情報入手・選択と貧困
年金暮らしになって、好きな本が買えないとぼやく老人の繰り言である。ま、買っても「積ん読」だけだから、無駄遣いしないで良いのだが。今日の虎ノ門ニュースでの青山繁晴(敬称は常に略)の話についてである。
すこし感情的なところもあり、言葉として意味がイマイチの所もあったのだが、言いたいことはよくわかるつもりである。ネットでの断片的な情報ばかりでは無く、広く情報を入手して考えなさいという事なのだが、そこで、少し引っかかった発言があった。それは「タダの情報ばかりだと」という表現だ。ネット上には広く様々な情報があふれている。それも無料で。しかし、その情報の質は玉石混淆であるし、いち部分だけを読んで簡単に信じてはならないという彼の言いたいことは、至極当然で納得出来る。
しかし、敢えて幾つかコメントをしておきたいと思う。本が売れなくなってしまった原因の一つとしてネットがよく取り上げられるのだが、私自身で言えば、そのような事は無い。はっきり言えば本が高すぎるのだ。会社員の時は、本を読む暇があまりなくて、積ん読であったが、それでもそれなりに欲しいモノを買っていた。タダそれでも、専門書の類いはやはり手が出なくなっていた。なぜなら研究などの為ならば無理してでも購入したであろうが、あくまでも、自分の知的好奇心を満足させるための読書である。薄給の会社員には、自ずから限界はある。
それが年金暮らしで、かすかすの生活となったいま、もはや本は高級寿司やケーキ屋さんのケーキと同じ、いやそれ以上になってしまったのだ。数冊買うとすぐ4~5千円もする、いまの書籍。これは日々の生活に直接響く額なのである。一方ネット上でも情報が有料化になる傾向が強まっている。やむを得ないことだと思うのだが、年金暮らしの貧乏老人には、とてもとても払えないのである。
虎ノ門ニュースの出演者も皆さん有料サイトを持っているが、個々のサイトが少額でも、ひとりだけの情報ではとても満足できないのが本当である。ましてや、情報の質には必ず波があるのだから、無条件に取られる月額費用などは、本を買うよりもリスクが高いのである。
情報の入手、知識獲得の満足感を得る事にも貧困が関わっていることを、出演者達にももう少し理解して欲しい。すくなくとも、そういう発言はあまり見受けない。この国の貧困が、どれほどになってしまったのか、安倍総理を含めいま生活に困っていない人達は、事の深刻さを肌で感じていないのだろう。無料の情報は、貧困者にとって非常に重要な情報源なのである。
もう一つは情報の質、もっと言えば、正しい情報かどうかについてである。どうもTVをすぐに信じてしまう日本人の国民性と同じ気質がなせる業なのだろう。有料や書籍になったものは正しく、無料だと嘘やいい加減なモノも多いと思い込んでいるのだ。私など岩波新書をどれだけ捨てたことか、いまになれば、いかに多くの誤った知識や情報を垂れ流していたことか。信用できないのは、新聞だけでは無い。出版された本も同じレベルなのである。したがって、提供される情報・知識の正誤性や質の高さは、有料か無料か、ネットのものか出版物かは、ほとんどいや全く関係が無いのである。これはネットが普及する前から変わっていない真実である。単に思想やイデオロギーなどのことだけではなく、科学知識に関わるモノなどは、10年もしたら全く情報が嘘になってしまうほど変化が激しい。したがって、分野によっては出版物の方がはるかに古い誤った情報が多い事もある。
このような二つの本質的な問題を正しく理解した上で、情報の収集や理解のしかた、さらには騙されないための自己鍛錬が必要になるので、情報リテラシーなどと言葉だけ言ってみても何も始まらない。少なくとは、いまの私はそう思うのだが。
平成30年(2018)8月27日(月)