On草子

ラブコメ 一緒に死んでよ

ラブコメ

第2章 贈り物 (前編)

 敬介は、薫が出て行くのをようやくのことで押し留めることができた。そのままふた
りは、照れくさそうに向かい合って座っていた。
 敬介が「あらためて、よろしくお願いします」と軽く頭を下げると、
 薫は机に頭をつけて、「こちらこそよろしくお願いします」と笑顔をみせた。
 「ところで、なんて呼べばいいのかな。『木下さん』も、ちょっと堅苦しいかな。
『薫さん』でもいいかな」
 「『かおる』がいいです。だって、妹でしょ」
 (え、なんで)
 「昨日きれいな方に、そう言ってたでしょ」
 敬介は危うく手にしたコーヒーカップを落としそうになった。

 (聞いていたのか、ふたりの話を)
 (聞いてたんじゃなくて聞こえたの)
 (起きてたんだな!だったらなぜおぶさってた)
 (だって、その方が楽だもん。それに、おかげで彼女と仲良くできたでしょ)
 (う〜。痛いところをつきやがって)
 (ふふん)
 (ひょっとして、あの豚みたいな鳴き声は起きていたのか)
 (今頃気がついたか)
 (おのれ、お前というやつは)
 (鼻の下のばしてたくせに)
 (くそ、覚えてろ)
 (覚えてないよ)

 口に出して言わないのに、なぜか無言会話が成立しているふたりだった。ようやく口
に出して話を続けた。

 「なんで!ふたりの話を聞いていたのか。寝てたんじゃないのか」
 「だって、おんぶされてるほうが楽だもん」素直すぎる返事であった。
 「あれは、彼女が勘違いしたら、君にも迷惑だろうと思ったから、とっさに・・・」
 「別に迷惑なんてありませんけど」とすまして答える薫だった。
 (こいつ、ただもんではない、甘く考えてはいけない)と思う敬介のことなどおかま
いなしに、薫は続けた。
 「じゃあ、私は敬介兄さんって呼ぶかな。めんどうだな。ねえ、『けーすけ』でいい?」
 (なんで、いきなり呼び捨てなんだ)「しょうがないな」
 「はい。敬介」
 大人びたところと、無邪気な子供じみたところが同居している。それも彼女の魅力だ
なと、敬介はすでに薫に洗脳されつつあった。
 はじめからこの調子では、この先どうなることやら。
          ○
 薫が敬介と一緒に暮らすことに話が落ち着いて、ようやく騒ぎも収まった。お互いの
呼び名も決まった。少し落ちつきを取り戻したころ、薫が口を開いた。
 「あの〜。シャワーをお借りしてもよろしいですか」まだ丁寧な口調だった。
 そういえば、昨日は、酔っぱらってそのまま寝てしまったのである。
 「まだシャワーだと寒いでしょう。すぐにお湯がたまりますから、お風呂入ってくだ
さい。僕も後ではいりますから、御先にどうぞ」
 敬介は薫をお風呂場に案内すると、お湯やバスパネルの使い方などを教えてやった。
そのままあれこれと家の中を案内したり、家電の操作方法などを教えて、イスに戻った
ころには「お風呂がわきました」とアナウンスが流れてきた。
 「かしこい。教えてくれるんだ」薫が目を丸くして、白い歯を見せた。
 「他に何かいるものは?」言いながら敬介は気を利かして、自分の部屋に入ってドア
を閉めた。

 薫はずっとシャワーだけの生活が続いていた。いや、シャワーですらましな方であっ
た。それが、こうして足を伸ばして湯船にゆったりと浸かっている。数日前までは野垂
れ死にするのさえも覚悟していたのに、今はどうだろう。あまりの急変ぶりに、自分で
も戸惑っていた。
 湯船の中で自分の身体をゆっくりとさすっていた。その手が胸のふくらみのあたりで
止まった。けっして爆乳ではないが、貧乳でもないと思う。でも、敬介はもう少し大き
い方が好きなんだろうな、と考えている自分に気がづいて恥ずかしくなった。
 顔を半分まで湯船にしずめて、ぶくぶくと口から泡を吐き出した。なんとつぶやいて
いたのかは、誰も知らないが。
 薫にとっては昨晩のベッドに続いて、つくづく幸せな時を身体いっぱいに感じるバス
タイムであった。

