1230円の貧困とサムライ魂
ホームページを整理していたら、昔のブログが目についた。5年前のものであるが、今こそ、多くの人に読んでもらいたいと思い再掲した。本当は安倍総理に読んで欲しいのだが。
昨日の「11日は特異日」の続きの話である。最寄りの駅に着いた私は、駅の反対側にあるスーパーに立ち寄った。ここは総菜など食べ物が他よりおいしいので、時々駅を越えてでも行く。食料などを買い込んだ後、夕方近くで混み合うレジの列に並んだ。スーパーではおなじみの、込んだときだけの二人レジだった。
私のすぐ前に、小柄な老婦人が並んでいた。別に気にもしていないが、たまたまレジスターの金額が目に入ってきた。1230何円かだった。彼女が財布を開いてなかを覘いていた。(プライバシーを尊重したい私のパーソナルスペースは広い。)少し間を取っていたので、小さな声で何を言ったのか聞こえなかった。彼女はそのまま列を離れてしまった。レジの男性店員は中身の入った彼女のかごをわきにどけると、私のレジを打ち始めた。その前の客の精算が終わると、男性店員は、彼女がおいていったかごを持って、売り場に戻しに行った。
彼女は、「お金がないので、いいです」そんな事を小声で言ったのだった。わずか1230円。足りないから後で来るでも無く、黙って静かに去って行った。「いいです」そんな言葉だけが耳の奥に残っていた。たまたま財布の中が空なのを忘れていたのだろうか?どうも、そうは見えなかった、感じられなかった。少なくとも私には。
この国の貧困は、もはや一刻の猶予も成らないところにまで来ている。言われるように、貧困は単純な福祉の問題ではない。経済や国の発展そのものの問題なのである。だが残念ながら、未だ多くの人々はそう思っていない。特に政治家は。ここまで拡大した貧困とは、消費市場の劇的な縮小を意味しているので有る。しかも、その影響はこれからさらに長く、拡大していく。消費税を上げてばらまくというが、もとの消費が消えているのである。
普通の生活が出来ている大方の日本人にとって、貧困はどこか遠い話であるが、そうではない。背中合わせに付いているものなのだ。昨日出かけた地方の荒廃も、行くたびに目を覆いたくなるように悪化している。聞いたところでは、すでに町内の家は最盛期の半分に減り、さらにまた120軒から80軒になるという。商店街だけで無く、もはや町が消えようとしているのだ。
非正規労働者の貧困を始め、貧困問題に根本的な対策を打たなければ、日本の将来はない。これに対しては、安倍総理の感度が鈍いのは、やはり自分が貧乏を知らないからであろうか?
話は続くが、がらっと変わる。途中で男性店員のいなくなったレジでは、私の買い物の額が表示された。1230円。疑いもせずに女性店員はその額を私に告げた。実際には3千円をこえているのに。これを払えば儲かるのはわかるが、ぐっとこらえていった。「安いのはうれしいけど、前の人の(金額)でしょう」二人レジでは、2台のレジの連携が間違うことはよく起きている。
レジの間違いは、今回が初めてでは無い。過去にも何回か、あちこちのスーパーで同じ経験をしている。その都度「俺はサムライだ、卑しい、汚いことはしないぞ」自分に言い聞かせながら、間違いを指摘してきたのだった。もっとも、少ない請求だからわかるので、多いときは気が付いていないのかも。いずれにせよ、相手が悪くても、自らあるいは天に恥じるような事はしないで律する事こそ自律心である。
哀しく憂鬱な気分と、サムライ魂を守ったぞと言う小さな自負心を抱えて、帰途についた私だった。
平成27年11月12日(木)
5年経って何も変わっていないどころか、むしろコロナ禍で悪化してしまった。政治家だけで無く、日本人の心の劣化が心配である。なぜって、今だにコロナ前に戻ろうとだけしてるのだから。
令和2年(2020)6月12日(金)