埋蔵量は採掘可能量ではないという専門家にうんざり

 茨城県沖の海底油田の話題が賑わっているようです。コロナで暗い気分の所に、何となく明るいニュースでうれしくなります。ただ、そのたわいのない話に、ひたすら冷や水を浴びせる言動を繰り返す専門家達には、正直うんざりです。

 茨城県沖にかって大きな海底油田があったらしい痕跡が見つかったというのが、そもそもの内容で、現在も油田があるとか、大規模油田であるなどとは報道していないのです。ですから、夢のある段階に過ぎないのですが、最近新しいネタ切れのメディアが、まるで大油田が発見されたかのように、あおり報道、あおり番組を流していることには、これまたうんざりです。ですが、あまりTVを見ていないのであくまで推測です。(笑)

 さて、本当に言いたいことはこれからです。あおり放送を批判することはかまわないのですが、その批判の内容が気にかかります。いや、気に入りません。

 専門家、批評家、学者等々、なぜか日本が資源大国になる事を喜ばない日本人がたくさんいるようです。彼らの批判内容は大きく二つです。ひとつは埋蔵量とは必ずしも確定したものではないし、可採埋蔵量(採掘可能な埋蔵量)ではないと言うものです。もう一つが、採掘にかかるコストが高ければ、採掘されないと言うものです。さらには、日本には採掘に関わるノウハウが何もないのだから取れないとさえ言い出す始末です。


 思い出してください。今やアメリカを世界有数の石油資源大国に押し上げたのが、シェールガス田です。このシェールガスが発見された当時、日本のほとんどの専門家が、批判したのがこの二つの事柄でした。とくに、シェールガスは地底深くにあるので採掘できないし、出来てもコストが引き合うはずがないというものでした。で、どうなったでしょうか。言うまでもありませんね。

 技術は常に進歩しています。昨日不可能だったものが、今日には可能になるのです。まさにその典型例でした。コストも、石油産油国が耐えられる価格、つまりいくら安く売れるとしても、国家財政との関係などから、これ以上は下げたくない価格があるのです。その価格と充分に張り合える採掘価格にまで、技術が進んだのです。あれほど騒いで馬鹿にしていた人達は、今どうなっているのでしょうかね。

 またシェールガスには環境に悪影響が有るとの話もありましたが、今では影を潜めました。アメリカは国土が広いので、環境が悪ければ引っ越してしまえば良いので、助かっているだけなのかも知れませんが。


 いずれにせよ、何もやろうともせずにひたすらダメだとか、無駄だとか行って、挑戦させないのは、明らかに問題でしょう。むしろ、そこに何か悪意があるのではないかと勘ぐりたくなります。

 埋蔵量はさておき、経済的にコストが合わないから採掘しないという話には、異議があります。すべての資源を海外に頼ることの脆弱性は、これまでも何度も経験してきたはずです。としたら、少しくらいコスト高でも、自前の資源開発は絶対にやるべきなのです。足下を見られて震災後日本だけ馬鹿高い価格の石油を売りつけられたのをもう忘れましたか。もし、少しでも自前資源があれば、あそこまでなめられなかったはずです。

 また、採掘コストについても、国民は負担をすると思います。なぜなら、現に太陽光発電のコストは、これまでの電気代に上乗せして国民が負担しているのですから。太陽光発電だけ許すなどというのは、それこそおかしな話です。

 そして最大の問題は、安全保障です。いくら金を出したところで安全は黙っては買えないのです。エネルギーや食糧など国民の生命に直結するものは、安さだけを追い求めてはならないのです。実際、今回のコロナでマスクも医療用器具も何もない、国内でまともに生産すら出来なくなっていたことを、いやと言うほど体験したではありませんか。もう少し自分の安全は自分で考える癖をつけるべきなのです。

 言っていることは表面上正しくても、それだけでは済まないことを、よく理解しておきたいものです。

令和2年8月4日(火)

 

2020年08月04日