On草子

ラブコメ 一緒に死んでよ

ラブコメ

最終章 ふたたび(中編)

 三が日も無事平穏にすぎ、そろそろおせちにも飽きてきたところだった。
 いつもなら、四日から仕事がはじまるのだが、今年はちょうど週末と重なっていた。
せっかくだから、明治神宮にでも参拝に行こうということになった。

 日本で初詣客が最も多いのが、東京にある明治神宮だった。いうまでもなく、その名
のとおり明治天皇が祭られている神社である。
 原宿の駅を背にして、左手には代々木公園があり、その緑が続く右手が明治神宮にな
る。広さは、七〇万平方メートルにおよぶが、実はこの森、三六五種十万本にもなる人
工の森である。日本で生態学に基づく初の本格的な植林であった。その考え方とは、多
種多様な樹種により、百年後には広葉樹を中心とした森ができて、手入れや施肥が不要
な自然の森が形成されるというものだ。一九一五年(大正四年)には植林が始まったそ
うだから、ちょうど現代の我々は、百年後の成果を目の当たりにしていることになる。
 明治神宮は初詣いがいにも、最近のパワースポットブームで、加藤清正が掘ったとさ
れる「清正井」には連日多くの若い女性が訪れていた。また、大晦日を除いて、日の出
とともに開門し、日の入りにあわせて閉門するため、月によって開閉時間が異なるとい
うのも珍しいことであった。

 そんな神宮の森に、ふたりは連れ立って出かけてきた。
 大鳥居から、神社の森の中へと続く参道がのびていた。
 その大鳥居をくぐったところで、薫がたちどまった。顔色が悪い。めずらしく気分も
悪そうだ。
 心配する敬介に、薫は何でもない、大丈夫だからと気丈に答えていた。緑深い参道を
進むうちに、薫の様子は益々悪くなってきたように見えた。
 「先行って。すこし休んで、すぐ行くから」苦しそうに薫が言った。
 手で追い払うようなしぐさを見せる薫を心配しながらも、敬介はひとり参道を歩きだ
した。しばらくしてから振り向いてみたのだが、あたりに薫の姿はなかった。まだ幕の
内で参拝客は結構多い。先に行ったかもしれないと、敬介も拝殿への道を進んでいった。
 参拝をすませてから、しばらくそこで薫が現れるのを待っていたのだが、いっこうに
姿をみせなかった。少し心配になった敬介は、参道を急いで引き返して行った。

 そのころ薫はと言えば、参道のわきの森に少しだけはいりこみ、その中の一本の木に
しがみついていた。
 「ちょっと、やめてよ。ひっぱらないでよ」
 何か言っている。
 「いやだっていってるでしょ。やめてってば」
 誰かに引っ張られているのであろうか、さかんにその手をふりほどこうともがいては、
必死で木にしがみついていた。だがみたところ、あたりには誰一人として人影はなかっ
た。
 なおも「お願いやめて。いきたくない」だんだんと言葉使いも弱々しくなってきた。
 こころなしか、その姿形まで影が薄くなってきたように見えた。
 「おねがい、やめて! 敬介、助けて」
 その願いが通じたのか、ちょうど参道を歩いてくる敬介の姿が眼に飛び込んできた。
 薫は最後の力を振り絞ると、参道によろけるようにして出てきた。そして無我夢中で
敬介の腕に、両腕でしがみついたのだった。
 「薫、どうしたんだ」
 驚いた敬介の問いかけにはこたえず、ただひたすら哀願した。
 「帰ろう、敬介。帰ろ、早く帰ろう」
 敬介は何かあったのかなと思いつつも、両腕でしがみつく薫を抱くようにして、とり
あえずもと来た道を戻って行った。

 ようやく大鳥居まで戻り、鳥居をくぐるとふたりは、社殿に向かって軽く頭を下げた。
 そのとき、はるか上空から声がしたようだった。
 『やれやれ。元気な女(こ)じゃ。だがわしゃ、引っぱってなどおらんぞ。そなたが、
自分で勝手に来たがっておるのじゃよ。ま、本人は気がついておらんじゃろが。では近
いうちにまた会おう』
 むろん敬介にはなにも聞こえていなかった。薫には聞こえていたのかどうか。軽く頭
をさげたとき、口を大きくへの字に曲げて下唇をつきだしていた。