 「お先にありがとうございました」
 敬介の部屋のドアをたたきながら、それだけ言うとあわてて自分の部屋に入って行っ
た。
 (たまには、朝風呂もおつなもんか)敬介も風呂に入ることにした。
 脱衣所にいくと、見慣れないものが目に入ってきた。タオルかけに何か、かけてあっ
た。赤いものが干してあったのだ。
 (で、でかい。なんだ、このでかい下着は!しかも真っ赤だ。それにしてもいまどき、
おばあちゃんでもこんなのはかないのでは)敬介がいぶかったその時、薫が脱兎のごと
く飛び込んできた。その赤い切れ端を力まかせにひったくると、そのまま逃げて行った。

 敬介が風呂に入っている間、薫は自分のものとなった部屋をゆっくりと見回していた。
わずかな持ち物ではあるが、バッグの中身も出してそれぞれの場所に格納した。それか
ら消臭剤を持ってくると、部屋中に辺り構わずスプレーしだした。特に昨晩クンクンし
ていたベッドには、液で湿るほど念入りにスプレーをかけたのだった。妹のにおいを消
すためなのか、それとも自分のにおいを早くしみこませたかったのか、そのあたりはよ
くわからないが。

 そうこうするうち、敬介は風呂からあがって一休みしていた。そこで、薫も部屋から
出てきた。
 「恥ずかしい。赤パンなんて」
 若い女性らしい恥じらいを見せていた。もっとも、敬介が恥じらう乙女の薫をみるの
は、これが最後になるかもしれないのだが。
 「赤パン?」
 敬介の問いに、赤パンを知らないのと、少し照れながらも説明を始めた。
 赤パンとは言うまでもなく、赤いパンツであるが今でいう上着のパンツではなく、あ
くまでも昔の呼び方で下着としてのパンツである。昔から健康に良いとされているらし
い。赤い色が持つ魔力であろう。思うに、還暦の赤いちゃんちゃんこを思えば、わかり
やすいのかもしれない。巣鴨のとげぬき地蔵通り商店街には、赤パン専門店もあるとい
う。
 「とげぬき地蔵で安く買っちゃった」
 薫も、もうこの辺りで恥ずかしさを忘れてしまったようである。
 「あ、そう。ま、安いけど、それくらいならユニクロでも同じじゃない」
 敬介もまだ抵抗する元気が有った。
 「わかってないわね。こっちの方が断然安いのよ。だって同じ値段なら、赤パンのほ
うが大きいでしょ。だから、こっちが得なのよ」
 (下着を大きさで言われても)
 「それに赤パンは昔から、健康にいいのよ」
 (ユニクロがだめなら、サンキがあるさ)敬介は、いつかぎゃふんと言わせて見せる
と心に誓ったのだった。
 以来、敬介は事あるごとに赤パンに振り回されることになるのだが、そんなことはま
だ露ほども知らない。

          ○

 知り合ってからまだ間もないふたりが、同じ家の中で向かい合ってすわっているのは、
何とも妙なものである。
 自分の家なのに、何となく落ち着かない。話題を探していた敬介は、とんでもないこ
とを口にした。
 「そうだ食器だ。お茶碗も買わないといけないよね」
 「お弁当のパックならもっていますから、それで構いません」
 「せっかくだから、夫婦茶碗でも買いますか」軽口だったのだが。
 薫は、キッと目を吊り上げた。敬介は、(いけない)と思ったのだが、弁解の言葉よ
り早く薫が言った。
 「私、夫婦茶碗嫌いなんです。絶対いやです」
 「ごめん。そんなつもりは・・・」
 しどろもどろの敬介は、薫の言葉にさらに驚かされた。
 「小さい方が女性用なんて、誰が決めたんですか?」
 「え・・・」
 「女性だから小さい方なんて、不公平じゃないですか」
 敬介は、言葉が出なかった。
 「そうだ、いい考えが。私たち夫婦じゃないですよね?」
 「もちろん、違うけど」(何を言い出すんだ?)
 「だったら、私がおおきい茶碗でも構わないですよね」
 (そこまでして買わなくても)と思いながら、口には出せなかった。
 
 善は急げとばかりに、ふたりはそのまま神楽坂に古くからある陶器の店に連れ立って
行った。神楽坂といえば、今では芸者さんよりもグルメで有名な街になってしまったが、
それでも昔ながらの店も何軒かは頑張っていた。ここもそのひとつであった。
 神楽坂は、その名の通り一本の坂道を中心にして、それを挟む狭い地域である。だが、
最近は周辺の地域まで、どこでも神楽坂と呼ぶようになってしまった。本来この地域に
は、牛込をはじめとして数多くの由緒ある地名が残るだけに残念でもある。
 ちなみに、敬介の会社が有る九段下から神楽坂までは、歩いて行ける距離で、彼らも
時々飲みに足を延ばすこともあった。

