オン草紙の和歌集

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『ヤマトタケル夢幻の道』
若竹 雨水 ヤマトタケル夢幻の道 和暖流 赤鳥居

ヤマトタケル夢幻の道B

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 最後は、せめてまた恋い焦がれる歌にしよう。と言いながら詠んだ歌は、どれも情けない男の心情ばかり。
 ああ、だめだな。熱い恋の思いを忘れてしまったのかも。



君待つや 行く方さえも知らぬとて 宵待ち草の咲くを待つわれ

 愛しい人よ、君は今でも私を待ってくれているのであろうか?それともすでにどこかに行ってしまったのか。それでも、未練たらしい私は、宵待ち草が咲くのをひたすら持ちこがれているのだよ。

 色気のない話になるのだが、「宵待ち草」について述べておこう。宵待草は、竹久夢二の詩に使われた言葉で、本当は待宵草(まつよいぐさ)である。さすがに詩人の感性である。どうしてもこう言いたくなってしまう。一方で太宰治が月見草と呼んだ花がある。どちらもともにオオマツヨイグサのことであろうとされる。夏ごろから秋口にかけて黄色の花を咲かせる。夕方をもって咲き始めることから、このような別名が付いたとされる。一日しか花持ちしないきゃしゃな花である。それが日本人の感性に合うのかもしれない。
 いっぽうで、月見草は本来は山野で自生し、白い花を咲かせる別のものであるとか。としたならば、タケルが見たのは、この本来の月見草であろう。とは言いながら実は、月見草はアカバナ科の越年草で、原産地は北アメリカ、メキシコだそうである。これまた違うじゃないか!
 解説などするとろくなことにならない。が、ここまで来たらついでである。中山大三郎の作詞・作曲で、森進一の歌に『ゆうすげの恋』という歌がある。『ゆうすげは 淡い黄色よ 夜に咲き 朝に散る花』と謳われる。ゆうすげは、ワスレグサ属の花で、夏にかけて山地の草原や林の縁に咲く。夕方に開花し翌日の昼には閉じる。

 可憐で清楚な白や淡い黄色の花、それが宵闇を待ってひっそりと山陰に咲く。誰に見られることもなく、翌朝にはその生涯を終える。日本人は、なんとこういう無常観ただよう野の花が好きなのか。はるか昔から、感性に刻み込まれているのだろう。


 宵闇の中、月明かりのもとで白い可憐な花を咲かせる。そんな野の花にタケルが心を奪われたとして何の不思議があろうか。花が咲くのを待ちながら、「もし花が開けば愛しい人は待っていてくれる」そんな花占いをしていたのかもしれない。

夢で会う君の憂いの横顔は  軍議にまさる心の寄るかた

 大切な軍議。将たるものほかのことに心を奪われている時ではない。それでもなお、夢に見た君の憂いを含んだ悲しげな横顔が、瞼の裏から離れない。「寄るかた」は、心が寄っていくとともに、思いの縁る方(ひと)であることは言うまでもない。

大いくさ君を喪(うしな)い勝てるとて  君にまさりて得るたからなし

 戦に勝ち、征服地を広げたとして、いったいそれに何ほどの意味があろうか。タケルにとっては、なにも価値のない勝利である。せっかく契りを結んだと言いうのに、娘の長はまたも反逆し、ついには娘もろとも成敗してしまう。そんなこともあっただろう。業火の中、崩れゆく君の姿をみながら、己の宿命を呪ったことも。


 ヤマトタケルの物語には、多くの女性が妻として登場する。そののちの時代の「通い婚」や一夫多妻の側面よりも、もっと冷徹で現実的な事柄でもあったのだろう。切り従えた地域。その地の長は、娘を妻や人質として差出し恭順を誓ったかもしれない。あるいは、征服の証として、剣を片手に無垢の娘を一夜妻としたかもしれない。そうして契りを結んだ多くの女性たちの中には、本当に心を通わせた女性もいたのではないだろうか。ひと時の安らぎをそこに感じたかもしれないし、その地方の妻として正式に迎えたかもしれない。むろん、タケルが強いだけではないやさしさや深い情愛を持っていればこそであるが。

