世界の潮流を読めない官僚と既存勢力メディア
世界の既存メディアが、国民の動きを正しく読めなかった大きな出来事が続いている。イギリスのEU離脱に続き、アメリカでトランプがクリントンを破って大統領に当選してしまった。既存のメディア、とりわけ日本の新聞やテレビなどのメディアは、なぜ予測が外れたかの言い訳探しで大忙しである。
事前のアンケートに国民が正しく答えていなかった、隠れトランプ支持者の数を見誤った、あげくに原因でも何でも無い、トランプは意外とまともで、むしろ良かったかも知れないなどと言い出すしまつ。既存の枠組みにあぐらをかいてそこで日々の生活の糧を得ながら暮らしている人達は、どんな領域であれ、それは既得権者であり、既存勢力である。日本のメディアやジャーナリスト、専門家、文化人などと称される多くの人間達は、歴史にあまりにも無知であるがために、この最も単純で基本的な事柄を理解出来ていないのだろう。
今世界で起きているのは、あらゆる既存の価値観への不平不満である。それが右や左などのイデオロギーや思想・主義に関わらず、現状を変えたいという強い願望にあふれている人々の数が、既存の体制によって恩恵を受けている人々を上回ってしまった、という事実に過ぎない。いつの時代でも、その時代に対する不平や不満は常に生まれている。現状の変革を望む人が過半数を超えたとき、さまざまな形で社会的な流動化が始まる。その時に、共産主義独裁や個人の独裁者の国であれば、強権でそれらが抑え込まれたり、懐柔策がなされることになる。一方で、いわゆる民主主義国家における選挙という方法をとるとき、その結果が気に入らないと、既存の価値観に安住しながら社会を牛耳っている人々は、ポピュリズムとか保守化だとか、民族主義の危険な台頭といって、騒ぎ立てるのである。それは結局、今の自分たちの安定した豊かな生活を手放したくないという傲慢な思考に他成らないのだが。
西欧崇拝、とりわけアメリカ崇拝が未だに抜けきらない、戦後の集団農耕型気質の多くの人達にとって、民主主義は神聖にして犯すべからず、資本主義こそ唯一絶対の経済主義であると、信じ込んだまま思考が停止している。
多数決の民主主義は絶対的な物では無いどころか、全体主義や独裁の始まりにもつながることは、よく知られているはずの事である。つまり、ぶれが大きすぎたときにはうまく機能しないという限界があるのだ。気にいれば多数決こそ民主主義の原理で従うべき、気に入らないと大衆迎合、ポピュリズムだと騒ぐのは、あまりにも身勝手な話である。
経済においても全く同じである。冷戦崩壊後、資本主義、とりわけアメリカ流資本主義こそが、世界の経済発展の基礎であり、成長がうまくいかないのはそのやり方がアメリカ流になりきれていないからだという、これまた馬鹿げた主張が、大手を振ってまかり通っている。だが、資本主義こそすべての諸悪の根源との極論が提示されるほどに、行きすぎた自由経済や市場主義は、とてつもない格差と構造のゆがみを社会にもたらしてしまった。
これまで無条件で絶対的に正しとされた、民主主義や資本主義という価値観・システムの持つ限界が、世界中を覆い尽くし始めている世界の潮流を正しく認識し、対処する事が出来なければ、その国家・社会は、世界の流れに取り残されて、いずれは壊滅的な状況を向かえてしまうであろう。日本は今まさに、そのような瀬戸際にいるのだ。
平成28年11月13日