が見つかった。ちょうどほとんど寝たきりになったくらいから、見てもらえることができたのは、非常に恵まれていたといえるだろう。
 そして、ここから3ヶ月程度の終末医療が始まるのだが、その内容は人によって異なるので、ここでは触れないで置こう。親切な医師のおかげで、介護ではなく、専門の看護師の訪問看護も受けることができた。最後のころは、数日おきに朝来てその日の体調を管理してくれていた。

 父の場合と違い、点滴さえも、家族が望むならばということで、家に常備はしてくれていながら、積極的には施さなかった。薬の処方も、そのときの症状に応じた苦痛を除くことを中心とした薬で、それも1回の処方は、わずかに2〜5日分程度であった。処方箋をもって薬局にいくたび、こんな処方で医師は儲かるのかなと思っていた。父親のときとは大違いである。国の負担も相当に違っているだろう。

 ある朝、看護師は、もう座薬も貼り薬もいらないでしょうといって、母の身体からすべて取り去った。昼過ぎ、家族が気づいたとき、というか、死んでるのか寝てるのかよくわからないというのが最初の感じ方であったのだが、すでに息をしていなかった。

 すぐに医師が来てくれて、臨終を告げられた。実は、朝訪問看護師から先生に連絡があったとのこと。看護師の彼女には、経験から母がもう長くないことをわかっていたのだ。こうして、ともかくも、母は望みどおり入院もせず、家で旅立ちを迎えた。父同様に心臓が丈夫だったのか、自然死にしてはかなり期間が長かったようではあるが。


 昔は、人は老いて枯れ、自然と死んでいくのが当たり前であった。だが、医学の進歩が臨終の形を変えてしまった。多くの人は、病院や施設でその最後の時を迎える。体につけられた機械が、無造作にひとつの死を告げるだけで。

 自然死とは、言い方を変えれば「餓死」に似ている。食べ物をたべなくなり、ついには水すら飲まなくなって最後を迎える。そのため、初めて経験する家族は、食べず飲まずの苦しみにあるかのように思ってしまう。だが、実はそうではない。
 本人は、周囲の健康な人間とは異なり、飢えも渇きも感じてはいないのである。いわゆる餓死とはここが根本的に違うのだ。臨終のときも、脳内から麻薬のような物質が放出されて、まさに安らかなまま、眠りから死に至る。自宅での終末医療では、そういうことも学んだ。

 この種の話が教育の場でなされることはまずないだろう。だが、大人になるための教育のひとつとして、この事実は多くの人が知っておく必要がある。本人が苦しんでないことを知るだけで、家族の精神的な負担はどれだけやわらげられるか。


 自然死が当然のこととして受け止められる、自然な社会。それがまた人間らしい心の豊かな社会 でもあるのではないだろうか。それを実現するには、人々の意識に加えて、訪問医療、訪問看護など、社会の仕組みの課題も多い。だが、自律・自尊の社会の最後は、尊厳ある死を迎えることであろう。そういう社会でありたい。

 単純な延命のための延命治療は、人の尊厳を重視しているとは必ずしも言えまい。終末医療における延命治療は、基本的にやめるべきだと、両親の死を経験して強く感じるようになった。そういう方向性に、社会全体を変えていかなくてはならないだろう。

2012.06 改

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