自国の価値観を押しつけるのが「世界」
このようなブログを書くには、私くらいだろうなと思いながら書き始めた。かなり重たい話なので、少しだけ気を遣う。
元ネタは、ネットの読売新聞のニュースである。このようなニュース自体が、テレビなどで報道されることがないのだろうと思うが、最近テレビを見ないのでわからない。
これはテレビでも面白いニュースとして流されていたようだが、南アフリカ共和国に潜伏していた犯罪者が、コロナで生活ができなくなり、日本大使館に自首(かな?)し、その後帰国して逮捕された事件がある。
事件は平成15年(2003)に、奥多摩で男性の切断遺体が見つかったが、その犯人たちが国外に逃亡していたものである。犯人を特定して国際指名手配をかけた。2011年末に手配中の男二人が潜伏している南アフリカ共和国に捜査員を派遣して、所在確認と身柄引き渡しを要請した。
その回答が、問題の核心になる。南アフリカ共和国は、日本には死刑制度があるから、犯人を死刑にしないという誓約書がない限り引き渡さないと拒否したのである。それから9年が経つ。犯人二人はほかにも傷害致死事件で逮捕状が出ていたので、捕まれば量刑は重いのも当然だろう。
南アフリカ共和国には死刑制度がない。だからといって、犯罪者が自分の国に来たというだけで、日本という他国の法律を曲げろという要求は、あまりにも身勝手としか思えない。これは、自国の価値観を他国に押しつけるばかりか、それを強要するものであろう。
ここまで日本人の事件だけを取り上げれば、「ふざけるな」ということになる。だが、そう簡単ではない。なぜなら、中国の人権侵害、ロシアの他国への軍事侵攻など、世界的にも批難される出来事は多い。それに対して、欧米などの国々は、まっこうから異を唱えて、改善を求めている。しかし、これもまた、他国の価値観に対して口を出していることにならないのだろうか?
もちろん、南アフリカの話と中国などのそれを同列に論じること自体が誤りであるということには、個人的に賛成である。人類にとっての普遍的な価値観にもとるものは、ただされるべきなのだから。だが、普遍的な人類に共通の価値とはなんであろうか?そして、それを誰が決めるのだろうか?そう考えていくと、この問題は、簡単に割り切れるような問題ではないことがわかる。
カルロスゴーンが逃げ込んだヨルダンといい、南アフリカといい、日本人の正義感がそのまま通用する文化や価値観ではないことが、よくわかるであろう。これが世界の現実である。
このように考えてくると、この問題は、「文化と文明」の問題でもあるし、『日本人の気質、外国人の気質」でもある。なら、私が取り上げるのも当然なのだろう。(笑)
これに絡んで、おまけに指摘しておきたい。南アフリカでは、元々白人が支配する国から黒人が政治を取り戻した、世界でもまれな国の一つである。では、この国は、いま国民性や文化(価値観)はどうなっているのだろうか?死刑制度を理由に殺人犯を引き渡さないなどというのは、白人のリベラル原理的な思考に思えるのだが。
令和2年9月5日(土)