 尽きないヤマトタケルの話。これからも私たち日本人の心の中に生き続けることだろう。


ヤマトタケル夢幻の道A

 ヤマトタケルは、日本武尊、倭建命、またの名を日本童男・倭男具那命(やまとをぐな)。また、日本武命、倭武天皇、倭健天皇(または倭健天皇命)とも。さまざまな名称は、一人の人物でないことの証というよりも、いかに多く人口に膾炙されていたかとみるべきなのではないだろうか。それぞれの地の人々の思いを込めて命名したともとれる。
 日本の神話では、多くの神々や人物の名前がさまざまな形で呼ばれている。仮に記紀が、地方の伝承などをいろいろと集めて書いたために、このような不揃いの名称になったのだとしたならば、それはこの時代までにすでに日本各地で、様々な神話や伝承が息づいていたことの証に他ならない。ヤマトタケルもまた、そのような伝承に生きていた人物なのであろう。

 ヤマトタケルの遠征は、当時としては大変な距離を走破する過酷なものであった。この遠征がどのようなものであったのか研究したものは意外に少ないようである。現代の戦争や進出を想像しても、多分正しくないのだろう。いわゆる兵站のことを考えても、近代はもちろん戦国時代とも違うさまざまな姿を思い描いてしまう。

 時に武力で、時に知力・謀略で、時に泣き落としで、そんな硬軟合わせた遠征だったのではないだろうか。それにしても、日本は山岳国家でもある。山を越えなければ隣の地方には行けない。だが、地図もGPSもない時代、山越えは死と隣り合わせの危険なものであったろうし、地元の人の道案内の協力なくしては、容易に進むこともかなわなかったであろう。そんな厳しい行軍を思い描いてみた。女性に愛されるやさしさを持つ彼だが、時に非情の太刀も振るったことであろう。そんな血しぶきの中で、彼はいったい何を見たのであろうか。彼の過酷な運命を思うとき、胸の痛みを覚える。

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部下残し剣(つるぎ)もすててただひとり 叫び戻らん幾方の山

 幾度も自分の役目を投げ出したいと考えたことであろう。血の通う人間であれば当然の感慨である。だが、もはや戻るには遠すぎる山の峰々。深い悲しみの中、それでもこの山々は故郷の山河にまでつながっていると思えばこそ、新たなる戦いの決意を固めたのだろう。

敵(あだ)といえ命にかわるものはなく 血しぶきのなか人(こころ)すてなん

 いかに朝廷そして父の命令とはいえ、闘いの前線に立つ身の上なればこそ、なおさら命を重さを感じたであろう。だが、もはや負けるわけにはいかない、愛しい人のところに戻るまでは。「心を鬼にして」という形容は、まだ人の心の存在を示している。血しぶきの海には、もはや心など居場所すらなかろう。

土蜘蛛と卑(いや)しむむろに身をゆだね しばしまどろむ大君の軍勢(むれ)

 都では、古い生活様式を維持している地方の人々を土蜘蛛(つちぐも)と称して卑しんだという。縄文時代の半地下のような住居の名残を持つ室(むろ)のような住まいである。だが、野宿に疲れ果てた彼らに、これほど暖かく心休まる場所があったであろうか。敵に襲われる危険すら忘れて、一時の眠りをむさぼっていたのではないだろうか。たとえ、そのまま殺されたとしても、この心地よさの中でならそれも許せるような、そんな気さえして。

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岩をはみ 泥水すすり ひたすらに 進(あゆ)みし道(はて)で ふと立ち止まる

 道が行き止まりなのではない。可憐な花を見つけたからでもない。突然、心の中に湧き上がる感情。行軍の足を停めさせたものとは。

またひとり朽ちし兵士に合わす手の 詫びる先には故郷(くに)の家族(ひとたち)

 敵も味方もない。路傍に朽ち果て行く幾多の兵士たち。あるは戦いに巻き込まれて亡くなる村人たち。その躯(むくろ)に手を合わせながら、魂の安らかなることを祈りまた家族への詫びを告げる。それが戦いの先頭に立つもののせめてもの思いやり。むくろは葬られることもなく、深い崖下に投げ込まれたり、川の流れに任せたのであろう。それが、この時代の現実なのだろう。

