On草子

ラブコメ 一緒に死んでよ

ラブコメ

第4章 トイレランチ(前編)

 夕食後、敬介が部屋でパソコンに向かっていると、開いているドアの向こうから薫の
声がした。
 「入ってもいい」
 「いいよ」
 まっすぐ敬介が座る机のそばにきて、パソコンを脇から覗きこんだ。
 「そうだ。パソコン買わなきゃね」
 敬介の言葉に、あまり気乗りのしなさそうな薫だった。
 「いまやパソコンは必需品だから、大家としてご用意いたしましょう」
 今度は、薫も嬉しそうにうなずいていた。
 早速インターネットでパソコン探しを始めた。パソコンにさして詳しくない薫は、敬
介のすすめを黙って聞いているだけだった。ようやく機種を決めると、明日会社の帰り
にふたりで店に寄ることにした。
 満足した薫が、そのあたりを見回していたが、棚に飾られたジャドールの空き瓶に目
をとめた。
 「これなに」
 手を伸ばして取ると、すぐさまふたを開けてみた。かすかに香りが残っていたのか、
瓶の口に鼻を近づける薫だった。
 「昔、海外出張の帰りによく買ったんだ。瓶の形も気に入ってるから、ひとつ残して
おいたんだよ」
 薫が、今度は敬介の身体に鼻を近づけてクンクンと嗅ぎまわっていた。
 「な、なんだよ」
 「違う」
 「いまは、バルカンのフレッシュコロンをつかっているから」
 (犬なみの嗅覚か、こいつは)敬介は思わず心で叫んでいた。
 「ふ〜ん」
 「どちらにしても、コロンは自分の気分転換用だからね」

 薫はこれまで製造ラインでの仕事が多かったこともあり、化粧品も含めて匂いの強い
ものは一切使用してこなかった。そもそも化粧品も、ブランド物を買うような余裕はな
かった。もっぱら一本で化粧水から仕上げまでこなせるものか、せいぜいドラッグスト
アのお手頃価格品を愛用していた。ま、化粧にそれほど熱心でなかったのも、事実なの
だが。
 今の会社では、派遣でも事務系がほとんどで、また、社員全体に女性も多かった。い
きおい、他の女性のファッションや化粧やらが話題に上ることもあった。そんな他人の
噂を気にするような薫ではなかったが、敬介と暮らすようになって、少しは目覚めたの
かもしれない。
 
 北園絵梨の香りを思い出しながら、敬介は薫にもコロンを勧めてみた。ただ、香水な
ど使ったことのない薫に、いきなり選ばせるのも無理が有ると考えた。そこで、パソコ
ンであるホームページを開いた。
 インタネット上には、ブランド物の香水のサンプルを取り扱うショップや、量り売り
のショップまである。だが自分でブランドの好みを知らなければ、迷うだけで選びよう
がない。薫にまず自分の好みや、自分に合う香りを見つけさせることにしたのだった。
 けっしてブランド物とは呼べないかもしれないが、このオンラインショップにはオリ
ジナル香水のサンプルが数多く用意されていた。フローラル・フォーシーズンズ オー
ドトワレと呼ばれる小指サイズのサンプル・ボトルが六十種類以上も揃っていた。これ
だけあれば自分の好みにあう香りも見つけられるかもしれないと考えた。
 サンプルの香水リストには、香水名の横に香りの説明が短く添えられていた。それを
参考にしながら、薫にいくつか選ばせることにした。
 その説明書きを読みながら、薫の香り探しが始まった。『ピュアなフリージア』『は
らはら舞い降りる花びら』、初めての薫ではなくても、少々難しいかもしれなかった。

 パソコン画面を見る薫の目つきがだんだん変っていく。
 (こわい。目が恐い。こんな真剣な顔、久しぶりに見る)敬介はだまって、部屋を出
て行った。
 コーヒーを持って戻ってきた敬介の眼のまえには、頭をかきむしり唸り声をあげる薫
がいた。
 「全部だ」
 思わずコーヒーカップを落としそうになりながら、かろうじて机の上に薫のカップを
置いてやった。
 「ここにも『一度にたくさん購入されるとスメリングだけでも大変、初めは5本以内
がおすすめです!』と書いてあるだろ。簡単に注文できるから、とりあえず5〜6本に
したら」敬介が諭した。
 「ふー」大きく息をついた薫は、全部というのをなんとかあきらめて、再び画面と格
闘を始めた。
 そんな彼女を(本当に素直だな)と見つめる敬介だった。
 少し多めだが、それでもようやく決めることができた十種類のサンプルを注文して、
その日は無事に終わった。満足そうな薫をみながら、敬介は何か起きなければと、ふと
そんな気がしたのだった。

