和暖流はオン草紙の一部です

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歌集+短編小説「ヤマトタケル 夢幻の道」 無料キャンペーン実施 4/16-18 PDT

これは歌集「和暖流」として再構築したものです。これまでの和歌は、そのうち気が向いたときに、電子書籍化させていただきますので、あしからずご了承ください。

出版済みの「赤鳥居」はこちらです。

 


春の旅人
春の旅人

  音もなく 訪ね来たりし 旅人は
    行方尋ねる 春の花びら

 玄関を開けたら、珍客がいらしていた。仲間とはぐれた花びらが一枚。自分の行く先はどこでしょうかと尋ねて来たようだ。しかし、それは風に聞いてもらわないと私にもわからないですよ、と答えた。かなり粘っていたのだが、やがて諦めたのか、それとも風が迎えに来てくれたのか。どこかに旅立った。いま桜が満開。。
令和3年3月31日(水)

小さなモデル

  寒さなど 気にもしないと 群れ集う
    瞬きの間に みぞれに消えし

  早く撮れ 寒さこらえる 小鳥(モデル)たち
    風に吹かれて 行方くらます

 関東の平野部でも、今日から明日にかけて雪が積もる予報。雨なのか、みぞれなのか、外を見たら遠くの梢に小鳥の群れが来た。
 写真(ピンボケだ!)を撮り終えるのを待っていたかのように、すぐに飛び去ってしまった。自然界のモデルも、ポーズをとり続けるには、少し寒すぎるようだ。かく言う写真家も震えが来て、慌てて窓を閉めた。ふ~、寒い!

 大寒から三日、今年は暦通りに寒い。 それにしても小鳥が皆同じ向きなのは、向かい風を避けているのかな。
令和3年1月23日(土)

ぬくもり

 木枯らしの 避けたる先に 陽だまりの
   見つけてうれし 母のぬくもり

 今日は注意報が出るほど北風が強い。身をかがめながら歩いていたら、急に小さな陽だまりに出た。思わずほっとする暖かさは、赤ん坊の頃に抱かれた母のぬくもりなのだろうか。

 「木枯らしを」と詠むのが正しいのかもしれないが、自分が木枯らしを避けたように、木枯らしもまたこの場所だけ避けてくれたような。そんな思いも込めて見たのだが..。少し無理があるかな。
令和3年1月19日(火)

時の流れに添い寝

 抗(あらが)わず 流れる時間(とき)に 添い寝する
     生命(ともしび)燃やす 心は静か

 抗うわけでも、立ち止まるわけでもない。流れゆく時の流れに身を重ねて、穏やかに暮らすだけ。そんな一生は、味気ないものなのか、それとも、かけがえのない価値あるものなのか。時代に添い寝をしながらも、自分を見失うことなく生きていけたならば、それは幸せなのだろう。
令和3年1月17日(日)

地上の騒ぎ

 冬晴れの空はいつもと変わりません。でも、地上では明けても暮れてもコロナウイルス(COVID-19)の大騒ぎ。メディアも、煽り立てて視聴率を稼ぐことが自粛の妨げをしていると、なぜわからないのでしょう。1年もの間、毎日毎日脅かしていたら、聞く耳持たなくなるのも当然でしょう。オオカミ少年ですらあきれてしまいますよ。
 人の心の醜さは、冬の風よりも、冷たさが身にしみます。
令和3年1月16日(土)

飛行機雲

 青い空を流れていく飛行機雲は、いつ見ても心引かれるものがあります。はるか昔の夢を、もう一度連れてきてくれたようにさえ、感じてしまいます。
令和3年1月13日(水)

黒百合(くろゆり)

 黒百合は、日本の高い山に咲く花です。花言葉は「呪い」とあまり良いものでありませんが、戦国武将佐々成政の黒百合伝説に由来するとも言われています。側室の早百合(さゆり)が密通の疑いで殺されるとき、立山に黒百合が咲いたら佐々家は滅ぶと呪いの言葉を残したとか。人の思いは恐ろしいですね。

