On草子

ラブコメ 一緒に死んでよ

ラブコメ

第5章 別れ(前編)

 薫が机に向かって何か悩んでいるようだった。
 覗いてみると、いわゆる数独、1〜9の数字を当てはめていく数字パズルだった。
 「なんだ、そんなのができないのか」この一言が良くなかったのだが、この時敬介は
まだ気づいていなかった。
 よく聞くと、答えがわからないのではなく解法自体がわからないのであった。敬介が
簡単なルールを教えてやると、薫はすぐに解けるようになった。
 初級クラスの制限時間十分のものは、みな三分以内に解いてしまう。薫を見ていると、
学歴なんてまったく関係ないなとつくづく思えた。
 しばらくやっていたが、そのうちに「つまらん」と言い出してやめてしまった。
 そのくせ今度は、自分で同じようなゲームを作りだしていた。
 それにも飽きると、次は迷路を抜けるゲームをはじめた。おもしろいのは、しばらく
じっと見つめてから、迷うことなく迷路の道を一気に抜けるやりかたである。これもま
た才能なのだろう。

 それにしても、薫は、テレビゲームとか、携帯で遊ぶことはほとんどなかった。今の
若い女性にしてはまれな部類なのか、生活にそんな遊んでいるゆとりなどなかったから
なのか、今となっては良くわからない。ただ、時間にゆとりができた今でもやらないの
だから、それほど興味がないのは確かであろう。

 そんな薫の恐ろしさを思い知ったのは、その日の夕食時であった。
 「ずいぶんごちそうじゃないか。でも、なんでこんなに小皿にたくさんわけてあるの」
 テーブルに並べられた、たくさんの小皿をみながら、敬介は聞いてみた。
 すると薫は、これから数独ゲームをやるという。パズルをふたりで順に解いていって、
各自が解いたマスの裏に書かれたものを食べることができるという。
 暇なんだなと思いながらも、敬介は軽く考えて付き合うことにした。
 中級程度の数独である。ふたりにとってそれほど難しくはない。順番にマスをうめな
がら、薫の眼がだんだんと輝きを増していくのに、敬介は気がついていなかった。
 お互い順に数字を埋めていって、すべてのますが埋まった。つまり終了したのだ。だ
がそこからであった、本当のゲームは。
 「それでは、結果を発表します」いつもの明るい声で薫が言った。
 「敬介。ごはん、ごはん、ごはん、うめぼし、ごはん・・・・」
 「なに」敬介が目をむいた。 
 「薫さん。玉子、煮魚、ごはん、ソーセージ、さらだ、御味噌汁、ごはん・・・」
 「まさか・・・」敬介はうなった。
 「な〜〜に」
 「薫、はかったな」
 「敬介が自分で選んだんじゃない」
 じつは、答えが簡単にわかるマスには、あらかじめ「ごはん」をしこみ、その次に当
たるマスには、バラエティに富んだ各種の皿をセットしておいたのである。つまり敬介
の選ぶますをあらかじめ読んでいた、いや誘導していたのである。

 敬介のまえには、ほとんどご飯の小皿ばかりが並んだ。当然、薫の方はバランス良く
多種類の惣菜の小皿が並んでいた。
 「おいしい。敬介かわいそうだね、ご飯と梅干だけで」
 薫は、ここからがにくたらしいのであった。
 「おかずがいっぱいで、ご飯いらないからあげようか」といって、さらにご飯の小皿
を敬介の前に押し出してきた。
 「いるか」(食い物の恨み、いつか晴らしてやる)と敬介は心の中で叫んでいた。
 どこかで時の神様があくびをしているような、平和でのどかな時が過ぎて行った。

          ―――○○――― 
 
 夏の暑さも和らぎ始めたころ、薫が料理教室に通うと言いだした。
 薫の料理は、素朴な和食が中心であるが、味はけっして悪くはなかった。だが、より
本格的な料理が出てくるのも悪くはないなと敬介は考えた。そこにたどり着くまでの茨
の道などわかってはいなかった。
 いっぽう、薫が料理を習いたいと考えたのは他でもない、敬介の誕生日にこれまでと
は違う手料理を作りたかったのだ。

