烈風

  「日本人」と呼ばれないための
覚悟を持て


 沖縄の人は、沖縄以外のいわゆる本土の人たちのことを、内地とか本土と呼んで区別します。また、方言で本土・内地の人を「ナイチャー」(内地の人)「ヤマトンチュ」(大和人)と言うそうです。「ナイチャー」は少し差別的ニュアンスを持った言い方だとか。

 しかし、それが今では、ときに[日本人」とすら呼ぶという記事を見ました。もちろん言うまでもなく、この意味は、沖縄の人々にとって、それ以外の地域の人々は、もはや『日本人』とでも呼ぶべきほど遠く離れた存在だという意味です。あなたは、この説明なしで、すぐにわかりましたか?

 この憂うべき状況に、我々ナイチャーは、もっと危機感を持つべきであろうに、そんな気配すら見受けられません。尖閣諸島が日本の固有の領土であり、守るべきものとの意識があるのならば、同様に、戦後70年たっても、いまだにアメリカの施政下にあるような沖縄の状況を、今すぐにでも解決しなくてはならないと意識すべきなのです。

 そして、この沖縄問題を解決するには、日本人全体が相当な覚悟を持たなくてはなりません。

 敗戦後からの経緯などは、すでに様々に論じられているので、もはやここでは取り上げません。しかし、ひとつだけはっきりとさせておかなければならないことがあります。それは、ひたすら反戦・平和を唱えるだけで、現実を無視し何も対応をせず、将来の子供たちの安全すら脅かすような姿勢も、逆に日米安保の重要性の名の下に怠惰をむさぼり、アメリカとの隷属的な関係を変えようともしない姿勢も、共に間違っているということです。
 そして、このような発言をしたとたんに、右翼的であるとか、やれ戦前の復活だとか、ネットでは「ネトウヨ」とのレッテルがすぐに張られます。が、戦後ゆがんだ日本人の精神構造の問題も、これ以上深入りしません。

 理想を描きながらも、現実を冷静に直視し、可能な対応から順次実行していく。それしか、困難な問題を解決し、社会の発展や進歩を推し進める方法はないのです。


 少し具体的な話に入っていきましょう。

 沖縄問題とは言うまでもなく、沖縄に集中しすぎているアメリカ軍基地と、不平等な日米地位協定のことです。ということは、簡単に言ってしまえば、日米安全保障条約の問題です。そして、日米安全保障条約は、どちらか一方が、継続をしないと宣言すれば、それで終わる条約です。こうしてみれば、本来非常にシンプルな話です。

 フィリピンは第二次世界大戦前まで、アメリカの植民地であり、戦後の独立後もアメリカに軍事基地を提供していました。しかし、米軍によるレイプ事件など、日本と同じような問題も発生しています。結果、基地の提供を拒否し、アメリカは基地を全面撤去しました。無論アメリカ側からも、冷戦終結での軍事的役割の縮小、火山爆発による基地維持の困難さなど理由はありますが、撤退は事実です。ですが、現在では、中国との紛争などによって、再びアメリカ軍に基地を提供しています。
 フィリピンができて、日本ができないはずはないのです。むろん、そこに多くの問題があるには事実ですから、日本国民全体が意識と覚悟を持たない限り、話は前に進みません。


 だからといって、私は今いきなり、日米安保を即時無条件破棄しろといっているわけではありません。アメリカとの友好関係を維持しながら、アメリカからも、日本侵略を企てるあらゆる勢力からも真の独立を、自らの力で維持していく方向を見定めねばなりません。


 アメリカの属国的立場にいることで利益を得ている多くの人間すべてが、国の独立や自尊心を持っていないとは言いませんが、それらの価値よりも己の利益を優先する価値観を持つのは間違いないといえるのではないでしょうか。外務省をはじめとする官僚や、政権についたとたん豹変する政治家、金儲けのために国を売って恥じない経営者等々、原子力村より強固な「アメリカ村」が存在しているのです。しかも、アメリカは、自国の国益最優先の国ですから、日本のアメリカ離れが自国の益にならないとなれば、あらゆる手段を使うことも平気な国です。

