政治家にはびこるパフォーマンス人間

 最近ネットの進展などもあり、とにかく目立つのが勝ちという空気が社会に蔓延してしまった。これは日本だけではなく、世界的な風潮である。それも芸能関係者だけではなく、本来もっと堅実であらねばならない学者、知識人、文化人、ジャーナリスト、メディア関係者など、あまりのも多くの分野で蔓延している。

 特にひどいのが政治家、議員であろう。パフォーマンス人間とは要するに、口先だけの猿まねやろう、厚顔無恥な二枚舌、ということである。議員の多くがこういう口先だけなのは昔からなのだが、最近とみにひどくなってきたように思う。

 ここで問題なのは、二枚舌やろうに簡単にだまされる日本人のなんと多いことか。あ、「やろう」といったが、男だけでなく、女も当然含まれている。特に女性知事で目立つのがいる気がするのだが..!?

 政治家でひどかったのは、民主党の元総理はもちろんだが、小泉元総理もひどかった。総理大臣が、口先だけになったとき、国は間違いなく衰退していく。実際、彼がした政策によって今の貧困や格差が急激に拡大していったのは間違いない。また河野洋平らの慰安婦問題への対応なども、明らかに国益より自分優先のパフォーマンスであった。


 折しも、安倍総理の辞任表明によって自民党では次期総裁選挙が行われる。はっきり言えば、候補と目される議員の何人かは明らかにパフォーマンス人間である。

 ではなぜ日本人の多くはかくも簡単にパフォーマンス人間にだまされるのであろうか。その詳細は「日本人の気質」で詳しく述べているので、ここでは触れない。ただ、メディア媒体の効果的利用法が行き過ぎたときが特に危ないのだろう。
 また、いまの日本では、自分たちの気に入らない人物に反対するために、反対の政治家のパフォーマンスを持ち上げるという、ジャーナリズムを自ら放棄したメディアが大半になってしまった。これでは、特定の方向に洗脳誘導されて、行き着く先は全体主義か、原理主義になる。
 そのことの危険性を、当のメディア関係者が全く理解できなくなっているのだから、どうしようもない。


 ここで具体的なパフォーマンス人間の見分け方だけ、書いておこう。権力志向で人情が薄いタイプの人間が多いのは確かだろう。いかにも人情がありそうに振る舞うが、自己顕示と権力欲のなせる技に過ぎない。

 テレビなどのメディアで知名度を上げることに注力。
 ひたすら権力、上昇志向。偉くなりたいという意識。
 自分にはそれだけの力があるという自負心と傲慢さ。
 一般の国民など、自分から見れば愚かでうまく言いくるめられると思っている。
 ポピュリズムというよりも、自分はすべてをうまく転がしてると思い込む。
 自分の益がないとなれば、次々と政党や人などを乗り換えて恥じない。
 何かやりたいのではなく、ひたすら権力を握りたい、権力の地位に昇りたい強い意志。
 人の情を感じる感性は非常に薄い。それが知的だと思い込んでいる。
 言葉だけで実行はしない。
 メディア演出の最大利用が得意。
 メディアなどとの結託が平気である。
 理念、信念がない。理想像を提示できない。

 ちょっとあげてもこんな特徴が見られるだろう。


 それにしても、日本の政治の人材不足は、もはや開いた口がふさがらない。以前のブログで「政治家の資格審査が必要なのでは(2016年01月27日)」を書いたが、その必要性はさらに高まっていると思えるのだが。

令和2年8月30日(日)

2020年08月30日