コロナ禍は絆を呼び戻したか!?
コロナ禍の悪影響により世界中の人々が、心理的な影響を強く受けているようです。それは、失われつつあった価値観の見直しとも言えるものです。家族、職場、隣人、地域などあらゆる人とのつながりを再認識し、強い絆を感じさせてくれました。また日本人には当然とも言える、あらゆるモノへの感謝の気持ちが、さらに強まりました。自らの危険もかえりみず努力している医療関係者への感謝だけではなく、これまで当たり前であった何気ない日常の生活のありがたさを思い返し、感謝する心を強くしたのです。
こう見てくると、コロナ禍は悪いことばかりでは無く、殺伐とした機械的な合理主義一辺倒の社会への反発を、いっそう鮮明な形で人々の前に示す事にもなりました。経済合理主義など、ウイルスの蔓延でいとも簡単に崩れる事を、世界の人々が認識したのです。
愛情を、絆を、感謝を取り戻したのですから、万々歳です。はたして、本当にそうでしょうか?もちろん、人間らしさを取り戻す事に反対な訳ではありません。ですが、事はそう簡単には済まないように思えるのです。
日本ではいくら号令をかけても、反対が強くて進まなかったオンライン授業とオンライン診療が、今回のコロナ騒ぎで一気に逆転しました。そのなかで、有る報道が気になりました。それは、オンライン授業で、これまで不登校だったり、やる気の無かった生徒が、喜んで勉強するようになったというのです。一見、大変に喜ばしい明るいニュースです。むしろもっと早く出来なかったのかと思います。
では、何が問題なのでしょうか?それは、この子供達は、はじめに述べたような人との絆を取り戻したわけでも、不登校が解消されたわけでも無いからです。もちろんこれがきっかけとなって、より良い方向に向かうことを願っていますが、別の方向も考えられます。
ITやAIなどの情報文明の発達は、人々から人間の情動的な機能を奪う形に進んでいます。つまり人間らしい愛情とか、他の人との絆を大事にするとかというような感情に乏しい、機械人間のような人達を生み出す方向に社会を進めてゆくのです。とするならば、オンライン授業で勉強するようになった子供達は、もしかしたら、人間よりも機械的な接触を好む子供達なのかも知れないのです。オンライン授業は、それをより進化させてしまったのかも知れません。
むろん生徒達が、これまでのひきこもり気味の生活や勉強嫌いが改善されたのであれば、その事は素直に喜ばしいのですが。それが次には、家に閉じこもって一人だけの生活おおしすすめたり、生身の教師よりロボット先生を求めるとしたら、果たして手放しで喜べるのでしょうか。
人々が昔ながらの愛情による絆や愛着を求める人々と、生身の人間の愛着を避ける新しい人類とに、コロナがより強く分断したのでは無いでしょうか。
人間らしい愛着を拒否する新人類を生み出した原因には、大きく二つの流れがあります。そのひとつが、上述したITつまり情報文明です。そしてもう一つが、個人主義の行き過ぎが生んだ、個人原理主義です。個人原理主義については、拙著「歪んだ人達」の中で触れています。
コロナは、このこともあぶり出して見せたのです。
愛着障害として騒がれているような、人との結びつきを拒否する人達は、確実に増えているようです。特に北欧など個人主義が行き過ぎた国では、一部ですでに個人原理主義にまで進んでいます。個人原理主義は、人との絆よりも、親子の愛情よりも、自分が第一優先なのです。
たとえばスウェーデンにおけるコロナ対策として、人々がより多く抗体を持つ方法を選択したと報道されています。つまり積極的な隔離や防疫をしないと言うことです。早い話がほっておくのです。その為に死者は、かなりの数に上っています。この方法にさして反対が出てこないのも、個人原理主義の浸透が有るからではないでしょうか。
アメリカの分断が問題になっていますが、個人的には、人類そのものの分断が密かに進んでいるように思えます。その分断をよりすすめているのが、新型コロナウイルスです。コロナ後、コロナ後と騒いでいる割には、この事はほとんど話題にものぼりません。コロナウイルスが、どこかでニヤリと顔を歪めているいるようにおもえてならないのですが。
令和2年(2020)6月20日(土)