食糧危機に備えよう
真夏日かと思えば、梅雨寒で本当に寒い。ここ近年の異常気象の一部なのでしょうか。また新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず、世界の感染者はすでに900万人を越え、死者も47万人にのぼりました。さらにはアラビア半島から広がったバッタの大量発生が、アフリカやアジアにまでひろがっており、食料などが大きな被害を受けています。まさに三拍子そろった災害です。これだけそろえば、いやでも食糧危機が身近に迫ってきているという感じを持ったとしても不思議ではないでしょう。実際コロナの感染拡大においては、世界
18カ国が農産物の輸出を制限しました。
日本においては戦後、平和ボケと呼ばれるような安全保障に対する無知・無関心がはびこってしまいました。それに連動する形で、食料やら資源などに対する安全保障の議論も、全く無視され続けてきました。その結果、日本の食料自給率は先進国において例を見ないほどの低さになっています。にもかかわらず、専門家などと称する人たちは、食糧危機などあり得ないし、食料自給率などは意味がないとの発言を繰り返しています。農林水産省はいわゆるカロリーベースの食料自給率という数字を公表しています。確かにこの数値の公表には、農水省の立場を擁護するための目的があったことは事実でしょう。だからと言って金額ベースの自給率が、自国の国民を飢えさせないための食糧自給率になるなどというばかげた発想は、いったいどこから出てくるのでしょうか。
カロリー自給率は無意味という識者が良く言うように、金額ベースの食料自給率が70%あったとしても、高価な果物や農産物の輸出金額がそれを支えているにすぎません。いくらおいしくても主食不足や飢餓の時に、イチゴやメロンの高級果物を食べればすむというのでしょうか。このようなばかげた議論を平気で行うところに、戦後日本の食料安保に関する無知さが如実に表れています。
日本の歴史を見ると、縄文時代の狩猟採集時代は別にすると、常に飢饉や食糧不足に悩まされてきました。農耕時代は、天候に恵まれて収穫があるときは豊かなのですが、ひとたび天候不順になると、たちまち食べるものが何もない状況にまで追い込まれてしまうのです。これは現代社会においても、変わってはいないのです。したがって私たちは単純な自給率とかを論じるのではなく、もっと実際の天候不順や飢餓が発生しかねないような状況に対して、どのように対応するのかを考えておく必要があります。
日本の購買力なら、少しくらい作物が不足しても買い付けられるという人もいます。身勝手な、おぞましい考え方だと気づかないのでしょうか。高騰した食糧を日本のような先進国が買いあされば、発展途上国の貧しい国は輸入もままならず、さらに飢えに追い込まれます。
では何を成すべきでしょうか。まずは基礎食糧をきちんと指定し、それらは少なくとも7割以上の自給を目指すべきです。また小麦などのように多くの食品が、外国産と国産とでは価格的に太刀打ちができないと言われます。その通りです。だからと言って100パーセント近くを輸入に頼るなどということがあってはならないのです。例えば最低限3割は国内で生産する。輸入品との差額は輸入品に上乗せする形で、価格差を縮めるべきです。あるいはまた、今のような農産品ごとの補助金ではなく農家の収入に応じた最低所得補償に切り替える事も考えるべきです。多くの農業政策の転換が求められます。これに最も反対するのは、じつは農林水産関係の政治家と官僚たちです。ここでも既得権を破壊しない限り、この国の食糧危機を回避できないでしょう。
令和2年6月23日(火)