ソーシャルディスタンスとパーソナルスペース
ここ数ヶ月、ホームページの日本人の気質 補章・外伝「パーソナルスペース」 へのアクセス数が、上位に上がるようになりました。なぜかなと考えて、コロナ騒ぎでの「ソーシャルディスタンス」と関係があるのか思い、ネットを見てみました。その通りでした。ネットではソーシャルディスタンスを社会的距離と訳して使用するとともに、その関連からパーソナルスペースも取り上げられていたのです。パーソナルスペースで検索するときに検索候補が表示されますが、その中に「パーソナルスペース 日本」というのがありました。これだと思って、検索したら、なんとオン草紙がトップページに出てきます。なるほど、納得です。
しかし、せっかく読みに来てくださった方には、その内容は期待外れだったかも知れません。なにしろ、日本人の気質との絡みの話なのですから。
自慢話というか宣伝はさておきましょう。ですがこの話、ブログネタとして実に多くのものを提供してくれます。ここでは素直に「ソーシャルディスタンス」という言葉についてだけ触れておくことにしましょう。まずは、この単語の辞書的意味からです。
goo辞書(デジタル大辞泉(小学館)より)には、このように出てきます。
ソーシャル‐ディスタンス【social distance】 の解説
1 ⇒社会距離
2 ⇒ソーシャルディスタンシング
それぞれは、こう書かれています。
しゃかいてき‐きょり〔シヤクワイテキ‐〕【社会的距離】 の解説
個人と個人との間、集団と集団との間における親密性・親近性の程度。ソーシャルディスタンス。
ソーシャル‐ディスタンシング【social distancing】 の解説
人から人へうつる感染症の拡大を防ぐために、人同士の距離を大きくとり、密集度を下げること。ソーシャルディスタンス。
ややこしいですね。「ソーシャルディスタンス」を「社会的距離」と訳すと、社会的距離というのには物理的な距離だけで無く両者の関係性などが含まれる言葉なわけです。「ソーシャルディスタンシング」と言うとき初めて、コロナ騒ぎで使われる意味となるわけです。ただ、それを単に「ソーシャルディスタンス」と言うこともあるのですから、ややこしい。
さらにややこしくします。パーソナルスペースは、「個体距離」とか「対人距離」という訳があうように、人間間の物理的な距離の概念です。で、この距離の種類のひとつに「社会的距離」という言葉が使われたりすることがあります。ちなみに、私のコラムでは、「離社会距離」「公共距離」という幾分古い区分用語をもちいています。
そもそも、カタカナ語を使うとあたらしいとか、自分がよく知っていると思われるなどという発想は、単に日本語力(国語力)が無いだけの話だと思えるのですが、なぜか日本語に訳して使おうと誰もしません。社会的距離という訳語を当てはめること自体、コロナ騒ぎでは明らかな誤りに思えます。
感染拡大防止の為なら、「人間(じんかん)距離」と言うべきでしょう。これなら、説明が無くてもわかります。さらに強調したいのならば、「じんかん距離1」、「人間距離2」と言うのはどうでしょうか。むろん、この数字が間を空ける距離(m)を示している事は、一度きけば誰でも覚えるでしょう。
いまや中国のポチと化した感の強いWHOですが、良いことも言います。『「身体的、物理的距離」を意味する「フィジカル・ディスタンス」に言い換えるよう推奨している』そうです。もっとも、『「ソーシャル・ディスタンス」(社会的距離)という言葉は、「人とのつながりの減少により社会的孤立が生じる」恐れがある』のが理由だそうですが、これはよくわかりませんね。これは、ベタベタとくっつかないとコミュニケーションが取れないという、欧米流の考え方に毒されていませんか?あくまで個人の見解ですが。
それにしても、「ソーシャルディスタンス」をググると1千万件以上も出てきます。やっぱり、日本人は新しい物が好きなのですね。「言葉」だけで無く、行動もそうあって欲しいのですが。
令和2年(2020)6月11日(木)