裁量労働制って今頃いわれても...私の残業代かえしてくれ~

 官僚の単純ミスか、故意のしわざか、それとも、単に政治家をなめていただけなのか。優秀な霞ヶ関官僚が、こんな単純な誤りを犯すとは思えないので、意図はわからないが、多分に都合の良いデータをくみ上げたのだろう。

 それはさておき、私には、どうにも腑に落ちないことがある。残業代をつけないというのは、はるか昔から行われてきたはずだが...
 今から30年以上も前、20代の終わりに私は管理職にされた。いわゆる名ばかりかどうかはわからないが、それが残業代節約の目的であった事は、当時から認識していた。以来リタイヤまで、私は残業代をもらったことが無い。外資を含め、二桁にものぼる会社の移動をしてきたが、その事は変わらなかった。

 当然、年収ベースで部下の方が私より上というのはざらにあり、いつもその数字を見ながら頭にきていたものである。が、管理職だけで無く、当時から営業職は営業手当が付く代わりに残業代は付かなかった。ただ営業職には特権が与えられていた。それは直行直帰の権利である。いうまでもなく、直行とは朝会社に寄らずに直接客先などに行く事、直帰は会社に戻らずに直接帰宅することである。営業職以外は、そのいずれかだけを一日に出来る事になっていたが、営業は直行直帰が認められていた。つまり、一日会社に来なくてもかまわないわけだ。

 さらにフレックス制なども、渡り歩いた会社の中には存在していた。これは、出社時間を自由に決められるもので、午後から来て夜帰ってもかまわないというもの。これも残業代とからむ。一日8時間以上勤務すれば、その分は残業と見なされる会社もあれば、残業が付かない会社もある(こういう会社は経験したことは無いが)。
 ただ、ある外資系会社の時には、これがあまりにもひどくなったため、コアタイムが設けられたことがある。あまりにも出社時間がばらばらで、会議ができなくなってしまったのである。そこで、いわゆるコアタイムという、会社にいなさいという時間帯が設けられた。いずれにせよ、フレックス制には残業代節約の目的もある。

 残業代とは全く無縁なサラリーマン生活を送った私は、時代の先端をいっていたのか?それとも、単に騙されていただけなのか...。正直、今頃こんな裁量労働制の話が騒がれること自体がよくわからない。それだけ、日本の産業界は遅れてていたと言うことなのだろうか。


 とにかく従業員の賃金コストを下げたいと考えるだけの経営者が、裁量性拡大に大賛成なのはよくわかる。その意味では、私は批判的な立場であるが、管理職としては、別の問題も見てきた。それは、無駄な残業である

 ある会社において、部下の一人が月に200時間を越える残業をしていた。月に200時間というのは、土日の休みに出勤するだけでは無く、平日も10時過ぎまで残業したり、さらには徹夜までしてようやく達成可能な時間なのである。人事部と一緒になって、この残業をやめさせるのに、相当な期間を費やした。その間、彼は給与より残業代の方がはるかに多いという状態が続いていた。


 結局は、もっと社会全体の有り様を変える方向性がとられない限り、効率化もサービス残業も共に改善されないのである。

平成30年2月25日(日)

 

2018年02月25日