 花言葉を恥じてでもないでしょうが、なぜか花は下を向いています。そんな花をかばうように、優しく山が微笑みます。

 今では、そんな山にも登れないほどに老いてしまいました。それでも山々を眺めているだけで、十分に心が洗われていきます。

 蛇足ですが、蝦夷黒百合の花言葉は「恋」です。同じ黒百合でも違いますね。
令和3年1月12日(火)

愛はどこへ

 いうまでもなく、袖を振るというのは愛情を示す求愛などの行為を示し、昔の歌にはよく出てきます。どんなに燃えたぎった恋であっても、時の流れはそのすべてを忘却の彼方に押し流します。

 あれほど苦しんだことですら、いまでは思い出の片隅にあるだけです。あれほどに振った袖も風にちぎれて、無くなってしまいました。それでも、時々こうして歌に詠むのもまだ心があるからでしょうか。
令和3年1月11日(月)

風の子

 子供は風の子。寒くても元気に外で遊んでいる。が、さすがにこの寒さには勝てないのだろう。にぎやかな声も長くは続かない。すぐに静けさが戻ってくる。あとには、どこまでも青い冬空が広がるだけ。ひとり残された冬童(ふゆわらべ)が、どこかで笑っているような。

 今年の寒波は、かなり応える。それも全国の8割で0度以下を記録、というのだから半端でない。大雪の被害もあちらこちらで出ている。暖かな春が待ち遠しい。
令和3年1月10日(日)

元日の空

 コロナ騒ぎやら何やらで大騒ぎの下界をよそに、天空は青い、蒼い、碧い、ひたすら『あおい』!なおその先には光が輝いていた。神々しい光に、神の存在を確信する日本人の感性は、まさに正しいのでしょう。

 地上の社会が大変な時こそ、自然に触れて心の安らぎを取り戻したいものです。

 本年も幸多かれと!
令和3年1月1日(金)



雪童(ゆきわらべ)
お見合い

 とくに説明も不要でしょう。むろん豪雪地帯の人にとっては、雪はこのように風情のあるものではないでしょう。ですが、大変な一年だったからこそなおさら、心を穏やかに遊ばせてみてください。良いお年を!

 あ、雪童は雪だるまのような姿の童で、雪女の子供という設定の創作です。創作なんて言っても、誰でも思いつきますけどね。 オン草紙・民話では冬童(ふゆわらべ)と呼びました。よろしければ、「こっくり地蔵と冬童」は、こちらで読めます。
令和2年12月31日(木)

不条理
お見合い

 日経平均株価が400円以上も値上がりして、バブル崩壊後の最高値を更新したと、昼のニュースが伝えている。その一方で、ネットでは様々な餓死者のニュースがあるのだが、すぐに忘れ去られて消えていく。富むものはさらに富み、貧しきものは声すらあげずに消えていく。戦後の日本は、失ってはならない人の心まで失ってしまったのだろうか。

 超がつく高給取りのNHKが、年末の炊き出しなどのニュースを流しても、どこか白々しいばかり。本当に不条理と思うのならば、まず身を切れと言いたくなってしまう。

 コロナの感染拡大は、収まるどころか世界中で拡大している。来年こそと思う気持ちと、諦めが交錯する重い気分の年越しである。明日からは大寒波だという。せめて大雪が、コロナウイルスを殺してくれればうれしいのだが。
令和2年12月29日(火)

 お見合いですか?!
お見合い

  今日も寒い昼下がり、ふと見た空に雲二つ。まるでお見合いをしているかのように見えた。下界のコロナ騒ぎも、年末も関係なくのんびり過ごす姿がうらやましかった。そういえば、遙か昔にお見合いなるものをしたこともあったか、無かったか!?

 写真では見づらいですが、なんとこの雲、お互いに左右に尻尾を流しているのです。そう、左右から来てここで会った、まさにその感じです。

 どんなに大変な時でさえも、自然はふと人の心を和ましてくれる。神の一部たるゆえんかも。
令和2年12月26日(土)

     
 不況風
不況風

 不況風の冷たさは、身体だけではなく心の奥底にまでしみこんで、渇き凍てつかせてしまう。

 あれほど人手不足が騒がれていたのがまるで嘘のように、コロナ解雇による失業があふれ始めている。年の瀬にNPOの食糧支援に並ぶ人が倍になったという。

 この年末年始をなんとか乗り切って、来年にはまた明るい社会が戻ることをひたすら願うばかり。
令和2年12月24日(木)

