時間軸の変化を無視して説明などできまい:イノベーションが起きない理由
バブル崩壊後の日本社会の劣化は、正視できないほどにひどいものなのだが、その歴史的な流れさえも無視してみようとしない言説の多さには、開いた口がふさがらないのだが。
その事例としてイノベーション(革新、新製品)不足の話が上げられる。その理由としてリスクをとろうとしないのは、今の日本社会が高リスク社会だからとか、セロトニンはブレーキの役割を果たすが、多くの日本人は不安やストレスを感じやすい「セロトニントランスポーターSS型」の遺伝子を持っているなどとよく書かれている。
この事自体を否定はしないのだが、たかだか30年前の日本人がなしえていたイノベーションが、かくもだめになった理由としては、どこかおかしいと感じてしまうのである。そこには、時間軸の概念がすっぽりと抜け落ちている。少し前まで世界一の成長であった社会が、突然ひたすら劣化の坂を転げ落ちていった説明には成っていないのである。
確かにネット社会の進展による新たな社会環境の発生は事実なのだが、いつの時代においても時代の転換期の変化はその時代の日本人にとって大きなものであったはず。この30年の変化が明治維新の変化より大きいなどとは、どこにも証拠は無い。
このような変化を見るときには、歴史がらせん階段のごとく揺れ動きながら進んでいることを見る必要がある。仮に社会そのものが大きく変わったというのであれば、その理由とそれが日本人の遺伝子に与えたエピジェネティクスの影響も含めて、きちんとした説明が必要であろう。
そうでないとすれば、結局は、集団農耕型気質の日本人が社会を牛耳るとき、いずれ自滅の道を歩むことになると「日本人の気質」で説明した事の方が、まだましだと思うのだが。どうであろうか。ここを見誤っている限り、日本の再生など望むべくもないのだろう。
平成29年6月22日(木)