          ○

 数日後、帰宅した敬介はドアをあけて、いつものように「ただいま」と言いかけたと
ころで異様な匂いに気がついた。
 (なんだこの匂いは、どうしたんだ)急いでリビングに入ると、薫がいつものイスに
腰掛けたままこちらを見ていた。
 「おかえりなさい」少し元気がなさそうである。
 「ただいま」なにげに薫に近づくと、さらに異様な匂いが漂ってきた。何とも形容し
がたい悪臭に近いものがあった。
 「何なんだ。この匂いは」
 さらにテーブルの上には、何か散乱していた。長さが五センチ程度で小指よりも細い
香水のサンプルであった。しかも、どれもこれもすべて口が開いていた。敬介は一瞬、
昔お医者さんに注射をされた時の様子を思いだした。
 薫が頭をかきむしりながら、怒るようにはき捨てた。
 「もう、なんだか、よくわからない!」
 「まさか、これ全部つけたのか?」
 「だって、そのためのサンプルでしょ」
 「それはそうだけど」(一度に全部試したんだ)

 (どうして全部つけたの)
 (つけなければわからないでしょ)
 (一度につけるなよ)
 (へー。敬介はにおいを覚えられるんだ)
 (えっ)
 (一度につけないでどうやって比べるのよ)
 (それは・・・。一つずつ覚えといて)
 (ふん。だったらやってごらん)
 (俺は別に選ぶ必要ないもん)
 (ふーん。絵梨さんのつけているのが、好きなんだもんね)
 (な、なにお。どうして知っているんだ)
 (お見通しよ)
 無言会話でも、敬介の完全な負けであった。

 敬介はためしにサンプルのひとつをもちあげてみたが、中はからっぽであった。いく
ら小瓶とは言え、数回分の量は入っている。それがすべてカラであった。
 「わからない」薫はまだいらついていた。
 自分好みの匂いがわからないのか、それとも。
 「いくらサンプルでも少なすぎるよね」
 (やっぱり、つける量もわかっていなかったんだ。それで、少な過ぎると思っている
んだ)敬介には、薫の思考回路が、徐々に見えてきていた。
 首筋や両手はむろん、両足、胸など体中につけたのだろう。敬介は、もう一度薫の身
体に顔を近づけると、眉をひそめた。
 「とりあえず、シャワーでもあびたら」
 「シャワーあびたら、匂いがなくなちゃうでしょ」
 「何回でも注文すればいいよ。他の種類だってまだたくさんあるし」
 「うーん」まだ完全には納得していなかった。
 自分の身体のあちこちを嗅ぎまわりながら、薫は風呂場に消えて行った。
 敬介は、窓を大きく開け、換気扇を「強」に入れた。

 薫は失敗にもめげず、その後も何回かサンプルを取り寄せて、ようやく自分好みの香
りをみつけたようだ。四月生まれにふさわしい春の香りであった。しかし薫が香水を使
うことは滅多になかった。自分を奮い立たせたり、気分転換を図るのが目的なら、薫に
はほとんど必要なかったからであった。

          ―――○○――― 

 薫は動くものに興味が有るらしく、単純なゲームや携帯電話にはあまり興味を示さな
かった。
 「いらっしゃい」
 薫の声に、ルンバがビクッとしたようにも見えた。
 「そんなにいじめちゃかわいそうだろ」
 敬介が冗談めかして声をかけた。
 「いじめていないよ。きたえてるの」
 足元では自動掃除機のルンバが、ぐるぐると同じところを回っていた。
 薫がルンバを初めて見たとき、ものめずらしさよりも、ちょっと気味が悪かったよう
である。ゴキブリのボスと呼んでいた。それが、そのうちテントウムシの親分に変わっ
たあたりから、ルンバの受難が始まった。
 薫は、逃げるようにして動いているルンバを追いかけまわした。行き先を坂にして登
らせたり、板で囲って出られなくしたり、何もない小さな机の上において落ちないかど
うか確かめたりと、まるでペットか何かのようであった。
 それを見るにつけて、これからロボットが家に入ってきたとき、親しみが有ればある
ほど、こういうことが起きるのかもしれないなと、敬介はまるでメーカーの社員のよう
に考えていた。

 敬介にいくら止められても、薫は自分の部屋にルンバが入ると、すぐにドアを閉めて
出られなくする。電池がなくなり、充電のためにステーションに戻ろうとするのを邪魔
するのだ。ステーションにたどり着く寸前に、電池切れで動けなくなるのを見るのが、
何より面白いようであった。
 敬介はその様子をみながら、旦那に成る男もこうされるのかなと身震いがした。