 枯れ葉の舞
木枯らし

 暖冬と騒がれたここ数年と違い、今年の冬は寒さが一段と厳しくなっています。スキー場でも待望の雪が多すぎて困っているようです。すでに雪に埋もれる事故もおきています。何でも、ほどほどでないと困るものですね。

 今住む場所ではまださすがに雪はありませんが、元々寒さには弱いので、朝の寒さは格別です。近くの緑道で散歩するのですが、枯れ葉が大きく舞あがり、寒さを一段と際立たせてくれます。別に頼んでないのですけどね。
その一本道の先を見つめると、自然に視線が空に届きます。そこには昼の月とでも言うのでしょうか、かすかに三日月が見えています。
 コロナ不況で困窮する人も増え、木枯らしも身にしみますが、その先には希望の明かりがあることを信じたいと思います。そんな気持ちにさせてくれる昼の月です。この月のことは、正月にも詠みました。
令和2年12月24日(木)

 師走の街
青い空静かな街

  このあたりだけかもしれませんが、火曜日は平日で最も人通りが少ない曜日のようです。それにしても、人も車も少なく、これでもうじき大晦日なのだろうかと思うほどです。やはりコロナ禍の影響でしょうかね。それにすでに吹き始めた不況の風も影響しているのかもしれません。
 弱り目に祟り目は、どうもいつも当たるようです。社会が乱れるとき、自然もまた牙をむきます。暖冬などいつの話かというほどに、早々と真冬の寒波と大雪が来ました。

 ふと見上げた空は驚くほどきれいに青く澄んでいました。来年は、この空のように穏やかな一年であって欲しいと、心から願わずにはいられません。
 令和2年12月22日(火)

アマビエ
アマビエ コロナ禍
 アマビエは疫病退散の妖怪と言うことで、今年は大人気でした。忙しいでしょうが、この際アマビエさんには、初詣の代役も頼みましょうか。いや、やっぱり妖怪は神社の結界に引っかかるかもしれないな。来年はのんびりとお参りしましょう。旧暦でもいいしね。
 令和2年12月21日(月)

 冬至
 冬至
 冬至と言えば、カボチャとなっていますが、カボチャに小豆(アズキ)を混ぜて煮たのも美味しいものです。この小豆は、古来中国では鬼毒を殺す食べ物とされています。ならば、新型コロナウイルスの毒も消し去ってくれるかもしれません。だめでも、甘いものを食べると元気になるから良しとしましょう。笑

 そういえば、甘い物好きの私には、世の中で甘いものが嫌いだという人の存在自体が信じられません。ウイスキーにチョコ、日本酒に和菓子と、酒のお供にもなるのに。
 令和2年12月21日(月)

 アマビエ
 アマビエ
 アマビエにとってはアズキも商売敵だから嫌いか、それとも実はこっそりたくさん食べているのかな。こんな想像をしていられる、静かな年の瀬になった。あ、無職の今では一年中暇で静かだっけ。泣

 フリーのイラストもたくさんあるけど、小豆を食べるアマビエのイラストは見つからないな~。年明けには、アマビエが初詣するイラストも出てくるかもね。
 令和2年12月21日(月)


 元日の月
元旦 元旦

 散歩中に空を見上げると、高いところに月がある。雲一つない晴れ渡った令和最初の元日。この清らかさ、静寂こそが、令和という新しい時代の象徴であってほしいと心からそう願う。

 驚 かすかに三日月が写っているのですが薄すぎて見えないので、別にとった「月」を重ねました。どちらも間違いなく元旦に撮ったものです。
 令和2年元旦


 お供え
富士元旦

 まるで鏡モチをお供えしたように、ビルの上に富士山がのっている。自然と人工物の調和は日本人にとってはごく当たり前の風景だが、これこそが日本人の心であり、美意識の感性なのだろう。
 それにしても、富士のお山はどんな構造物とでも似合ってしまう不思議な山である。神の山たるゆえんかも。

 初日が一緒に入らないのが、残念だった。欲張りすぎかな。笑
 令和2年元旦