 店にはいるなり、薫は信楽焼の大きめのお茶碗を見つけた。大きさが気にいったよう
である。そのまま店内を持ち歩いていたのだが、店員に「それは、男性用ですね」と言
われて、しぶしぶ手放したのであった。
 結局、夫婦茶碗は勘弁してもらい普通の茶碗を買い求めた。なぜか、敬介までいっしょ
になってお茶碗を買い替えていたのだった。
 さらに、それだけではものたりないと感じた敬介は、コーヒーのペアカップを買い求
めた。有田焼でカップの内側に牡丹柄がある、まず一人では買わない非常にしゃれたも
のだった。
 それにしても、やけにペアにこだわる敬介だった。

          ○

 薫が無事に勤めを始めた最初の週末である。
 「きょうは、お昼を外で食べようか」
 敬介は薫を誘って、にぎやかな繁華街へと出かけることにした。
 華やかなショーウインドウが並ぶ歩道を並んで歩いたり、薫が立ち止まってウインド
ウをながめているのを少し離れてみたりと、知らない人には仲の良いカップルと見えた
かもしれなかった。
 敬介は熱心にウィンドウを覗き込む薫をみながら、(やはり、若い女性だよな)と妙
な感心をしたりしていた。

 とあるウインドウの前で薫が立ち止まり、食い入るように中を覗き込んでいた。敬介
はなかなかその場から離れようとしない薫の背後から近寄って、肩越しに中をのぞいて
みた。ネックレスや指輪などジュエリーのアクセサリーが、きれいにデザインされて飾
られていた。
 それぞれの商品のそばには、小さな値札が置かれていた。薫の横から顔を出して、そ
の小さな数字を眼で追った。どれもこれも七桁、つまり百万円以上の値が付けられてい
た。
 内心、何か買ってやろうかなと思って覗いた敬介だが、これは(無理だ、ごめん)と
薫の背中に語りかけた。(でも、いつかはきっと買ってあげるから)まだ会ってから一
週間の薫に対して、そんな気持ちを持った自分の奇妙さに、敬介は気がついていなかっ
た。
 真剣に覗き込む薫の後ろ姿は、どこか頼りなげでさみしげに、敬介には見えていたの
だった。
 そんな敬介の思いなど知る由もない薫は、悩んでいた。
 (一、十、百・・・・げ、百万円。百万円っていくらだ? ハンバーグが一週間、い
やひと月は食べられるな。それに、ラーメンや餃子、大盛りの牛丼を加えたって・・。
エーと、全部でいくらだ? 三千円いや違う・・・・・う〜〜ん。計算できない!)頭
をかきながらうなだれていた薫は、(駄目だ、わからん)と顔をあげ、あきらめてすた
すたと歩き出した。そのあとを敬介が神妙な顔で追いかけていた。

 薫は専門店街の様々なお店を覗いて、色々なものに興味を示すのだが、何も買おうと
はしなかった。敬介も買ってと言われる心の準備をしていたのだが、薫は一向にそんな
そぶりは見せなかった。
 彼女の人生で、他人に物をねだる、ましてや女として男にねだるなどということは、
ほとんど経験がなかったのである。
 小物のアクセサリーやぬいぐるみの店では、足を前に投げ出して座っているファーファ
やプーさんなどクマのヌイグルミが気に入ったようで、頭をたたいたりなぜたりしてい
たが、結局何も言わずにその場を離れていった。敬介もなんとなく言いだしづらくて、
声をかけなかった。
 結局その日は、六本木通りからも近い赤坂の津つ井 総本店で目的のホワイト・オム
ライスを食べただけで終わってしまった。ホワイト・オムライスは、オムライスにホワ
イトソースをかけたものもあるが、ここの和風白オムライスは、その名の通り白い卵で
くるまれている。しかも普通のオムライスより少し大きめである。もちろん、薫はそれ
を食べただけで充分に満足であった。

          ―――○○――― 

 早いもので、薫が来てから半月ばかりが過ぎていた。なにもいわなくても、家事万端
を手助けしてくれる。ただ敬介も自分の下着の洗濯はさすがに任せられなくて、すきを
見て自分でやるようにしていた。すきを見ないと、薫は別に気にしないで敬介の下着ま
で洗濯してしまうからであった。
 
