人の思いは霊障となる

霊障とは

霊障とは、霊的な存在や念の影響によって心身や環境、運気に異常が生じる現象です。目に見えない霊的存在や強い念(思い)の影響によって、身体・精神・生活環境・運気に悪影響が現れる状態を指します。具体的には、原因不明の体調不良、精神的な不安定さ、人間関係のトラブル、家の中での異変などが挙げられます。

人間の思いのエネルギーとは恐ろしいものです。そのエネルギーが誤った形で相手に伝わるとき、霊的なさわりや障害となって現れることがあります。それが霊障です。ほんの小さな思いでも、それが数多く集まれば、何らかのさわりとなる事もあります。たとえば、芸能人や有名人は、他人からうらやましいとか、羨望やそねみや憎しみの「思い」を常に受けています。それが多く集まれば、スモッグで空気が汚れるように、その人の魂の周囲は穢れ汚れてしまいます。有名人に様々な問題が起きる理由のひとつには、この多くの人の悪い思いがあるのかも知れません。

有名人だけではありません。部下を持てば部下達から、優秀だと認められれば仲間達から、子供に関わってママ友から、人間は他人(時に家族)から常にマイナスの思いを受けてしまうことが日常です。だからこそ、そういう思いが凝り固まって悪さをしたり霊障とならないように気をつけ無くてはなりません。

ですが、一つ気をつけなくてはいけないのが、何でもかんでも霊のせいにするのは誤りです。誰かの思いかと考えすぎることが、かえって心にすきをつくり、関係もない悪霊やいたずら好きの動物霊を呼びこんでしまうのです。

霊障の分類

霊障を大きく三種類に分けて見るとわかりやすいかもしれません。それが、次の三つです。
  ・生き霊 : 生きている人からの思い(念)
  ・死霊  : 死んだ人からの思い(念)
  ・怨霊  : 死霊のなかで、不特定多数に大きな被害をもたらすもの

生き霊(いきりょう)


生き霊とは生きている人が抱いたある思いが強すぎて、その思いが相手に影響を与えるほどのものになることです。必ずしも、恨みなどのマイナスの思いばかりではありません。たとえば相手が好きなのに、それが相手にうまく届かないとき(相手は自分を何とも思わないなど)、その思いが時に生き霊となって相手に伝わります。

特定の人からの強い思いは、時に生き霊となります。ですから、そうならないように日頃から気をつけて日々の生活を過ごしましょう。生き霊がやっかいなのは、本人も気がつかないで強い思いの念を送っている場合が多いと云うことです。恨みなどのマイナスの念が多いのでしょうが、怪談話には愛する思いも良く出てきます。女性の思いは一途過ぎる場合が多いのかも知れません。
 ただ、生き霊は必ず自分の元に災いとなって戻ってきます。ですから、どんなことでも極端に執着しないことです。集中したり熱心である事と、執着との間で調和をはかるのが神ノ道です。

もう一つ怖いには、霊障は、祟られている本人に来るとは限らないと言うことです。相手が思いを跳ね返してしまうほど強い自我をもっていたりするとき、その思いは周囲の家族などに及ぶことがあるのです。女遊びの過ぎた男性の、妻が若死にしてしまうなどと言うことも実際にありそうです。

死霊(しりょう)


理不尽にも通り魔に突然命を奪われたとき、その怒りや苦しみが死霊となる事もあるのでしょう。生き霊に対して死んだ人の強い思いが死霊です。生きていたときから思い続け、死んでもなお思い続ける。生き霊から死霊にまで成った思いは、因縁として残ってしまいます。そうなると相手だけではなく、本人も地獄で苦しむことになるのです。どちらにとっても不幸な状態を作らないように、時には、水に流してさらりとあきらめたり、忘れることが必要なのです。

生き霊から死霊になった思い(思念)は、簡単に祓うことが出来ません。死んでもなお断ち切れない思いのすごさは、想像できるかと思います。たとえば、無実の罪で刑務所に入れられ、そこで自殺をしたような人が考えられますね。

怨霊(おんりょう)


怨霊と言えば、菅原道真と平将門の名前がすぐに浮かびます。日本では数多くの怨霊話があります。怨霊とは、この世への祟りをする霊のことですが、どうしてそうなるのでしょうか。無実の罪を着せられてそれを恨み続けながら死んでいった人の魂は、恨みの強い執着を持ち、自然の理に従うことを拒否して、死んでからもその恨みを抱き続けます。そして、この世への復讐を願うのです。怨霊の多くは、生き霊から死霊になったものがほとんどで、生前からの思いが死んでも捨てきれない程に強いのです。

怨霊に成った霊は、死んだという魂の解放を自分から拒否してしまうのです。それだけ、恨みが強いという事なのでしょう。したがって、もし本当にそういう霊に狙われたならば、まず逃げることは出来ないでしょう。残念ながら、その時の人生はあきらめるくらいの覚悟が必要です。


菅原道真は、今では学問の神として全国に祀られています。将門も首塚は丁寧に保存され、慰霊されていますし、神田明神の祭神にもなっています。怨霊となった人を神として祭るのは、その思いの力が怨霊になるほど大きいからです。エネルギーそのものに善悪はありません。その使われ方が正しい方向に向けば、神として我々を守護してくれるようにもなるのです。それを実現するのが『祭る』という行為になります。単なる儀式ではなく、その中に込められた多くの人々の思い(祟りから守護へ)が伝わるとき、神霊の強力なエネルギーが正しい方向に向かうのです。

霊障と言うときは明らかに霊的世界からの悪影響の事を言います。それが、因縁と大きく異なるところです。因縁については詳しく後述します。何よりも恐ろしいのは、霊障に善悪も道理も通じないと言うことです。わかりやすく言えば、いわゆる「逆恨み」や誤った相手への恨みでさえも、霊障になると言うことです。
 この事を知っているだけでも、人間としての生き方が変わると思います。馬鹿にされてもかまわないのです。恨まれるよりも遙かに良いことなのです。だからこそ、神は馬鹿な人間がすきだし、そうなることを勧めるのです。

注意:ここで述べられていることは、一つの考え方に過ぎません。特定の宗教・霊的世界観に基づくものでもありません。こんな風に考える事も出来ませんか、と言うことです。惑わされることなく、ご自身の考えを深めてください。その際に何らかの参考になればよいのです。