 では、結局、全面核武装した強力な軍事力を持たない限り、目的は達成できないのでしょうか。私は必ずしも、そう考えてはいません。明治政府は、幕末の不平等条約の改定から初めて、あれだけの発展を遂げることができたのです。いま、それができない理由があるとすれば、それは日本人の覚悟のなさでしょう。


 自覚と覚悟を持ったとして、ではどうすればよいのでしょうか。

 いきなり、日米安保条約の破棄を目指すのではなく、不平等条約の改正と、不要な基地の縮小、とりわけ沖縄基地の半分以下への縮小が、はじめの一歩です。これを実現するために、日本がなさねばならないことは、いろいろあります。

 ・アメリカに全面的に依存している自国の防衛の肩代わり
 ・それには、自衛隊の自衛力の充実、とりわけ海洋国家としての防衛力整備が必要
 ・それには、憲法をはじめとする様々な法的、政治的制約を取り除く必要
 ・日本防衛は日米共同で行えると、アメリカを納得させられる自衛力と外交力をもつ
 ・同時に、アメリカや周辺国に無用な疑念や不信感を抱かせない
 ・日本における軍事基地(米軍、自衛隊)の最小限必要な範囲とは何かを算出できる力をもつ
 ・沖縄への自衛隊の配備の充実


 要するに、核を持たなくとも、最低限自国を防衛しうる能力(外交と防衛力)を確実なものにしたうえで、アメリカとの新しい安保体制のあり方を検討し、そのなかで沖縄の基地を減らしていくことになります。無論これらは、同時並行で、速やかに実行に移していかなくてはなりません。憲法を改正しなくてもできることから、すぐに実行に移すべきです。そして最低の目標は、今後10年以内に、沖縄基地を半分以下とすることと、地位協定の改正です。


 的確な例ではないかもしれませんが、わかりやすい例えを言えばこんな感じでしょうか。いま、事故が多いオスプレイという飛行機が問題になっています。この問題の根本的な解決のひとつは、オスプレイに変わる新しい安全な飛行機の開発です。日米協力でそれを行えばよいのです。それは、アメリカにとっても決して損な話ではないはずです。軍需産業の復活だと騒ぐのではなく、そうならない歯止めとは何かを考えることが、現実的な対応なのです。

 同様に、沖縄の人にも理解していただくことはあります。アメリカ軍よりも自衛隊はもっと反対という、心情的にはわかりますが、あまりにも現実を無視した反対は、ぜひとも改めていただきたいのです。沖縄に駐留させるアメリカ軍の兵力の軍事的な意味合い、つまり、どの程度の兵力があれば、どの程度の防衛力となるのか、私は軍事の専門家ではないから明確には話せません。しかし、日本全体の防衛から見て、沖縄にアメリカ軍も自衛隊もなくてよいなどとは、到底思えません。過去のいきさつだけにとらわれず、未来を見据えた建設的な政策実行が必要でしょう。


 もはや、沖縄の人の我慢は、限界に達していることと推察します。ならば、オスプレイ配備反対のデモ以上に、上に述べたような政策の実行を政治家に迫る、大規模な全沖縄デモをなすべきだと考えます。むろん、本土の人間こそ、それをやるべき責務があるとは思うのですが。


   上記の具体的な実施項目についての説明が、よくわからないかもしれません。あまりにも長くなってしまうのと、かえって論点がぼけてしまいそうなので、この程度にとどめました。機会があれば、また、個々に述べて行きたいと思っています。


 自国の防衛を自国で行う自覚と覚悟を持った上で、一刻も早く、その力をつけるための様々な施策を実行していくこと。それをやりながら、同時にアメリカとの外交交渉を進めていくこと。その際に、民主党をはじめとするいわゆるリベラル政党のように、反米で、ほかの国とくっつくというようなばかげた発想は国を滅ぼす、ということは言うまでもないことです。結局く、この国のあり方そのものを変えていかない限り、沖縄問題の早期解決の道はないのです。

 すべての日本人の、自覚と覚悟が求められています。「日本人」などと呼ばれないためにも。

2012.07
秋山鷹志