          ○

 鳥居を抜けたあたりから、ようやく薫が落ち着きを取り戻し、つかんでいた両腕もは
なすようになった。原宿駅の近くまで戻った時には、すっかり顔色も元通りになってい
た。
 そんな薫を見て安心した敬介は、昼時もすぎていたので、
 「どこかで、お昼でも食べて帰るか?」と聞いてみた。体調の戻った薫に否やはなかっ
た。
 「お子様ランチが食べたいのだけども、いいかな」
 「お子様・・・」(なんじゃそれ)
 薫がしぶったのは、お子様ランチが嫌いなのではなく、それどころか好きなのだが、
量に少々難があったからだった。
 「大盛りでお願いします」
 今回は、どうやらほんとうに大盛りがご希望な様だ。
 敬介は携帯電話を取り出すと、そこに薫を待たせたままで、しばらくそれを操作して
いた。
 「わりと近いや。いってみよう」
 携帯をしまいながら、敬介は参宮通りのほうに向かって歩き出していた。しばらく歩
いて、参宮通りから一本路地を入った裏手のあたりに一軒の喫茶店があった。
 店の前で立ち止まると、敬介は薫の顔を見ながら笑って伝えた。
 「大人のお子様ランチなんだよ。いいかな」
 薫の顔が明るくなった。
 店内にはいると、すでに昼の時間をすぎていたのでなんとかあいている席が有った。
 席に着くや早速、大人のお子様ランチを二つ注文した。とくに珍しくもないのであろ
う。店の人は、驚きもせず普通に対応していた。

 しばらくすると、プレートが二つ運ばれてきた。
 プレートの上には、お子様ランチ同様、ハンバーグやたこ形のウインナー、スパゲッ
ティなど色々なものが、ところ狭しと盛られていた。もちろん、御約束の幡もガーリッ
クライスの上にちゃんと立てられていた。
 たしかに、『大人の』とうたうだけのボリュームではあった。
 最近は様々な種類のものを一度にたべられるとか、酒のつまみにあうとかいうことで、
「大人のお子様ランチ」を扱う店がいくつも出てきていた。それを知っていた敬介が、
この辺りにもないかと、携帯電話のナビで調べてみたのだった。

 ふたりは、手を合わせて同時に「いただきます」と言って軽く頭を下げた。が、その
瞬間、薫は自分のガーリックライスに刺さっていた幡を引き抜くと、そのまま敬介の皿
の上にあるハンバーグのはじにその幡をさした。
 「ここは、薫が占領しました」
 「あ・・・」(やったな)
 敬介もだまって、反撃に出た。自分の幡をぬくと、薫の皿にある海老フライにそのま
まさしたのだった。
 「だめ!」大きな声があたりに響いた。
 あまりに大きな声だったので、周囲の客も店の従業員も一斉にふたりを振り返った。
敬介は薫のいきおいよりも、その周囲からの冷たい視線に威圧されて、さした幡を引き
抜くとそのまま自分の海老フライに刺したのだった。
 「撤退です」小さな声で言った。
 大きくうなずいた薫は、むろん大満足であった。

          ―――○○――― 

 早いものである。初詣の騒ぎから、早一ヶ月が過ぎようとしていた。
 薫と知り合ってからも、もう一年近くになる。一周年の記念日は、婚約をした形で迎
えたいと敬介は考えていた。つまり、それまでにはプロポーズをするということだった。
 薫と結ばれることには、なんの違和感もない。それどころか、この穏やかに時が流れ
てゆく幸せが、永遠に続いてほしいと常々思っていた。薫のすべてが愛らしく、いとお
しく、どんな無茶なことをしでかしても、生まれたての子犬が何をしても許せるように、
敬介は薫を本気で怒る気にはなれなかった。
 いや、たったひとつ問題が有った。どうしても、解決しておかなければならない問題
が。それは、これまでにも何回も引き起こしていること、つまり心中未遂である。
 心中なら、普通は愛する人とともにしようとするものだ。だが薫の場合、心中という
よりは、なぜかいっしょに死んでくれる相手を求めてさまよっているようにすら思える
のであった。この悪い癖をなおしたかった。もしかすると癖ではなく、薫の心の奥底に
は、まだ敬介も知らない深い闇が隠されているのかもしれなかった。
 いづれにせよ、どうしてもこのことを解決したかった。精神科を受診させることも考
えたのだが、それは最後にしたかった。とにかく自分が出来ることをやってみて、それ
でもどうしてもだめなら、その時には医者に頼ろうと考えていた。まずは自分が何とし
ても治してみせる、という敬介の強い思いだった。
          ○
 敬介は、そのための綿密な計画をひそかに練り上げていた。
 二月という月は、一年の中ではあまり仕事も忙しくない時期なので、無理をして一週
間の休暇を取ることにした。そのための仕事のだんどりや、上司への根回しなども怠り
なくすませていた。