焼き石を咥えて満たす空腹も 心の飢餓をうずめるすべなく

 焼き石をくわえるというのは、私の全くの創作である。本当に追いつめられた時、人はそこにある草を食べるよりも、たき火で温めた小石を口に含む、私にはそんな場面が思い浮かんで消えないのである。
 「心をいやす」というような生易しいものではなかっただろう。癒されるのは、人としての普通の精神状態があってのこと。心の飢餓をいったい何をもって埋めていたのであろうか?敵の血しぶきか、女の征服か、それとも故郷においてきた妻たちの思い出か、あるいは小さな横笛の音(ね)か。


 少し暗すぎるのかもしれない。だからこそ、長歌の音律の中に紛れさせることでやわらげたかったのだが、才なき身には荷が重すぎたようだ。(続く)



ヤマトタケル夢幻の道@


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 題だけが先にできてしまった。本当は長歌に挑戦したかったのだが、まったくできなかった。長歌の持つあのテンポの良いたたみかけるような言葉の連続、そのなかで次々と展開していく物語。これこそ我々の先祖が、長い時間をかけて鍛え上げた美意識と感性に合致した文学作品なのであろう。大祓祝詞(おおはらえののりと)も、同じような技法で作られているのであろうか。小さな声で読み上げ始めると、そのうち身体全体で大きな声を出して読み進めている自分に出会う。かならず最後は朗々とした声で謳いあげて、もう少し読み続けたい気持ちになる。

 五七調の語句の連なりは、それ自体が文章でありながら、終わりのない繰り返しでもある。それは絵巻物の連続性や、決められた年月の遷宮などと同じで、無常観を秘めながら、繰り返しのなかに永遠性を閉じ込めている。日本人の根本的な感性である無常観を表現したものともいえるのだろう。ことほど左様に、読むと気持ちがよくなるにもかかわらず、作るのは意外と難しい。とりわけ現代の日本人にはかなり困難な作業に見える。ま、私にそのような言語表現能力が全くないだけなのかもしれないのだが。

 要するに、ヤマトタケルを題材とした長歌を読むことが出来ずに、挫折してしまったのだ。情けない!そこで、せめてメモ代わりの単語を拾い集めて歌の体裁を施してみた。


 判官びいきと呼ばれる日本人の感性。強さと人間らしい弱さとを併せ持ち、無常の人生を送る英雄たちに、言い知れぬ思慕の情を覚える我々にとって、ヤマトタケルはまさにその代表的な人物であろう。実在性や何人かの人物の寄せ集めて作られた虚像であるかどうかなどは、実はたいした問題ではない。ヤマトタケルに託して語られる人物像に、日本人の心性の投影が確かにあるのだから。

 天皇の皇子という高貴な身分に生まれながら、父親に疎まれ過酷で危険な任を命ぜられる。周囲、とりわけ多くの女性たちに助けられながら、しかし最後は悲しい非業の死が待っている。死んだのちもこの世への未練なのか、それとも愛する人たちへの最後の別れを告げるためなのか、白鳥(シラトリ)となって空を飛ぶ。その姿に、われわれ日本人は何を感じるのであろうか。たとえようのない複雑な感情が、心の中をうずめつくし、言葉による表現すら拒否する。だからこそ言葉でありながら、個々の単語や文にさしたる意味もなく、表現できない複雑な感情を引き出す事を目指す長歌の存在があるのだろう。こんな難しいものは、天才歌人の人麻呂に任せよう。


   まずは、ヤマトタケルの遠征中の一場面を取り上げよう。

国見せる大君なればこの丘に 故郷(くに)の香りを 嗅ぐぞこの身は

 自分が治める国を高いところから一望する国見というのは、天皇にとって重要な祭事と言われている。皇子であり、攻めて獲得した土地(国々)ならば、タケルも天皇と同じような感慨を少なからずもっていたかもしれない。だがそれ以上に、どこに行っても故郷を思い出させるような山河の風景が広がる日本である。彼はきっと遠く離れた故郷を思い出していた事だろう。二度と戻れぬかもしれない思いを胸に秘めながら眺める山河は、彼に何を語りかけたのであろうか。

