議員は集団農耕型の悪しき典型

 正直、ずいぶんと官僚批判をしてきました。官僚といっても、具体的には、いわゆるキャリア組と呼ばれるような、国家試験を通って国の行政の一部をになう各省庁の高級官僚のことです。さらにいえば、官僚というのは象徴的なもので、集団農耕型気質の弱点を多く抱えて、それが前面に押し出されてしまった人々の事をいみしています。したがって、私が官僚という言葉で批判する際には、その背後には、経営者であれ専門家であれメディア関係者であれ、要するに集団農耕型が社会の実権を握る中、社会を動かす権力を持った人達がいるわけです。このあたりは、日本人の気質を読んでいただかないと、なかなか理解しがたいだろうと思います。

 ただ、日本人の気質をしらなくても、官僚的とか、お役所仕事とか、彼らの欠点を表す言葉はすでに世に流布していますので、何となく理解していただけるのだろうと勝手に想像しています。


 前置きはさておき、今回は官僚に代わる”かんりょう=国会議員”です。政治家の質の悪さにはあきれるばかりですが、それを選ぶのも国民ですから致し方がありません。議員の質の悪さについて最近では当の官僚からも批判が多く聞かれるようになっています。

 その内容は、大きく言えば、議員の官僚を見下した傲慢さと時代遅れの業務システムです。国会での質問事項は、決められた時間までに提出しなければならないのにまるで守らない。その為に残業どころか徹夜にまで成ってしまう。これは与党だけでなく、むしろ野党議員への批判が多いようです。閣僚が時間に遅れようものならものすごい剣幕で怒るくせに、自分達は平気で約束すら守らない。

 もう一つは、時代遅れの業務、つまりITどころか機械化すらろくにやっていない旧態依然とした仕事の進め方でしょう。これも彼らにとっては、変えたくないことなのでしょう。なぜなら機械化すなわち効率化が進むと、自分達の出番が失われる、特に野党はいちゃもんをつけるスキがなくなってくると考えます。
 官僚、議員、経営者を問わず、今の日本社会全体でIT化が進まないのは、単に保守的なだけではなく、これまでのやり方を変えられてしまうと自分の立場が危うくなると考えているからでもあるのです。実際、今のこの国の行政の無駄は、恐るべきものがあります。行政が合理化されれば、議員は権力を振るう場や票田を失い、官僚は天下り先を失い、予算と権限を失うのです。裏で激しく抵抗するわけです。


 こうして、集団農耕型気質の人間達が社会の実権を握れば、新しいことにも、危機にも対応できず、自滅の道を進んでいくわけです。今回のコロナ騒動では、安倍総理のリーダーシップにも疑問符がつきましたが、各都道府県の知事達の猿芝居と無策にも、多くの国民はしらけてしまいました。

 戦前は戦争で国が滅びましたが、戦後はすでに経済で何回も挫折し、衰退してきているのです。いまそれが、決定的な自滅の道に入ろうとしているわけです。

令和2年8月6日(木)

 

2020年08月06日