 一月最後の日、東京にもちらほらと雪が舞う晩であった。敬介は思い切って薫に話を
きりだすことにした。
 いつものように夕食を済ませると、向かい合って座っていた。今日は紅茶にどのハチ
ミツを入れようかと、薫は思案中であった。敬介は話を切り出した。
 「薫、ちょっと話があるんだけど」
 「なに」
 すぐに屈託のない笑顔が返ってきた。
 「薫は、今の生活に満足しているかい」
 どうしてそんなことを聞くのかと思いながらも、薫は答えた。
 「もちろん。だって、敬介といっしょだもん」
 それならよかったと、話を終わらせてしまいたかったのだが、無理して言葉をつなげ
た。
 「そうか、よかった。でもそれなら、なんで時々死のうとなんかするの?」
 突然の問いかけに、薫は明らかに狼狽していた。それは質問もさることながら、実は
薫自身にもその答えがよくわかっていなかったのだ。
 「それは・・・」
 困惑した表情で、自ら答えを探していた。
 「良くわからないけど。でも、そうしなくてはいけないような気がして・・・」
 そんな薫を見ながら、敬介も答えを聞くのは無理なんだと悟っていた。
 「わかった。この話はもうやめよう。最後に、一つだけ聞いてもいいかな?」
 不安そうな薫の眼をみながら、敬介は言った。
 「どうして僕には、いっしょに死んでほしいと言わないの」
 「え、それは・・・」
 こんどは答えが見つからないのではなかった。言うのが恥ずかしかった。すぐには言
葉が出てこなかった。
 「死んでほしくない。敬介が好きだから。幸せになってほしいから」
 薫の言葉に敬介は胸が熱くなりながらも続けた。
 「もう遅いよ」
 「え・・・」
 「だって薫の事を好きになってしまったから。もう薫なしでは生きられないから。死
ぬときはいっしょさ」
 「敬介・・・」
 「いっしょに死ぬか?」
 「本当に?」
 「薫がそうしたいなら」
 「うれしい」

 敬介は自分でも驚くほど、すらすらと言葉が出てきた。もちろん死ぬ気などまったく
なく、あくまでも薫の悪い癖を直すための芝居だったのだが、半分は本心から出てくる
言葉だということを、敬介自身は気が付いていなかった。

 敬介の計画とは、こんなことだった。
 とにかく、ふたりで心中しに行くと見せて、今回もまた失敗をする。その帰りに温泉
にでも行って、そこでプロポーズをする。そのまま初めての婚前旅行としゃれこむつも
りだった。そのために一年近くお金をためて、ようやく念願の指輪も特注していたのだっ
た。
 これならきっと薫の悪い癖も収まるにちがいないと、敬介は確信していた。
 ふたりで死ぬことを決めた薫は、会社に仕事もやめると申し出ていた。だが、もし戻
りたければすぐに復帰できるよう、敬介が人事の吉川に話をつけておいた。こうして準
備は万端のはずであったのだが。

          ○
 その日の朝が来た。
 東京は雪こそ降っていないものの、どんよりとした曇り空だった。
 いつものように朝食をすませると、ふたり揃って後かたずけを始めた。それも食器を
棚に戻して、すべて終わった。

 薫は、自分の部屋にもどると、珍しく入念に化粧を始めた。出来る限り精一杯の化粧
で自分を飾っていた。口紅も丁寧に何度もひきなおし、アイラインも施していた。
 買っておいた香水瓶を取り出すと、身体の何カ所かにわずかばかり使用した。あたり
には、ほんのりとした春の香りが漂ってきた。
 ぬいぐるみのタヌキの首にかけていたネックレスを外すと、自分の首に着け治した。
確かめるように手を添えて鏡をのぞいてみた。お菓子の入った袋は、タヌキの首から外
すとそのままリュックの中にしまった。はかせていた赤パンの中に隠しておいた、ふた
りを描いた落書きのような絵は破って捨てた。
 タヌキのほっぺたをいつものようにつねると、今度は頭をなぜた。ルンバの電源も完
全に切った。その上に乗って動かないのを確かめたのは薫らしかったのだが。
 最後に、部屋の中をゆっくりと見回した後、リュックを持って部屋を出てきた。
 赤いパーカーに真っ白なレギンスパンツ。白いレギンスには、外側に、揺れる波の様
なそれほど太くはない線が入っていた。線の色は、虹色のグラデーションとなって下か
ら上に向かって流れていた。
 少し紅潮した白い肌に、化粧が良く映えていた。これまでは可愛いとばかり思ってい
た薫が、この時ばかりは美しい女に変身していた。敬介はおもわずドキッとして、初め
て恋する男のように胸が高鳴ってしまった。
 その死装束のようなきりっとした出で立ちをみて、敬介はおもわず死ぬなんてうそだ
よと大声で叫びたくなった。その気持ちをかろうじてこらえた。