           ○

 幼さと負けん気の強さ、そんな薫のすべてが、敬介にはむしろかわいらしく感じられ
るのであった。だがそんな甘い考えが吹き飛ぶ日が、すぐに廻ってきた。

 薫が来てから、家事をふたりでやるようになって、敬介には自由な時間が少し出来た。
そこで、昔熱中していたプラモデルをもう一度やりだしていた。
 ある日のこと、敬介は、興奮した声で薫を呼んだ。
 床の上に大きなプラモデルが置いてあった。薫が来たのを確かめると、敬介は手にし
たコントローラを操作し始めた。
 一メートルを超える大きな戦艦であった。それが床の上を自在に動き回っていた。さ
らにはコントローラで、ライトの点滅や四六インチ主砲の発射音までだしてみせた。敬
介がコツコツと数カ月かけて完成させた陸走戦艦大和である。
 薫も、もの珍しそうにしばらくその動く大和を見ていたが、
 「貸して」と、コントローラに手をのばしてきた。
 「だめ。薫にはまだ難しくて無理だよ。今度ラジコンカーを買ってあげるから、それ
で慣れてからね」
 そんな敬介の言葉に、薫がおとなしく引きさがったと思ったのが間違いだった。

 翌日、敬介が自分の部屋にはいると、そこに飾ってあるはずの大和がなかった。
 (そんな、まさか薫が)と、敬介は急いで薫を探してみた。家中、どこにも姿がなかっ
た。
 敬介は急いで外に出ると、近所を探してみた。すぐ近くには小さな公園が有る。広場
といえば、ここくらいだと思って来てみたのだが、そこにも薫の姿はなかった。公園は、
その一部が隣の大きな寺につながっている。そして、そこには小さな池の様なものがあっ
た。
 まさかとは思いながらも、その池が見える所まで来た敬介は、そこに薫の姿を見つけ
た。池に向かってしゃがみこんでいる。
 近づいた敬介が、声をかけてみた。
 「薫、なにしてんだ」
 その声に、薫が立ち上がって、半分顔を敬介にむけながら、池の中央を指差して言っ
た。
 「潜水したままでてこないよ」
 「まさか、水の中にいれたのか」
 敬介は血の気が引いていくのを感じた。
 「だって船じゃん。でも、あれは駄目だよ。さっきから沈んだまま動かないもん」

 (どうしてくれるんだよ)
 (なんでよ。私のせいじゃないでしょ)
 (勝手に持ち出したくせに)
 (敬介が意地悪して貸さなかったからじゃない)
 (何で池にいれたんだよ)
 (船は水に浮かべるでしょ)
 (そんな)
 (水に浮かない船なんか作るから悪いのよ)
 (あれはそういう船なの)
 (知らないわよ。そんな事)
 (三ヶ月もかかったのに)
 (暇だったんだ)
 (そういうことじゃないだろ)
 (うるさいわね。もういつまでも男らしくない)
 こうして無言会話は終わった。だが、口に出しての会話も続かなかった。

 薫は手にしたコントローラを敬介に押しつけると、さっさとその場を後にした。
 「そんな。おれの汗と涙の結晶が・・・・小遣いが・・・大和が・・・」
 うわごとのように何か言いながら、ぼう然と立ち尽くす敬介であった。フローリング
の床などを走るように出来ている大和は、もちろん水の上では浮かばないのである。

 翌日、敬介の机の上に何か置いてあった。お風呂場で子供が遊ぶおもちゃの船であっ
た。昨日の詫びのつもりなのか、それともこれなら水に沈まないという嫌みなのか、
敬介にはよくわからなかった。おまけに風呂場にいれておいたら、敬介よりも薫のほう
がよく遊んでいたのだった。

            ―――○○――― 

 薫が、リビングでテレビを見ながら、半べそをかいていた。
 番組では、相変わらず絶えることのない、親による子供への虐待を取り上げていた。
 薫の母親は貧しさの中で彼女を育ててくれた。つらい苦しいことも多かったであろう
が、一度として手を上げるようなことはなかったし、自分が食べられなくても、子供に
は出来る限り食べさせてくれた。自分のひもじさよりも、わが子に充分食べさせてやれ
ないことを泣く母であった。
 「どうして、子供をいじめるんだろう。かわいくないのかな」
 「薫は、ご両親に可愛がられて良かったな」
 「うん。それに」
 「それに・・・」
 「敬介と一緒にいられて幸せ」
 泣かせることを言うなと思ったのだが、後が悪い。
 「だから、今日も、ごちそうおねがいします。大盛りでね」
 (それが、俺と暮らす『幸せ』の正体なのか!)敬介は返す言葉が見つからなかった。

