今では使われることもなくなった言葉に、ホワイトカラーとブルーカラーという言葉があります。言うまでもなく、知的系労働者と肉体系労働者の事ですね。アメリカのトランプ大統領が、助成金を職人を養成する職業校に回すべきだと述べたそうです。例の、ハーバード大学への攻撃の中での発言でしょう。それにしてもハーバード大学への助成金が50億ドル(約7200億円)というのは驚きですね。
個人的には、彼の発言に賛成する気持ちが強いのです。いわゆるリベラルの人達は、何かというとすぐに人種や民族の差別をするなといいます。その通りです。でも彼らが、肉体労働者を差別するなと騒ぐのを、あまり見た記憶が無いのです。アメリカをはじめとする欧米の高学歴社会に属するとされる人達は、職業差別を隠し持っているように感じられて仕方が無いのです。有名大学をでているか、学歴が立派か、そんな事ばかりを気にする延長線上にあるのは、知的レベルに基づく差別の感情です。むろん、本当に優秀な一部の人は確かにいます。ですが、正直、後はたいしたことが無いと思うのは、自身のつたない経験からです。
二つのことを言いたいのです。IQの高さは単なるその人間が持つひとつの才能であり、足が速い、力持ち、という才能と変わらないということです。そして、才能は人格とは一致しないということです。芸術的才能を持った犯罪者などいくらでもいます。なぜ、知的才能だけが特別扱いされるのでしょうか?
もう一つは、人類が社会や国家を構築したときからの課題である職業差別です。今で言えば、3Kの職業は低く見られます。では聞きます。優秀で金持ちのあなたが、南海の孤島に一人いて、その優秀な頭脳がどれほど役立ちますか?工夫などは確かに出来るでしょう。でも最後は、自分が身体を動かさない限り、何も起こらないのです。いかに優秀なIT技術者であろうと、電気を誰かが作ってくれなければ、パソコンもスマホのタダの箱です。食料も自分で確保しなければ、飢え死にするだけです。
グローバリゼーションは、他から持ってくれば良いというのが基本的な発想です。そこには、いやなことは特定の人間にやらせれば良いのだという、職業差別が隠れているのです。
3kの様な大変な仕事はロボットがやってくれる時代が、もう少ししたら来るでしょう。でも肉体労働の100%を、完全にこなしてくれる様には、ならないでしょう。もうすこし、実利というか実学を尊重して、大切にする政治が行われなければ、その国は何れ滅ぶでしょう。日本がその最初の国にならないよう、気をつけるべきです。
令和7年6月3日(火)