 薫が勤め出してから、初めて迎えた給料日の週末。その日、薫は珍しく朝から出かけ
ていて、もどってきたのは昼を少し回ったころだった。
 近所で買ってきたお土産のたこ焼きを、お昼代わりにふたりでつまんでいると、薫は
急に神妙な顔つきで、敬介の眼の前に茶封筒を取りだしてきた。
 そして、黙ってそれを敬介の前に差し出した。
 「なに、これ」
 それには答えずに、ただ仕草で、どうぞと言っていた。
 「え・・・」茶封筒の中をのぞくと、一万円札がはいっている。それを出しながら、
敬介は怪訝な顔つきでたずねてみた。
 「これは?」
 「昨日はじめてのお給料をいただきました。少ないですけど、お部屋代です。家賃の
かわりにしてください」
 空いた妹の部屋に住まわせる決心をしたときから、むろん部屋代など考えてもいなかっ
たので、敬介は少し動揺した。引き留めるために、あの晩に言ったことをまだ覚えてい
るのかとも思ったのである。
 「いつか言った話なら、あれは薫を引き留めるためで・・・」
 「わかってます。でも、これは私の気持ちですから。受け取ってください」
 頭を下げる薫に、敬介も素直な気持ちになれた。
 「わかった。ありがとう。たしかに」
 そうは言ったものの、まだ勤めて半月。ましてや派遣の給与などいかに安いかは敬介
も知っていた。そのことが、派遣社員の入れ替わりが激しい原因の一つでもある。こん
なによこしたら、ほとんど残っていないだろうに。そう思うだけで、胸が少し痛んだ。
 そこで、敬介は、サインペンを手にとると、もらった茶封筒の上に筆を走らせた。
 『就職祝い』
 それを、そのまま薫の方に向けなおして、差し出した。
 「これ少ないけど。たしか、まだお祝いしてあげてなかったと思うので。遅くなった
けど」
 「・・・」
 薫もちょっとびっくりしたようであった。それでも、根が素直な彼女は、喜んでその
茶封筒を押しいただいた。
 「ありがとう。これで、お昼が食べられます」
 (昼飯代くらいとっておけよ)ほっとしながらも、思う敬介だった。

 これだけでもびっくりしていたのだが、茶封筒をしまった薫が、さらに何か小さな包
みを出してきた。包装紙には昔ながらに十字のリボンが付けられていた。
 「これ、敬介にプレゼント」
 思いがけない言葉に、敬介はまたまた驚かされた。
 今度は素直に受け取ると、「あけてもいいかな」と言った。
 「もちろん」明るい声である。
 包みを開けると、何やら赤い布の様である。広げてみると、なんと大きな赤い下着、
赤パンであった。それも、いまどき年寄りでもはかないのでは、というでかパンであっ
た。
 「これ・・・」
 「巣鴨の赤パン。もちろん新しい男性用だよ」
 うれしそうに薫が説明する。
 (そうだろうけど)「これは、ちょっとな・・・」
 喜ぶと思った敬介の反応が、違うことに薫のほうが戸惑いを見せた。
 「だって・・・」
 「これは、ちょっとはけないだろう」
 「うれしくないの。赤パンは健康にもいいし、それに幸せにもなれるから・・・」
 いいながら、薫の顔は半べそになっていた。そして、「うれしくないんだ」といいな
がら、そのまま自分の部屋に入ってしまった。
 薫は敬介に幸せになってほしいと願う、自分の気持ちが伝わらなかったことが、なに
よりもやりきれなくさびしかった。もう死にたい。しばらく忘れていた想いが、急に薫
の胸いっぱいに広がっていった。

