おとなの民話

あなたは武士になれますか?


江戸時代も半ば近くに成り、幕府による大名の取りつぶしはなくなったのだが、職を失ったままの武士の数はかなりの数に上っていた。武士を捨てて商人や農民になるものも多かったが、武士の誇りを持ち続け、赤貧生活を続けるものもまた相当な数に上っていた。

有る長屋の一軒に住む父と娘二人も、そんな家であった。
父親は、主家が無くなって以来浪人生活を続けていた。母親はそんな貧乏生活の中で一人娘を育て上げてきたが、その無理がたたって5年ほど前に他界していた。娘ももう嫁に出しても良い年頃に成り、それだけが気がかりで有り、また楽しみでもある父であった。

ある大店の主人が番頭に声をかけた。
「たしか、この棚に置いたはずなんだが。番頭さん、知らないかい?」
「十両の入った巾着ですか?私は存じませんが。先ほどまでこちらで、裏長屋のお武家様とご一緒だったのでは?」
「そうそう、寺子屋のことでお話をうかがっていたんだ」
「だんな様」
「まさか。お武家様だよ。そんなことはあるまい」
「私もそうは思いますが、何かご存知かもしれません。ちょっと、うかがってまいりましょうか?」 「そうだね。そうしてくれるかい」
軽い気持ちで答えた主人であった。

番頭は、近くの長屋の奥まったところにある一軒の家を訪ねた。
「ごめんくださいまし」
家のなかでは、初老の牢人が傘張りの内職をしているようであった。
「越後屋でございます」
番頭は出てきた老人に、もしかして十両の行方をご存知ありませんかと、丁重に尋ねてみた。
黙って話を聞いていたが、
「わかりました」とだけ、老人は答えた。
番頭にはその意味が良くわからなかったのだが、それ以上は気にすることもなく長屋を後にした。

翌日の昼過ぎのことであった。主人が番頭を見かけると声をかけてきた。
「番頭さん、きのう話をしていた十両は手文庫の中にありましたよ。うっかりしてました」
「え、なんですって?」
驚いた顔で、番頭が紙づつみをもって、店の帳場から戻ってきた。
「実はご報告が遅れていましたが、今朝早く裏長屋のお武家様がいらして、これを置いていかれたのです」
番頭は、そういいながら、紙をひろげてみせた。十両の小判がのっていた。
わけがわからず、言葉を失ってしまった。
「...」
「てっきり、魔が差して盗んだものを、返しにきたのだろうと思っていたのですが」


話を聞いた主人は、あわてて番頭を伴って裏長屋にむかった。
牢人の家には、「忌中」の紙が入り口にたれさがっていた。恐る恐る中をのぞくと、何人か集まっていた。
息を殺して奥をのぞくと、そこにかの武士が横たわっている。その顔をのぞいていた一人が、白い布をもどした。 驚いた主人が、傍らにいる人におそるおそる尋ねてみた。
「これはなんとしたことですか」
枕元にいた一人の武士が、越後屋に向かってこう告げた。
「つい、今しがた、腹を切った」
「どうして.....そんな」
「越後屋、商人のお前には、到底わかるまい。落ちぶれたとはいえ、武士は武士。盗人(ぬすっと)の疑いをかけられて、おめおめと生き恥をさらしておられようか」
「そんな、馬鹿な。ではこのお金は」
「娘を身売りした金だ」
「武士の面目をつぶされ、娘を苦界に沈めてしまった。どうしていまさら生きておられようか。武士とはそういうものだ」

主人も番頭も、ただただ身体の震えがとまらず、横たわる牢人の胸に置かれた守り刀をじっと見つめていた。



さて、あなたは、武士になれますか?え、成りたくない!せめて武士らしい気持ちだけでも持ちましょう。

平成24年(2012)05月22日
民話







秋山鷹志

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