緊急事態だから支援する・・それだけでよいのでしょうか?

 新型コロナウイルスの感染拡大は、いまだ世界中で続いています。日本においても、これまでうまく抑えられてきたといわれていたものが、別の様相を見せています。第二波の感染拡大がすでに始まっている、いやまだだ、様々な意見や議論が飛び交っています。メディアは不安をあおるような放送をすることが、視聴者を引き付けることになるため、いうなればあおり報道をやめようとしません。

 いずれにしても感染をうまく封じ込めたいくつかの国や地域と異なり、日本では今のところ感染の封じ込めに成功しているとは言えない状況です。そのために再度の自粛要請や様々な要望が、国や自治体から出されています。それに伴い、これまた様々な支援策、ありていに言えば現金支給が行われています。ですが長期にわたり多くの企業や商店の経済的損失をすべて穴埋めすることなど、初めから無理な話です。感染が封じ込められた認識を持てない国民は、自主的に活動を自粛しています。そのためますます企業活動は抑えられ、多くの商店などの経営が追い詰められています。

 結果、支援を求める声は日々高まるばかりです。膨大な借金大国である日本は、それでも借金を重ねてそれなりの支援をしてきました。ですがさすがに限界を感じているのでしょうか。支援を伴う自粛を避けているようにさえ見えます。


 いま目の前で困っている人たちを助けなくてはならない、それは紛れもない事実です。しかしながら、永遠に支援を続けることなどあり得ないのです。おしかりを受けるようなたとえ話かもしれません。米百俵の逸話がありました。戊辰戦争に敗れた長岡藩のお話しです。困窮する藩を見かねた雄藩が米を百俵送ってくれたのです。領民がその分配を求めた時、藩は配らずに売ってお金に換えてしまいました。そしてそのお金を子供たちの教育にあてたのです。百俵の米は食べてしまえばそれきり何も残りません。ですが子供たちの教育に使えば、将来何倍にもなって踊るかもしれないのです。こんな逸話でした。

 同じことをいま言おうとしているのではありません。そうではありませんが、その場しのぎの現金給付だけでよいのでしょうか。同時にやらねばならないことがあります。それは雇用を維持し経済活動が行われるように仕向けることです。だからと言って、感染拡大をさらに進めるようなGoToキャンペーンが良いとはいません。そうではなくてもっと別のやり方があるはずです。そのことを真剣に考え、提案することが今のすべての政治家に求められているのです。しかし相変わらず日本の政治家の質の悪さは口にするのも憚られるほどのものがあります。経営者たちもまたしかりです。

 「日本改革試案」をコロナ禍において、どのように実行したらよいのか、いまそれを書いています。簡単に言えば、一国二経済制度の導入です。さらに極端に言えば、地域ごとの鎖国です。案の発表までもう少しだけ時間をください。

令和2年8月5日

2020年08月05日