峰いくつ連なる姿尊きに 国生みの親神(かみ) 思い起こせし

 埼玉県秩父にある三峰神社。創建は1900年前で、ヤマトタケルが東征の折、この山に登って見た山々の連なりに感動し、国生みを成した神、伊弉諾、伊邪那美を祭ったとされる。軍事行動のさなかとは思えない、彼の心象風景である。感じるものは、人それぞれであろうが。(続く)



(参考)「柿本人麻呂 (全)」 編集:橋本達雄 笠間書院 2000年     「日本武尊 (人物叢書 新装版)」上田正昭 吉川弘文館 1985年 


国見(くにみ)とは

 国見(くにみ)というのは、昔、天皇や権力者が、山など高い所から自分の所領や人々の暮らしを見たことを言う、と解説されています。また、これは神聖な宗教行事のひとつでもあったそうです。しかしこの行為、支配地の確認とか領民を見るとかいう特定の目的でなければ、およそ日本人なら誰でも行う事ではないでしょうか。

 国土の7割が山地の日本では、小高い丘、峰、山の頂、周辺に有るちょっとした高見に上って、景色などを見ることは、当たり前の風景です。そして、その目的も、そこで味わう感慨も、人それぞれ時々の状況で、まったく異なるものになります。
 全国には、「国見峠」や「見返峠」と言う地名が残っていますが、その数は意外に少ないです。それは、逆に、この行為が日本人にとって、あまりにも日常の風景であったことを意味しているのでしょう。そこに暮らす人々にとって、あまりにも当たり前の事は、それを表す単語がないことがあると、言語学でも言われていますから。

 別れ、望郷、帰郷の喜び、愛の確認、自然への憧憬、登る朝日、沈む夕陽等々、様々な感情がわき上がる場所、それが国見などの『高見』なのです。したがって、歌にもっと多く詠まれても不思議はないのですが、言葉にするよりも、それぞれ自分の心の内に大切にしまってしまうのかもしれません。

 国見は言い換えれば、峰から、頂から、小高い丘の上から、絶壁から.....そんな言葉になるのでしょう。
 そんな、国見いや高見をいくつか詠んでみました。

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@を現代風で詠めばAに、Bが同様にCになる。かな?

Cで、故郷(ふるさと)に『待つ』ではなく『置く』にしたのは、植物の名前が二つ入ることを避けたのと、待つという相手からの視線ではなく、こちらからの視線『おいてきた』を強調したかったからです。

橘(たちばな)

 ところで、橘(たちばな)は日本古来の植物で、日本人にとっては特別な感慨をもつものだったようです。橘の姓もあれば、家紋もあります。いまでも花シリーズの香水には、必ず橘が入っています。日本人が愛して止まなかった香りの植物。それがいま絶滅危惧種に指定されています。寂しい限りです。古代日本人が愛したものを愛せなくなったと言うことは、彼らの持っていた豊かな感性を失うことにもつながっているからです。自生しているわずかな橘を、大切に守りましょう。吉武利文さんと言う方が、「橘の香り」という本を書いています。

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 愛する人に会えない寂しさを、笛の音で紛らす。交通網が発達し、携帯まである現代では、この切ない気持ちも、すでに理解できない感情になっているのかもしれませんね。





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 眼下に広がる遠い海、風もないのに磯の香りが感じられるようだが、気の性だろうか。波もなく穏やかで静寂の海に面した入り江からは、まるで人々のざわめきが聞こえてくるかのように感じられる。句頭を、『風』でなく『波』にしたのは、下の句のざわめきに対する静けさを強調したかったのです。さらに、波も見えないほど遠くの海から磯の香がするような。あまり解説するのは野暮ですね



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 結局は、こういうことでしょうか。高見に立って眺める人の数だけ、思いや情がある、と。







蓐(しとね)とは

 ここで蓐(しとね)とは、寝床というような意味です。『座るときや寝るときに下に敷く物。しきもの。ふとん。』なので。

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 日本武尊(ヤマトタケル)ではありませんが、遠征の旅。昔は、野宿が当たり前だったのでしょうか。過酷な旅のなかで、ひとときの安らぎの時間。うたかたに見る夢は、うつつか幻か。愛しい人の膝枕のぬくもりが、夢でもうれしい暖かさでしょう。このような状況であればこそ、詠まれる国見の歌も切なくなります。




秋山鷹志

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