          ○

 敬介は、駐車場から車を出しながら考えた。
 関越道で新潟方面に行くか、それとも薫の故郷である信州方面に向かうか。ハンドル
をにぎりなおすと、迷わずに中央道への道を進みはじめた。
 どうやら渋滞区間を抜け、中央道のあまり広くない高速道路も、車の流れがスムーズ
になってきた。中央自動車道は、始め中央高速道路と呼ばれたが途中で変更されたらし
い。高速としては対面通行もあり、それほど広くはない山道を走る道路だからであろう
か。

 信州、今の長野県。まだこの時期の長野は、冬のただなかにある。そのため、通行止
めの道も多い。ふたりを乗せた車は、中央道を岡谷でおりて一般道を進んだ。
 そのあたりまで来た時に、薫が聞いていたオーディオのスイッチを切った。車内には、
エアコンとエンジンの音が大きく響きだした。

 そして薫は珍しく故郷の話をしだした。信州には神話や民話が多いが、その伝説の一
つだと、こんな話をしてくれた。

          ○

 今から千九百年ほど前の事である。ヤマトタケルが、東征の道すがら信州に入った。
そして他の地方でもしてきたように、その土地の有力な豪族の姫をめとった。いわば、
政略結婚である。だが、そんないきさつにはよらず、若いふたりはいつしかお互いを本
当に愛し合うようになっていく。
 ある日、ふたりは山の頂付近にある広い野原に出た。多様な高山植物が咲き乱れ、別
世界のように美しい景色であった。戦いに明け暮れるタケルの心にも、ひとときの安ら
ぎがあふれていた。
 「美しい。まるで姫の様だ。私はこれからどこに行っても、このように美しい野をみ
たら、必ず姫を思い出すだろう」
 以来、この地が美ヶ原と呼ばれるようになったという。
 だが、そんな平穏な時をいつまでも過ごすことは、タケルには許されていなかった。
 「たとえこの身は、東国の野辺に朽ち果てようとも、魂魄は必ずや姫のもとに帰って
こよう」
 ヤマトタケルは、そう言い残すと東国へと旅立っていった。

 姫は、ひたすら愛しいタケルの帰りを待ち続けていた。だが、姫の父親の死を境に、
姫の結婚を快く思わない豪族たちは、裏切り者として姫の命を狙うようになったのであ
る。
 追いつめられた姫は、とうとう白樺林の奥にある小さな湖に身を投げてしまった。
 「たとえこの身は朽ち果てようとも、私の心は永遠に変わらない。この透明な水のよ
うに」
 以来、この湖の水はどこからわき出るのか、常に水底がみえるほどの透明度を保って
いる。
 それから何年か後のある日、一羽の白鳥(しらとり)がどこからか飛んできて、湖の
ほとりに羽を休めた。その白鳥こそが、伊吹山でなくなったタケルの魂であった。だが、
池の水を一口飲んだだけで、白鳥はそのまま空高く飛び去ってしまった。
 姫は涙ながらに、その姿を追いながらこう告げたのだった。
 「透明な私の心も、涙でかすむことでしょう」
 以来その湖は、常に深い霧につつまれて、その場所を見つける事が出来なくなってし
まった。そして、その地を霧ヶ峰と呼ぶようになったという。
 いまも姫の魂は、タケルが訪れるのを待ちながら、透き通るほど透明な湖に住むとい
う。

 さらに、薫は話を続けた。
 幼くして父親と別れた薫には、父親との思い出がほとんどないという。しかし記憶の
底にたったひとつ鮮明な思い出があるという。
 それは幼いころ、父親の背中におぶさりながら、山道を歩いていた時のことである。
 雪に隠れた岩の間から、こちらを見つめる目があった。みると、それは白鳥だった。
その悲しげに、こちらを見つめる目が、いまでも忘れられないという。
 後年、姫とタケルのこの伝説を知って、あの時であった白鳥こそタケルだったのでは
ないかと、思うようになったという。霧に邪魔されて、いまだに姫の湖にたどり着くこ
とができずにさまよい続ける白鳥。そんな気がしてならなかったのだと。

 ちなみに、白鳥をはくちょうと思いがちであるが、はるか昔の日本では、白鳥とは、
はくちょうとは限らなかった。まさに、「しらとり(白いトリ)」だったのである。薫
がみたのは、唯一日本の高山に住む鳥、ライチョウだったのであろう。ライチョウは、
冬になるとその毛が、真っ白い色に変わる。まさに、しらとりなのである。

 敬介は話を聞いていて、薫はこの姫の生まれ変わりなのかもしれないと思った。だか
らこそ、これほどまでに純真で穢れのない心を持っているのではないかと。
 そんな事を考えているうちに、車は雪の残る地域に入っていった。

    
                           [最終章中編 終わり]