生の痕跡を断捨離してみた

 テレビなどでは断捨離の番組を放送しているが、世間ではいまだに流行っているのだろうか?断捨離といっても、不要なものを捨てるのから終活の断捨離までいろいろある。

 子供の時はメンコ、そして切手やコイン、テレカ、さらには読まない本を積んどくのも収集癖なのかも知れない。だが飽きっぽい性格なので、そのうち収集をやめて数年すると、思い切って全て捨てることに快感を覚えてしまう。そんな自分だが、もう何年も前に終活もどきの断捨離というか整理をしたことがある。

 多くの人は、自分が死んでも生きていた証をこの世に残しておきたいと考えるのが普通なのだろう。だが、変人は全く逆に考えた。すべての生の痕跡を消し去りたいと。で、何をしたかと言えば、小学校の時の親友からの手紙など大切にしていた物を全て廃棄した。手紙類、卒業証書から成績表、数少ない貴重な表彰状まで、思い出につながるすべてを処分した。アルバムや写真も全て捨ててみた。

 それで何か変わったかと言えば、断捨離直後の妙な興奮が収まると、まるで何も無かったかのような気持ちに戻った。青春のほろ苦い、いや甘酸っぱい思い出の品も全て無くしてみると、その記憶さえも失われていくのだから、不思議なものである。記憶を支えていたものがなくなれば、脳も思い出すのは難しいようだ。


 さて、やらなければと思いながらなかなか出来ないのが、パソコンのデータとネット上の各種登録の削除である。無精な自分に合っているのか、過去に何回もパソコンがいかれて、データを全て失ったことがある。そんな事でも無いとデータ整理はおっくうである。ハードディスクなど媒体の容量が飛躍的に増えたため、いくらため込んでもパンクしなくなってしまった。結果何があるのかすら覚えておらず、むしろ人間のほうがパンクしている。


 いずれAIロボットが、サイバー空間でサポートしてくれるようになるまでは、年に一度のパソコンデータ断捨離を続けていくことにしよう。ホームページも10回くらい、Twitterですら7回も変えているのだから、なにかし続けるのは無理かな。この新しくしたブログも、いつまで続くことやら。

令和2年(2020)6月10日(水)

 

2020年06月10日