          ○
 ある日、また薫がテレビを見ながら首をかしげていた。
 ひきこもっていた子供が、今では立派な大人どころか、すでに多くが中年になってい
る、そんな現状を特集していた。
 薫には、わからないことだらけであった。
 「ひきこもる家がどうしてあるの?どうして働かないで食べていけるの?」
 この質問には敬介も簡単には答えられなかった。病気だと言って何でも容認してしま
う、今の風潮が敬介はあまり好きではなかった。ひきこもりたくても、ひきこもること
すらできない人達の存在を、彼らはどのように見ているのだろうか。いや、そんな事を
考えるならばひきこもらないだろうが。
 「薫も引きこもりたい。タヌちゃんとふたりで」
 「俺は?」敬介が聞いてみた。
 「敬介は、面倒みてくれる人でしょ。だから長生きしてね」
 (なに!)「そのために俺はいるのか」
 「うん。敬介がだめになったら、タヌちゃんといっしょに出て行くから、安心してい
てね」
 (見捨てる気か)と思ってはみても、言い返す言葉が見つからない敬介だった。
 どこまで本気なのか、可愛い小悪魔の話にはついていけないのであった。

          ―――○○――― 

 ふたりが勤める会社には、社員食堂がある。
 昼時にはかなり混雑するので、女性のグループなどはよく席取をしていた。事務所内
の自分の机での飲食は、衛生上問題が有るとの指摘から原則禁止されていた。その代わ
りに、食堂へお弁当を持ちこむことが許されていた。
 人間というのは、日々だいたい同じパターンの行動をとるものである。お弁当を持参
するもの、食堂を利用するもの、外に食べに出るもの、コンビニで何か買ってくるもの、
ほとんど同じことを毎日繰り返すものである。
 しかしその法則にまったく当てはまらない、マイペースな自由人がいた。薫である。
敬介も初めは食堂で、彼女の姿を探したりしたのだが、そのうち探すのをあきらめた。
 朝早く起きてお弁当をふたり分作る時もあれば、コンビニでおにぎりを買ってベンチ
で食べたりと、昼食の取り方も特に決まってはいなかった。

 ある日、敬介が遅れた昼食を外で取ろうと会社のビルを出た。近くにベンチがいくつ
か置かれたところがある。通りすがりに何気なくベンチを見てみると、見覚えのある顔
が座っていた。
 アンパンを片手に、小さな牛乳パックをもう片方の手に持っていた。
 敬介は近づいて声をかけた。
 「薫、アンパンだけか」
 「うん」
 「それだけで足りるのか?」
 これがいけなかった。薫は最後の一口を飲み込むとすっくと立って、敬介の腕をつか
むとそのまますたすたと歩き出した。
 「なんだよ、どこにいくんだよ」
 牛飼いに引かれるようにして、敬介は後をついて行った。近くにある中華料理店の前
で、歩みは止まった。高級店でもランチはやっている。
 今日のランチは、どうやらチンゲン菜と肉のいためものにマーボ豆腐の二品がメイン
のようであった。ライスとスープ、おしんこ、さらに、スイーツまでついて二千円であ
る。
 薫は飾られたデコレーションを確認すると、敬介のほうを向いて初めて口を開いた。
 「おなかがすいた」
 (いま、アンパン食べただろう)
 いわば薫語とでもいうべき、言い回しである。敬介には意味が良く分かっていた。
 「わかりました。おごりますから、どうぞ」
 薫は黙って地下の入り口につながる階段を、すたすたと先に降りて行った。

 入口を入ると、敬介の顔見知りのマネージャーが、「おふたりですか」と近寄ってき
た。
 それから、ふたりを奥の落ち着ける席へと案内してくれた。だが席の場所などにあま
り興味を示さない薫は、注文を聞かれるのを今や遅しと待っていた。
 ジャスミン茶を運んできたマネージャーが、「ご注文は」とようやく聞いてくれた。
 薫はすぐに口から言葉が出そうになるのをこらえて、敬介の顔を立てた。
 「ランチでいい?」敬介が薫に一応尋ねてみたが、とくに返事がない。
 「ランチとパーコー麺をください」
 すかさず、薫が続けた。
 「大盛りでおねがいします」
 マネージャーは、さして驚く様子も見せずに、
 「ライスはおかわり自由になっておりますので、どうぞ」
 満足げな薫を見て、どこまで本気で言ってるのかやっぱりわからないなと、つくづく
思う敬介だった。

 それほど待たないで、二つの盆が運ばれてきた。
 薫は、パーコー麺が珍しかったのか、どんぶりをじっとみている。
 「味見してみるか」
 すぐさま箸が伸びてきて、麺の上に乗ったパーコー(肉)を持って行った。
 それを食べながら、自分の盆を少し動かすと、「食べる」と薫が聞いた。
 「いや、いいよ」
 してやったりと誇らしげな笑顔を見ていると、(この笑顔に弱いんだよな)と自分に
言い聞かせる敬介だった。
 中華の小ぶりな茶碗とは言え、結局三杯もご飯をおかわりした薫だった。食べていた
アンパンはどこに行ったんだろうかと敬介は思った。

          ―――○○――― 

                           [第4章 前編 終わり]