 薫が料理教室に通い出したある晩、スープが食卓に出た。今日は洋食かと思いながら、
飲んでみると味は悪くない。
 「おいしいよ」これも、料理教室の成果だと敬介は満足したのだが。
 薄いコンソメ色のスープのなかに何やら色々と入っていた。もちあげてみると、大根
のしっぽ、ジャガイモの皮、人参の切れ端、要するに野菜くずなのだ。驚いて薫に聞い
てみると、料理教室で出た野菜くずを、もったいないので持って帰ってきたそうである。
 たしかに、野菜くずからダシはよくでるであろう。しかし、野菜くずをそのまま出す
のはやめた方がいいと、薫を納得させるのには、かなりて手こずったのだった。

 ある晩は、薫が鼻をつまみながら皿を持ってきた。
 テーブルに置くだけで、あたりには異様な匂いが漂い始めた。(何だこれは)とみる
と、見たところは普通のカレーに見える。だが、その匂いやら何やらが、とてつもなく
強烈であった。
 「味は絶対にいいから、食べて」
 「薫はたべないのか」
 「私はあとで。今おなかすいていないから」
 (うそつけ。)
 勧められたてまえ、しかたなくスプーンを取ってみたものの、それ以上なかなか進め
ない。息をこらえて、恐る恐るスプーンでひと匙すくい口に運んだ。口には入れたもの
の、どうしても飲み込めない。両手を合わせて薫を拝みながら、口の中のものを捨てに
行った。
 料理教室で、カレーのための様々なスパイスを学んだのは良いのだが、スパイスとい
うのは曲者である。入れる分量が多すぎると、まったく逆効果になってしまう。良い匂
いを出すはずのスパイスが、腐った臭いになったりもするのだ。
 さすがの薫も、自分のドジを認めたのか、その晩はふたりで外にカレー以外のものを
食べに行った。

 こうして様々な苦難を乗り越えながら、敬介の誕生日が迫ってきていた。

 敬介の誕生日当日。十一月でも、東京はまだそれほど寒くない。
 薫はわざわざ休暇を事前に取っていた。やる気満々の薫をみて、ちょっと不安になっ
た敬介だが、止めることもできず、だまって会社に出かけた。
 「今日は、絶対に早く帰ってくるのよ。遅れちゃだめよ」
 うしろから、薫の声が追いかけてきた。

 その夕刻、息をきらせながら敬介が帰ってきた。同僚から誘われたのをようやく断っ
て逃げ帰ってきたのだ。
 「ただいま」
 いつものように部屋に入ったが、なんとなく雰囲気が違っている。肝心の薫の姿が見
えない。なにげなくキッチンに行ってみると、大変なことになっていた。家中の食器や
ら鍋やらが、山のように積まれ、あたり一面、粉か何かでまっしろになっていた。その
真ん中でうごめく物が有った。薫である。
 「おかえりなさい」
 振り返った薫の顔を見て、敬介は思わずたじろいだ。汚れているのを通り越して、わ
ざわざ化け物のふん装でもしたのかと思うような顔だった。
 (何だこれは)「大丈夫か」
 「もう少しだから、邪魔しないでよ」
 (別に邪魔はしませんが、早く帰って来いというから)そんな敬介の心の声など通じ
るはずはなかった。

 それからさらにリビングで待つこと、小一時間。
 ようやく、薫がキッチンのごみだめからでてきた。抱えた盆のうえには、完成品が乗っ
ていた。
 手際良く、次々とテーブルの上に料理などを並べて行った。ワインまで用意してあっ
た。敬介はグラスを二つ受け取ると、ワインをなみなみと注いだ。
 「お誕生日おめでとうございます」
 「ありがとう」
 薫によれば、インターネットで、『自宅に居ながらレストランのごちそう』という文
言に引かれて、挑戦したのだそうである。とすると、料理教室はどうなったのだろうか。
本人は、教室で教わったことなどすっかり忘れてレシピと格闘したのであった。
 それでも、いくつもメイン料理が並んでいたし、見た目もそんなに悪くはなかった。
ただ、なぜかお肉など見るからに小さい。
 マカロニキャセロールに戻りがつおをあわせたもの、ホタテのグリルマリナーラソー
ス、香草風味の仔牛のステーキなど、かなりのものであった。
 敬介はステーキをナイフで小さく切ると、静かに口に入れてみた。
 「おいしい」本音だった。
 「でしょう」
 薫は身を乗り出していた。そこで、敬介はふと気がついたのである。
 「薫は食べないの?」
 「おなかがすいていないから」
 口とは違って、おなかの虫が「グーグー(腹減った)」と答えていた。実はあまりに
も失敗を繰り返したために、材料がこれしか残らなかったのである。
 「こんなおいしいの一人ではもったいない。いっしょに食べよう。お皿もっといで」
 敬介の言葉に、薫はスーパンマンよりも早くお皿を持って戻ってきた。
 「すごい。おいしい。私って料理の天才だ」
 (何回失敗したの?材料なくなるなんて)
 「これなら、イギリスでコックできるな」
 (あの、ほとんどイタリア料理みたいですが)
 料理は大成功だった。ただ、ワインが何かいまひとつ味が足らないような。敬介は、
瓶を手に取ってみた。ノンアルコールワイン、昨年くらいからはやりだしたノンアル
コールタイプだったのだ。