 いっぽうの敬介は、『幸せになれるから』という薫の言葉に頭をガンと殴られたよう
な気がして、悪いことを言ったなとひたすら後悔していた。

 「トントン」
 半開きのドアを叩いて、「入ってもいいか」と敬介が声をかけた。
 ゆっくりと振り向いた薫の顔が、見る見るうちに変わっていった。
 「ハハハ、なにそれ。ハハハハ・・・」
 大きな声で笑い出した薫の前には、下半身に赤パンをはいただけの敬介が立っていた。
おなかのあたりまである赤パンのなかにTシャツをしまい込んだ姿は、いかなイケメン
でも似合わないだろうと思わせるものだった。
 「どうかな。早速はいてみたんだけど、似合うかな」我ながら良く言うよ、とは思っ
た。
 「アハハハ・・・」
 「なんだよ。笑うなよ。薫がくれたんだろ」
 「だって、おかしい。アハハ・・・」
 あまりに薫が笑いこげるので、何か言い返さなくてはと敬介は考えた。
 「これで、薫とおそろいだろ」暗に薫の赤パン姿を言ったつもりだが、次の一言であ
えなく玉砕した。
 「違うよ。もう薫は、赤パンはかないもの」
 思いがけない言葉に思わず「どうして」と真面目に聞き返してしまった。
 「だって、こうして住むところもあるし、働くこともできている。なにより、敬介と
出会うことができた。もう、充分すぎるほど幸せだもの。これ以上望んだら罰があたっ
て、幸せが逃げてしまうかもしれない。だから、薫はもうはかないの」
 彼女の言葉に、自分のへんてこな姿も忘れて、おもわずジンときてしまう敬介だった。

 翌日、敬介は薫を誘って、郊外にある衣料品の大型店にドライブがてら出かけていた。
よろこんで窓から外を眺めている薫をしり目に、敬介はどうやってあの赤パンを始末す
るか、そんなことに頭を巡らせていた。
 ついたのは、玉ニュータウンにある、衣料品の安さと豊富さが売りのサンキだった。
都内にもあるのだが、わざわざここまで来たのは、ドライブの他にも理由が有った。そ
れは、とにかくここの店内が広いことである。なんでも千坪を超えるとか。まるで、遊
園地の様なものである。ここならきっと喜ぶだろうと考えたのである。
 案の定、薫は大はしゃぎで店内を駆け巡った。はしゃいで走りまわる薫にはついてい
けないので、敬介は待ち合わせ場所を決めると一人外に出た。飼い主が連れてきた犬の
鎖を解いて、自由にしたような心持であった。
 だがいくら安くても、薫はそれほど無茶な買いものはしない。子供のように見えて意
外としっかりしているのか、あるいはさんざん苦労してきたので、無駄遣いはしない癖
がついているのかもしれない。
 色々な物を見てまわれるだけでも、彼女にとっては、心豊かになる時間だったようで
ある。来てよかったと、敬介はつくづく思った。

            ―――○○――― 

 ある日、薫が携帯電話を見せてほしいという。敬介はいまだにスマートフォンにきり
変えてはいなかった。
 そういえば、彼女は携帯も持っていなかったなと思いながら、敬介は自分の携帯を渡
した。同時に、やっぱり女性として自分の携帯の中身が気になるのかと、少しだけ嬉し
いような気もしたのだが、むろんそんなはずはなかった。
 薫にとっては、敬介の携帯の中にどんなに多くの女性が登録されていようが、女性か
らのメールが残っていようが、べつに取りたてて興味はなかった。
 受け取った携帯を散々いじくりまわしていたが、ぽいと返してよこした。
 相変わらず何も言わない薫であるが、こういうときは何か考えている時だと、敬介に
もだんだんわかるようになっていた。

 数日後、薫はいつものように敬介の向かいに腰を下ろした。机の下から両手でもてあ
そぶようにして出してきたものが有る。スマートフォンだった。
 (あ、初給与で買ったんだ)
 その携帯を机の上におくと、それとなく敬介のほうに押し出してきた。
 (みてほしいのか)敬介は、大げさに気がついたふりをして、
 「買ったんだ。すごいじゃないか」と、手にとって見た。
 スマートフォンでは珍しく、ストラップがたくさんついていた。そのなかで、見覚え
のあるアニメキャラのストラップが有った。殺生丸のストラップである。
 アニメの犬夜叉のファンであった敬介は、犬夜叉のストラップを自分の携帯につけて
いた。どうやら、それが薫の眼にとまったようである。普通の女性なら、御揃いという
ことで、犬夜叉のストラップをつけそうなものである。だが、薫は違った。
 犬夜叉ではなく、犬夜叉よりも強いとされる犬夜叉の兄、殺生丸のストラップを選ん
だのである。敬介に張り合いたいらしい薫は、アニメの中でも犬夜叉よりも強いとされ
る殺生丸を選んだのであった。薫流の愛情表現、いやあくまで、対抗意識であろうか。
 それにしても、良く見つけてきたものだと、感心させられる敬介だった。


     
                           [第2章前編 終わり]