刑法の考え方を変えるべき:犯罪の未然防止機能

 ここで何も「テロ等準備罪」成立の後押しをしようというのでは無い。だが、この法律が投げかけている問題で見過ごされていることがあると言いたいのである。今盛んに議論されているというか、反対のための反対で持ち出されているのは、社会の安全とプライバシー保護の関係、そして権力者による恣意的悪用の問題である。ここではそれらには立ち入らない。別の機会に述べよう。取り上げたいのは刑法の基本的な考え方である。


 起きた犯罪に対して犯したものを罰することしか想定していないのが、日本の刑法の基本的な考え方である。そこでは、犯罪を未然に防ぐという考え方が少なくとも刑法的には存在しないことになる。テロ等準備罪が、国民をしばり危うくするとんでもない法律だという、感情的な反発をするジャーナリストや政治家、知識人と呼ばれる人達には、この基本的な事すら理解していないのでは無いかと思えることがある。むろんそこをきちんと国民に説明しない政府も悪いのだが、下手に説明すると「まだ犯罪になっていないのに」という感情的反発が吹き出ることを恐れているのかも知れない。

 ストーカー規制法がなかなか充実したものにならず、多くの犠牲者が出てしまったのも、根底には、この問題が関係していたのかも知れない。何をすれば犯罪なのかを細かく規定することでようやく成立したのだが、そこでは、犯罪を未然に防ぐという機能は重視されていなかったのである。

 まずは、この犯罪の未然防止機能を持たない刑法の考え方をどのように変えるかという根本の議論が必要になるだろう。国際条約(国際組織犯罪防止条約(TOC条約))に日本だけが加盟できないでいるのは、まさにこの未然防止が無いからである。野党は、現行法で加盟できると言うのだが、それこそ憲法を解釈で歪めているという批判と同じく、刑法を解釈で歪めていることにならないのだろうか。
 OECD35ヶ国で、犯罪を犯していなくても、そのような犯罪組織に参加すること自体が犯罪への荷担であるとする考え方をもたないのは、日本のみだという。NHKをはじめ日本のメディアは、こういう本質的な所をなぜ伝えないのだろうか?あまりにも安全で犯罪がすくない社会のために、犯罪を未然に予防するという概念が国民に浸透していないのは問題である。


 人間は神では無いのだから、ある人間が包丁を持っているからといって、それで人を殺そうとしているのかどうかなどわからない。したがって、事前に犯罪の可能性を探るときに恣意的な感情や主観が入り込むことが皆無だとは言わない。だから、法律にはきちんとした歯止めが必要な事はいうまでもない。だからといって、明らかに殺意を持ってうろついている人間が、誰かを殺すまで待つなどと云うのもまたあり得ない話である。

 日本がなぜ世界と異なるのか、もう一度そこからきちんと検証し、問い直す必要があるだろう。日本人の気質は世界の他の国々の人の気質と同じでは無いのだから。

 現在のように、テロ組織などがテロを実行するまでの準備や打ち合わせなどにIT技術が活用される時代において、昔ながらの犯罪の考え方だけでは、犯罪を未然に防止する事は出来ないだろう。グローバル化が進むのは、経済だけの話では無く犯罪においてむしろ顕著なことは、すでに多くの人達が理解出来るようになった。ならば、犯罪の未然防止をどう考えるのか、国民的議論が必要な時だと思うのだが。

平成29年4月28日(金)

追記

 国際組織犯罪防止条約は、その後国内法が成立し、条約締結が成りました。2017年7月。

 

 

2017年04月28日