霊・魂とは何か

神ながらの道(以降「神ノ道」と表記)の第二部は、死後の不思議と霊的世界なのですから、「霊」とは何か、から始めるしかありませんね。宗教的な話や歴史的経緯などをはなしはじめると、それは第一部の項目になってしまいますので、当然違う視点から話します。

そもそも、霊とか魂って何でしょうか?正直わかりません。でも、日本人なら誰でも受け入れてしまう、つまりわかったつもりでいる概念です。そしてその感覚は正しいのでしょう。

霊と魂の違いは

霊的世界で言えば、両者を厳密に分けることには、さして意味が無いように思えます。


ですが、この図のように考えるとわかりやすいかと思います。つまり、魂とは、この世の人間を動かす源泉となる力です。それに対して、霊とは、肉体を離れた、死んだ状態における魂の事だと言えます。ですから、魂と言っても霊と言っても違いはその状態だけだと言えるでしょう。

用語意味位置づけ
魂(たましい)生命の根源。生きる力の核人が生きているときの本質的エネルギー
霊(れい)魂が肉体を離れた後の存在死後の存在、または超自然的な実体

神道では、魂は本来は分割可能であると言われますが、これはまた別項目でふれることにします。仏教では、本来は魂や霊を固定された実体とは見ないのですが、日本の仏教では、「霊を供養する」などと言いますね。日本の知性宗教は、神ノ道の信仰心に色濃く染められているのです。
 まずは、生きている人間は魂を持ち、死ぬとそれが霊になると言う認識にとどめておきます。


この図は、魂はいわば檻の中に閉じ込められた存在であるのに、霊はその外にいて自由な存在であるというイメージ図です。
 この世とは、いわば動物園の檻の中のようなところであり、さまざまな制限に取り囲まれています。しかも、常に周囲から見られています。この檻の外にいるのが、さまざまな魂や霊達なのでしょう。我々は檻の外に出れませんが、彼らは自由に出入りすることが出来ます。こんな絵を思い浮かべると、関係がよく見えてきます。

日本人一般の感覚と世界の主要文化圏の霊魂観

◆日本人一般の感覚:
 魂=思い・気配・念のエネルギー」という理解が非常に強いでしょう。宗教的教義よりも生活感覚としての霊が強く、次のような特徴があります。

①「霊=思いの残り」
  恨み、心残り、愛情、執着、感謝などが思い浮かぶ。

②「霊はエネルギー的なもの」という直感。
  念、波動、空気」など、非物質的な力の存在を前提にする文化です。霊=思念のエネルギーという捉え方は、むしろ自然です。

③「人格より“気配”として感じる」
  西洋のように「霊=死者の人格そのもの」というより、日本では気配、影、念、祟り、守りといった 作用・影響として捉える傾向が強い。

つまり日本人の多くは、霊を“思いの作用”として感じているのです。

◆世界の霊魂観:
 人格としての魂が主流ですが、エネルギー的理解も広く存在します。

① キリスト教・イスラム教圏(人格型)
  魂は「神が与えた人格の核」であり、死後も 個人として存続するという考えが強い。霊=人間の“本人”であり、思念のエネルギーというより「人格の延長」という捉え方。

② インド・チベット(思念エネルギー型)
  思念は実体を持つ、執着が霊的存在を生む、怨念は独立して動くなどとかんがえて、心のエネルギーが世界を構成すると捉える。
  仏教・ヒンドゥー・ボン教などは、「思い=エネルギー」という世界観を明確に持つ。

③ アフリカ・オセアニア(力の霊)
  ここでは霊は「力」「影」「生命力」として理解される。霊=生命力の残滓、感情や念が霊的作用を生む、祟りや守護は“力の流れ”として説明される。

④ 西洋スピリチュアリズム(情報・波動型)
  近代以降の西洋では、霊を波動、情報体、エネルギー場とみる。科学的な言葉を使っているだけで、本質は「思念エネルギー型」に近い。

つまり、神ノ道における霊の考え方は「日本の直感」+「世界の霊魂観の共通部分」と同じだと言えるでしょう。

注意:ここで述べられていることは、一つの考え方に過ぎません。特定の宗教・霊的世界観に基づくものでもありません。こんな風に考える事も出来ませんか、と言うことです。惑わされることなく、ご自身の考えを深めてください。その際に何らかの参考になればよいのです。