災害大国、山岳国家 自国を知らなすぎる今の日本人
世界的な気象異常の波は、少し前から日本にも押し寄せている。特に最近目立つのが、大雨とその関連被害であろう。九州では福岡、大分と大雨の特別警報が連続して出され、今もその被害の全容はわかっていないどころか、多くの地域で捜索、救助などが必死で行われている。安全な所からそれをテレビで眺める自分の姿に、申し訳なさとどこか遠い世界の出来事のように見ている感覚は否定のしようも無い。
戦国時代だけでは無いのだが、とにかく昔の人は地理の知識を非常に豊富に持っていたようである。築城、城下街整備、水資源の確保など、感心するほどよく考えられている。戦国武将にすれば、それらは自分たちの生命そのものがかかっているのだから、当然と言えば当然であろう。しかし、現代の日本人にそのような自分の生命の安全と、住んでいる地域の地形や天候などの知識を持っている人は、ほとんどいないが現実である。
自然を無視した無理な宅地開発、なぜか河川の脇にばかり立てられる老人ホームや障害者施設、みな経済合理性という名の金儲け主義が根底にあり、さまざまな基準に従っているとは言うのだが、そもそもそ規制を作った人間(役人、政治家、専門家)たちが戦国武将のような危機意識を持ってはおるまい。安全など考慮されていないのと同じなのだ。
そして、現在の多くの日本人もまた、自らの安全を自ら考えると言う知識はおろか、意識すら持ってはいないのだろう。科学万能に犯されて自然の偉大さをすっかり忘れてしまっていたのだ。東日本大震災以来、それでもようやく少しずつ本来の日本人の意識が取り戻されつつあるようだ。そう、日本は世界でもまれな災害多発国なのだと。さらに、国土の7割が山地で、その山がすぐ海につながり、平地はほとんど無いし、仮にあっても今度は、津波が押し寄せる場所なのだ。我々は山岳民族であり、海洋民族であり、住んでいる場所の地形や天候などの自然環境を熟知した民族なのである。その事をもう一度深くかみしめるときにきている。
縄文人の住んでいた洞窟が、川の脇の高い崖のような所のかなり高い部分にある。水を得るには、もっと川縁に近い低地や三角州でも良いはずだが、彼らはそういう場所の危険性を良く理解していたのだろう。だから、少し不便でもわざわざ崖の中腹以上の所に住居を構えたのである。ここなら、川の氾濫や、津波の逆流からも安全である。崖の高い所にある縄文住居跡を見るたびに、そんな事をいつも考えてしまう。
少子高齢化、膨大な空き家、そんな時代ならばなおさら、地形に合った安全な国土計画が作られても良いのではないだろうか。土砂崩れの怖れのある場所には住居を建てない、川の氾濫領域では、必ずそれに耐える建物にする。噴火の溶岩の怖れのある地域は出来るだけ都市を作らない。そんな、基準の見直しはいくらでも出来るだろう。すこし、経済合理性と既得権という権利主張に目をつぶれば。
平成29年7月6日(木)