 食後の本命、冷蔵庫からお手製のケーキを出してきた。
 ケーキの上にはろうそくの代わりに、所狭しと幡が立っていた。その幡の隙間のとこ
ろどころが、ビスケットでふたがされているようにみえた。そっともちあげてみると、
落とし穴のような穴があり、中にどろっとした液体が入っていた。薫が選びに選び抜い
た、特選のハチミツが五種類、スポンジの中に入れてあるという。
 ケーキの横腹には、カタカナで文字が書かれていた。「ケイスケヘ」と。いや良く見
ると最後の「へ」が、「べ」になっている。わざとなのか偶然なのか、聞くのもはばか
られた。
 少し待てと、犬のお預けを食らったような敬介のところに、どこからか小さなラジコ
ンヘリが飛んできた。最近では、ラジコンも小さなものは、数千円で買えるので、薫も
奮発したようである。
 ヘリから下がった垂れ幕には、『誕生日おめでとう。これからもよろしく』と書かれ
ていた。ラジコン好きの敬介を喜ばせる演出だったのだが、最後までうまく運ばないの
が薫である。飛んできたヘリは、当然のように垂れ幕のおもみでバランスを崩して、ケー
キの付近に墜落した。少しケーキのスポンジを壊して、飾りの果物がいくつか落ちた。
それですんだのは不幸中の幸いだった。

 とにかく無事なうちにいただこうと、敬介はフォークをもってケーキの塊を少し崩し
た。甘い、とにかく甘かった。甘いものが好きな敬介にも、ここまでハチミツに浸かっ
たケーキは甘すぎたのだ。
 それでも口に運んでいると、「フーフー」という荒い鼻息が聞こえてきた。ふと顔を
上げると、いつか夢に出てきたピンク色の豚の化け物がいた。そう思ったのだが、それ
はよだれをたらして、眼を見開きケーキを見つめる薫だった。
 特性ハチミツ入りのケーキなど、薫にしたらたまらない代物なのであろう。
 「せっかくだから味見したら」
 この一言で、敬介はようやく特性ハチミツケーキから解放されることができた。薫は
ケーキを切り分けて皿にのせると、それを敬介に渡して残りを自分の手元に引き寄せて
いた。どうにも腑に落ちないのは、切られたケーキの大きさではなかった。皿の上のケー
キの横腹には、「スケベ」の文字が輝いていたからであった。

 とにもかくにも、最後にはふたりいっしょに二時間もかけてキッチンの後かたずけを
して、ようやく長い一日は終わった。
 敬介にとっては、やさしい薫の心が、最高の誕生日プレゼントだった。

          ○

 敬介の誕生日が過ぎると、まもなく街はクリスマスや年末に向けて慌ただしさを増し
ていった。師走だから特別ということはないのだが、欧米の会社では長いクリスマス休
暇を取る人たちも多い。敬介の会社でも、その対応に追われることになる。
 クリスマスには特に興味もなさそうに見えた薫が、自分から家で静かにやろうと言い
出した。とはいっても実は、かなり料理の腕が上がり、ついにはマンゴーのロールケー
キまで手作りできるようになっていた。いわばそのお披露目を、クリスマスにかこつけ
てやりたかっただけなのだ。
 確かに料理は、時々プロの味に負けないものが出てくるようになっていた。失敗も、
茶目っ気もない大人の女の雰囲気を漂わせる薫に、敬介はまた別の魅力を感じて、いっ
そう好きになっていた。そのためか『結婚』の二文字が頭に浮かぶようになってきた。
 指輪のお金をためていたので、クリスマスには高価なプレゼントはできなかったが、
もとより薫はそんなものを求めてはいなかった。この穏やかな日々の暮らしが続くこと、
それが最高のプレゼントであった。




                           [第5章前編 終わり]